作業所のマドンナ
作業所と言って一般社会の人がどれだけわかるでしょうか。それは精神に障害を持つ人たちが集まって内職をしたり、あるいはおしゃべりをしたりして、人とのコミュニケーションをとるための場です。
「精神障害者」と言うと人はどんなイメージを持つでしょう?その人たちを怖いと思うでしょうか?優しいと思うでしょうか?実際あまりわからないのが現実というものです。
私は精神障害者のための作業所に通っています。そこには指導員と呼ばれる3人の職員さんがいまして、私はその中の一人の女性指導員さんをとても尊敬しています。名前はAさんとでももうしましょうか?私はAさんほど素晴らしい女性には今まで会ったことはないです。
Aさんはいつでも優しげな笑みを浮かべていて、そのお顔を見るだけで、心が安らぎます。そして声もとても奇麗で優しく落ち着いていて、私にとってのマドンナ。すなわちマリアです。そんなAさんですが、作業所と呼ばれる施設に最初からいたわけではありません。私が通っている作業所ができてかれこれ6年になりますが、Aさんが指導員として作業所に来られてまだ2年も経ちません。
私は自立するために作業所へ通っています。それでも病気を持っているとなかなか自立するのは難しいです。私はおととしの10月から「障害者職業センター」という別の施設に通って職業訓練をしていました。その間は作業所には通っていませんでした。障害者職業センターで3か月の訓練を受け、私はまた作業所は戻りました。そのとき初めてAさんに会いました。
「まえまえからあなたにお会いしたかったのよ。」
とAさんはとても優しい笑みを浮かべて私に接してくれました。私は一目でAさんのことが好きになりました。
人間は生きていて自分の好きな人と嫌いな人と普通の人となんとも思わない人と、と分かれると思います。私は最近思うのですが、人間は好き、嫌い、普通な人には興味を持ちます。でも自分のまわりにいる人で「なんとも思わない人」という人にあまり興味を持たずに生きてきました。でもなんとも思わない人でも知っている人なら、その人たちに新切にできる。そう言う人間になることも必要だろうか?と思います。それはAさんに出会って思うようになったわけで、以前の私ならそれさえも気づくこともなかったでしょう。
私はずいぶん昔ですけど精神科医に言われたことがあります。
「あなたは自分が好きだと思う人は徹底的に好き。嫌いだと思う人は徹底的に嫌い。そう言う傾向がある。周りの人をその二つだけに決めず、もっと色々な人のことを考えるとあなたの病気は良くなる。」
そう言われました。私は医者にそう言われてとても不機嫌な気持ちになりました。でも今でもその言葉は心の奥に引っ掛かっています。
Aさんと初めて会ったとき季節は冬でした。今まで職員が事務仕事をするための机とテーブルしかない部屋だったはずの殺風景な部屋にこたつがおいてありました。いえ今までテーブルとしか思っていなかったものは実はこたつだったのです。
「昨日出してみたのよ。」
とAさんはやはり美しく微笑みながらおっしゃいました。それまでそんなアイデアは他の男性の指導員には思いつかなかったのですが、Aさんの女性としての優しい気配りで、こたつがおいてある部屋はとてもくつろぎやすいほのぼのとした空間になったのでした。また作業所には一応、庭らしきものがありましたが、それは荒れ放題で、年に2回だけみんなで草むしりをするだけのことでした。Aさんはその庭を一生懸命耕し、花の種をいっぱい蒔きました。春になったら種が芽吹いて、みんなは庭に咲く植物の生長を楽しむようになり、誰に言われなくとも自ら草むしりをする人も出てきました。
Aさんが作業所に来てから、私の通っている作業所はまさしく愛のあふれる空間になりました。
Aさんは作業所にいるメンバーの誰とも公平に接します。精神障害者と言ってひとくくりに見る人がいるかもしれませんが、実にいろいろな個性の人がいて、同じ病名でも病気の症状も違います。同じ施設にいれば目立つ人もいれば目立たない人もいます。目立たない人は今までほとんど声も出さない人もいましたので、その人の個性というのもわかりませんでした。Aさんが作業所に来てから今まで声さえ出さなかった人がみんなとうちとけてきて、ときに冗談を言ったりするようになりました。明るくなりました。
ある日、あまりみんなとうちとけられなかった一人のメンバーが、花束を持って作業所にやってきました。
「今日はAさんの誕生日ですから。」
Aさんは満面の笑みを浮かべて花を花瓶に生けました。
そんなAさんを見ていて、自分なんかはとてもじゃないけどAさんのようになれないと思います。
私は将来仕事をするために時間的制約を作るため、ほかのメンバーが3時で帰ってからも4時過ぎまで残っています。だからAさんと二人で会話することができます。Aさんの若いころの話も聞きます。若い頃といってAさんは50代の女性です。私にとってはお姉さんといった年齢ですね。Aさんは母親と気が合わず、母親としゃべる機会があれば、喧嘩しかしなかったとおっしゃいます。そんな・・・Aさんのような優しい女性が自分の母親と喧嘩ばかりしていたなんて意外です。実は私も母親と気が合わず、しゃべるとなると喧嘩しかしません。私は母親と喧嘩ばかりしている自分を恥じていました。でも尊敬するAさんも母親と喧嘩ばかりしていたなんて・・・そう思うと嬉しいと言ったらなんですが、なんか深い安心感というものを感じられずにいられません。
Aさんは昔看護婦をしていたそうです。それは一日でも早く母親からはなれるために、高校を卒業してすぐに家を出て、奨学金をもらって学生寮に入って、看護学校に通ったそうです。
自分の親を愛せない。それはとても悲しいこと。私はそれは惨めなことだと思いました。でもAさんのような素晴らしい女性でも、母親を愛せなかった・・・と思うと、私は物凄く自分を許せるきもちになれるようになりました。
Aさんのようには絶対なれない。そう思っていた自分です。でも最近思うようになりました。Aさんみたいになりたい。?なれるかな?
いえ、絶対になってみせようと。可能性はまだないことはない。私はAさんみたいになる努力をしてみたいとおもいます。どんな人に対しても優しく思いやりを持って接して、人を幸せにできる人。そういう人。私は目指そうと思います。というか目指そうと思える気持にやっとなれました。