保護室

 

あれは私が17歳の時。おりしも7月7日の七夕の日だった。私は激しい狂気から目覚めた。6月4日のお母さんの誕生日の日に、生まれて初めて物凄い狂気に陥って、わけのわからないまま、精神病院へ入院してから、7月7日まで意識を失っていたのだ。
空白の時間をすごした。あとで聞いた話だと、いわゆる物凄い狂気のさなかで、私は大声で歌を歌ったり、ベッドの上でポンポンと飛び跳ねていたりして、暴れまわっていたという。私は全く記憶にない。意識を失っていたなかでの行動である。
意識が戻って初めて見た光景は、なんと表現したらいいのだろう・・・じっとりとした空気が漂う、今までに見た事のない不気味な暗く狭い部屋にいた。そこにはものすごく太い鉄格子が数本立っていて、黒光りする床には一畳の畳が置いてあり、その上に布団が敷いてあった。部屋の片隅には小さな和式のトイレがあったが、水洗なのに自分では便が流せないようになっていた。今思うと、便通を確かめるためにそうなっていたのであろう。トイレには戸が付いていなかったので、常に悪臭を放っていた。 
この部屋は、精神を病んでいる人の中でも、特に状態がひどい人を隔離する部屋なのだ。その名を保護室と呼ぶ。テレビや映画などで見る“座敷牢”によく似ていた。
部屋の外から、マリちゃん、マリちゃん。と呼ぶ少女の声が聞こえた。『純子ちゃんだ』と思った。「マリちゃん、がんばりゃあよ!!!」その声の意味が私にはよくわからなかった。どうして私は純子ちゃんを知っているのだろう?純子ちゃんは、私と同じ17歳の少女で、私が保護室に入る前に仲良くしていた・・・という曖昧な記憶が頭をよぎった。
そんな環境にいてもまだ自分がまだ精神病院の中にいることさえ知らなかった。狂気から目覚めた時、なぜかちょうどお昼ご飯を食べていた。というか、若いあどけないような看護婦さんが、一生懸命私にご飯を食べさせてくれていた。そう。私は自分でご飯を食べられないほど病気がひどかったのだ。
なにがなんだかわからない中、看護婦さんがとても優しくご飯を食べさせてくれていたという事実だけが、私を正気に導いてくれたのだ。
「マリちゃん、今日は七夕だよ。」

と看護婦さんが教えてくれた。窓の外を見ると、どんよりと空はくもっていた。