美形ぞろいの看護人さん

 

私の青春は不毛であった。青春時代の半分の時間を精神病院で暮らした。私の入院していた精神病院は、男女が別々の病棟で区切られていて、病棟の中で患者同士が恋愛することすらできなかったのである。恋愛どころか若い男性の姿を見ることさえあまりなかった。
そんな環境で、私たち女子閉鎖病棟に入院していた若い女の子の希望の星は男子病棟にいる“看護人さん”であった。今は男の看護士さんといわねばならないのか?当時は男の看護士さんを看護人さんと呼んでいた。
 誤解を招くような、言い方を変える。今の精神病院の女子病棟の中には、男の看護士さんがいる。しかし、私が入院していた頃は病棟に男の看護士さんはいなかった。もう不毛が徹底していた。
そんな事実の中で男子病棟にいる、若い看護人さんたちが病院の中庭ではじめる“野球の練習”を見るのが、不毛地帯で力強く生える雑草のごとく、女子閉鎖病棟にいる若い女の子の生きがいであったのだ。しかもその看護人さんたちが、なぜか美形ぞろいであった。それは別に、私たちが不毛であったからそう見えたわけでなく、看護人さんたちがなぜか皆が皆、美形であったのだ!!!
 その中でも群を抜いて美しかったのが池田君という看護人さん。その容貌はジャニーズのキンキキッズの堂本光一を美形にしたような人・・・と言えば、池田君がどれほど美しかったか解ってもらえるだろうか???紅顔の美少年という言葉は池田君のためだけにある言葉だ。色白で面長な顔の頬はいつもうっすらと紅く、二本の眉は黒く形よく、優しそうなつぶらな瞳は常に笑みをたたえていて、高い鼻筋は冷たさを感じさせることなくほんの少し丸みを帯びていて、唇はまるで口紅をつけたように紅かった。背も高からず低からず・・・心の美しさが顔に表れているというように池田君はいつも笑顔で優しげで、女だったら誰でも、一度でも池田君を見たら、ほのかな思いを抱かずにおられない・・・そういった人だった。
その池田君を筆頭に美形の看護人さんばかりが中庭で始める野球の練習を、私たち不毛の娘たちが精神病院特有の窓にびっしりとはられた“さく”の中からわくわくとして、見つめるのだ。

 

午後五時半くらいになるとポーンポーンというボールの音がする。それと同時に私たちは中庭の窓越しにぴったりとくらいつき看護人さんを観察する。それが一日の日課である。
 ある日のこと野球の練習をしているとき、池田君の股間に偶然ボールが当たった。池田君がしゃがみこみ、ものすごく苦しんでいた。そんな様子を見て、私たち不毛の娘たちは笑わずにいられなかった。そしてさらに当時、すごい躁状態で頭が冴え渡っていた私が
「玉がたまたま玉に当たってたまげた」という女の子が言うにはあまりにも下品な言葉を発してしまった。しかしその言葉はあまりにも確信をついていたので、みんなでゲラゲラ笑いまくった。そして私たちが笑っているときでさえ、池田君は苦しんでいた。あの神秘的なほどに美しい池田君が人間らしさをかもし出した一瞬である。

 

この文章の題は「美形ぞろいの看護人さん」であるが池田君だけの話だけになってしまった。池田君以外の看護人さんのことも機会があればまた書こう。
ちなみに短くまとめられる美形の看護人さんの言葉で、強く印象に残っていることを書こう。私が30歳の時、2週間だけ入院すると決めた“任意入院”のとき、当時、女子閉鎖病棟で主任をしていた渡辺君というやはり美形の一人である看護人さんが
「昔マリさんを筆頭に女の子が次々と10人くらい、僕のまたぐらを触って走っていったことを覚えてる?」
と質問されたが失念していた・・・と思いつつそんなはしたないことをしたのか?と・・・渡辺君の質問には
「覚えていない」
と答えたところ
「僕のはよほど印象の薄いものだったんだね。」
と冗談まじりに渡辺君が言って笑った。
躁状態のときそれ以外にもまだまだそのような下品な行動をしていたのか?と少し(というかだいぶん)不安になるが、美形ぞろいの看護人さんたちは、野球の練習のときいがいにも不毛の娘たちに優しく接してくれた。それがきっかけで、それまで男性に話しかけることすらできなかったくらいシャイであった私が、男性と話せるようになったのだ。ありがたいと思っている。