ある女性の晩年

 

「五病棟で一番美人なのは、森光子さんです。」冗談がらみで看護婦さんが言った。彼女の名前は森光子といった。大女優の森光子と同姓同名だ。そして年は83歳。女優の森光子よりずっとずっと美人だ。
 森光子さんは口も達者だし、その堂々とした態度には嫌味がなく、どこかしら気品があり、「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼ばれ、みんなから大変慕われていた。
 おばあちゃんはみんなの中でも特に私を一番に可愛がってくれた。私のことを本当の娘のように可愛がってくれた。それはどうしてか、ただ私はある妄想で、自分の好きなバンドのギタリストのKさんが、おばあちゃんの実の孫だと思い込んでいて、少しでもお近づきになりたい一心で、頻繁におばあちゃんのお部屋へ通っていたのだ。
 ある日、おばあちゃんは、私に指輪をくれた。それは高そうな指輪だったが、肝心である石がとれていた。石の大きさは7ミリ四方くらいの四角い石。と、何カラットになるのかな?私は勝手に思ったのだったが、その指輪についていたのは、エメラルドであったに違いないと(今でもそう感じる)そしてもっともっと勝手に、その指輪の持ち主は、バンドのギタリストのKさんだと思い込んでいた。それは、その指輪がいかにもKさんに似合うような伊達なものだったからだ。おばあちゃんがKさんから譲り受けて、私にくれたのだと。本当に思ってしまったのだ。
 でも私はその石のない指輪に魅力を感じず、ほかの患者の誰かにあげてしまった。それがどういうルートかわからないけれど、指輪は漂流してもとのおばあちゃんの指にはめられていた。
 おばあちゃんは語った。「この指輪は“プラチナ”だ。光が違う」と。おばあちゃんは例の指輪をうっとりと見つめた。プラチナだという指輪はギラリと光った。そのころの私ときたら、貴金属の価値などまるで知らなかった。今思うとあの指輪は“石”がなくとも十分に価値があったのだ。そのような指輪を私にくれるなんて、よほど私はおばあちゃんに愛されていたのだ。
でもはっきり言えば、おばあちゃんはおばあちゃんなりに妄想があり、その妄想は私の妄想とからみあい、結論から言えば、私はおばあちゃんの話をよく聞いてあげたということだったのだろう。だから私を可愛がってくれたのだろう。
 おばあちゃんの口癖は「今、83歳だからあと17年生きて100歳になったら名古屋市から100万円もらえる。それを希望に生きている。」だった。
 必ずそうなるだろうと私は思っていた。しかし・・・それが実はかなわぬ夢だったとは・・・
おばあちゃんはだんだん弱っていった。寝ていることが多くなり、口数も少なくなった。そしてとうとう若い人が多い五病棟から老人のための病棟に移ることになったのだ。おばあちゃんは、老人病等に移るときに泣き出した。今思うとおばあちゃんは自分の死期を悟ったのだ。そのときの私はまさかおばあちゃんが癌におかされているとは夢にも思わなかった。
 さて、月日は過ぎて、私は病院を退院した。外来でおばあちゃんこと森光子さんが亡くなったと聞いた。悲しかったが、もうお年もお年だし、仕方がないなあ〜と思いつつ、おばあちゃんの80歳を過ぎても“希望”を持っていたことはすごいことだと思い、今後の私の人生の課題となった。