求めなさい!門を叩きなさい!

 

私は神父さんと勉強して、カトリックのキリスト教の洗礼を受けました。


キリスト教の教えはこのようなこと

 

「求めなさい!門を叩きなさい!」


ということなのかな。

 

求めなさい!


と思って自分が求める事が間違っていることもあるそうです。


しかし自分の求める事が間違っていても


求める事で人間的に成長するそうです。

 


私は洗礼を受けて3年になりますが


どうやら私が求めている事が間違っていることにようやく気付きました。


しかし悔いはありません


私は間違ったことを求め祈りました。



しかしやはりとてつもないほどに人間的成長ができたのです。


私は深い悲しみの中教会の門を叩き


自分の悲しみだけでなく人の悲しみも深く思いやれるようになりました。


私はそれはやはり教会という神聖な場所に通ったおかげだと思います。

 


また自分の願いや自分が手に入れたいもの・・・


それを全て神様にお任せする。それは祈ることだと言います

 


そして手に入れたいものが手に入らなかったとしたら・・・


その時は神様が自分が手に入れたいものより


もっといいものをくださるそうです。

 


それが信仰というものだと神父さんはおっしゃいました。

 


そんな虫のいいような事・・・と思いました。


それでも私は今は初めて教会へ通っていた時からして


自分が手に入れたいものというのが変わりました。

 


そして私は祈り


かつて自分が手に入れたいものよりもっといいものが必ず手に入る。


そういう希望が受け入れられるようになりました。


教会に通ったばかりの頃は、手に入れたいものがどうしても欲しくて


もっといいものなんていらないと思っていました。


それでも


いつも神様は私を最善にしていてくださる


悲しい事にも意味がある


そう思って私はキリスト教を信心していて


信心はとても美しくて楽しい事です