待つ事と嘆き悲しむ事
待つ事
それを否定する人は多い
「待っていたって無駄だ
いたづらに時間が過ぎて行くだけだ」
しかしどうだろう
「待つ」ということは
自分の未来を肯定的に考えている事だと思う
神父さんと勉強していた時
神父さんはこうおっしゃった
「自分の願いは待つつもりでいなさい」
待っていたって何も始まらない
行動だ
待つことは馬鹿馬鹿しいと・・・
しかし待っていられるという事は心に余裕があるという事だ
待つ=希望を夢見ている
ということだ
キリスト教では「今」が一番大切だとよく言う
私もその深い意味はよく知ってはいないけど
自暴自棄になって嘆き悲しんでいる時が今なら
今が一番大切だと言われれば
腹が立つ人がいるかもしれない
過去の事を悔んで未来にはひとかけらの希望もない
そんな時が今なら・・・
でもそんな時が現状でも
やはり今を大切にして
時を待つ事を実行してみたらどうだ
自分がもう無くしてしまった
「希望」
をもう一度思い描けるようになれるかもしれない