永遠の少女

 

初めてオノちゃんに会ったとき、オノちゃんは既に30歳だった。彼女は恋の病で精神病院に入院していたのだ。その恋は完全なる片思いで、オノちゃんは独身であった。オノちゃんは少し太っていたものの、なかなかの美人で、その心は少女と銘打ってもいいように、清らかで美しかった。
そのころ私は20歳でオノちゃんは私を、そして精神病院に入院している若い女の子たちを、妹のように可愛がってくれたものだ。そんなオノちゃんは皆のリーダーだった。
午後6時になると若い女の子が10人くらいでオノちゃんの部屋に集まり、毎日パーティを開く。それぞれがお菓子を持ち寄って、歌を歌いあった。紙テープを何色か集めて、それを細かくちぎって、紙ふぶきを作った。それを歌っている女の子にふりかける。私も自分が歌を歌っているときに紙ふぶきが舞っていて、まるでアイドルになったような気がしてうれしかった。そしてそのパーティをする仲間たちを「エンジェルス」と名づけた。
 思えばそのころの季節は夏だった。普通の若い女の子たちは海へ山へとレジャーに行く一番楽しい季節だ。それを尻目に私たちエンジェルスの面々は、精神病院という閉鎖的な悲しい場所に幽閉されているという事実があった。でも実際は精神病院に幽閉されていても、まるで毎日が修学旅行のように楽しかったのだ。皆、感受性が強く純粋な心を持った女の子たちばかりだったので、とても気があったのだ。親の目もなく毎日毎日楽しく過ごせた。そう。それはオノちゃんのおかげだったのだ。
 私はそんな夏をほぼ毎年オノちゃんとすごした。エンジェルスの面々もそうだった。なぜか夏になると病気が重くなり、入院してしまうのだ。それは意識とか無意識とかはわからないけれど、夏になるとエンジェルスは精神病院に集まる。
 夏が終わって秋になると、エンジェルスはみんな退院した。私とオノちゃんは退院しても仲良くしていた。お互いの家を行き来した。
 そんなオノちゃんが、ある日何の前触れもなくぼっくり死んでしまった。そろそろ40歳になる。という頃だ。悲しいことにオノちゃんが死んだときに、私は入院していて、お葬式にいけなかったのが、なんとも言えぬものだった。
 オノちゃんのお母さんが、オノちゃんの病気は“40歳”になれば治る。と医者に言われたとよく言っていた。でも40歳で治ると希望を胸に秘めていたオノちゃんのお母さんの絶望感はいったいどんなものであったのだろう・・・
 オノちゃんのお母さんが「この子は若いときから強い薬を飲んでいたので、長生きはできないだろうとは思っていたけれど、まさかこんなに早く死ぬとは思ってなかった。」と嘆いていたと人づてに聞いて、なんともいえぬ気持ちになった。オノちゃんが、そしてオノちゃんのお母さんが気の毒でならなかった。私はあまりの悲しみに涙が出なかった。
 オノちゃんが死んで、形見をもらった。どれもまるでオモチャみたいな安物のアクセサリーばかりで、私はなんともいえぬ気持ちになった。オノちゃんの人生には一粒たりともダイアモンドは転がり込まなかったのだ・・・
 オノちゃんが死んで月日が流れた。悲しい気持ちもほとんどうすれて、いずれ私も死んで、天国でオノちゃんに会える日を楽しみにしている。