私のまわりに目玉がいっぱい
その頃私は人の目が怖かった。外に出ると皆が自分のことを監視しているという感覚におそわれ、買い物にも出られなかった。私はひきこもっていたのだ。テレビを見ることさえ怖かった。テレビの電波がやはり私を監視するのだ。そのころは自分で気に入ったビデオを何回も繰り返しあきもせず見ているだけだった。していたことはそのくらいのことだ。
お風呂にさえろくすっぽ入らずにいた。1ヶ月以上、もしかして3ヶ月くらいお風呂に入っていなかったのかもしれない。それを覚えていないほど時間の流れの感覚が麻痺していた。トイレにも行けずに、バケツで用を足していた。そのくらい悲惨な生活をしていたのは私が32歳くらいの時のことだ。
私は精神の病の症状では躁状態が一番深刻なのだが、その頃は躁と鬱の両方の症状があった。頭は異常なほど冴え渡っているのだけど、肉体は疲れきっていて動く事もままにならなかった。そんなことはかつてなかったのだが・・・
私は壊れていたのだ。スーパーとかのピカピカと光る、明るい照明が怖かった。私を見張るように光っているようにも感じさせられた。特に魚屋さんの威勢の良い掛け声など聞こえてくると、自分だけに魚を売りつけているように感じて、とても怖かった。それを学術的に言えば“被害妄想”とでも言うのだろうか?とにかく私は外に出ると、どこにいようと、誰かに見張られているように感じたものだ。私のまわりをたくさんの目玉に囲まれているような感覚におそわれた。
これが躁状態だけの症状であれば、私はやたらに買い物をする症状が出る。繁華な街に出向いて、服やら靴やら、たくさん買う。お金がないならクレジットカードを契約してでも買う。そんな症状になる。
躁状態と鬱状態が両方あったころは躁状態だけの症状ではなかったのだが、とにかく体がいうことがきかない。そして外が怖い。外に出ると私のまわりをたくさんの目玉が監視するのだ。ジロジロと見られている。と心底怖かった。でもその一方で躁状態である私の脳は本当はとても外に出たくてしょうがなかったのだ。
そのころ我が家にホームヘルパーさんが来てくれるようになった。ホームヘルパーさんは
「一緒に散歩しよう」と声をかけてくださった。
私はずっとひきこもっていたし、運動もしていなかったので、初めての散歩は家の周りを5分ほど一周しただけのことだが、とても気分がよくなったことを覚えている。たった5分歩いただけなのにまるで旅にでもでたような気持ちになれた。
「麻理音さん、自分のことを美人だと思って。そんな絶世の美女のダイアナさんくらい美人じゃなきゃ誰も見てないよ。」とホームヘルパーさんが冗談交じりに笑って言った。
ホームヘルパーさんと一緒に色々なところを散歩した。最初は5分だけだったが、最終的には2時間も散歩できるほどの、精神力と体力がついた。そして徐々に徐々に私のまわりの目玉の数が減ったわけである。
ホームヘルパーさんには物凄く感謝している。ホームヘルパーさんがもしいなかったら、今でも私はひきこもっていたかもしれない。
今は自由にどこへでも買い物に行けるようになった。私のまわりにはもう目玉はないが、反対に自分の目玉をくるくると回して、色々なものを見て、外出を楽しんでいる。