天然ロリータ
激しい躁状態のとき、私は病棟の中を歩き回る。大きな声で歌を歌い、楽しくて楽しくて、活力が満ち満ちて、バラ色の人生。とにかく動かないではいられなかった。たいして広くない病棟の廊下を、馬鹿みたいに歩き回っていた。
初めて精神病院に入院したのは17歳の初夏。私はまだ少女だったのだが・・・
ばら色の人生からどん底の人生に変化する岐路にいたとき、(躁状態から鬱になる境目のとき)そのとき、私は病棟の中で立ち止まっていた。ふと下を向いたら、なにやら足元がとても汚く感じた。よく見たら、私はものすごく汚れたスリッパをはいていた。とても不快に感じた。
でもそのスリッパをよくよく見ると、なにやら可愛い“ボンボン”が二つついていた。もともとそれは白かったのであろう。あのボンボンはねずみ色をしていた。スリッパ全体が薄汚れていたのだが、きっと、汚れる前はキレイで可愛いものだったと思う。スリッパは布製で、元は淡いピンク色であったであろう。そのピンク色の生地の上に、仲のいい親子のような白い大きい猫と小さい猫がアップリケにされていた。その横に白いボンボンがついていた。
実に少女趣味なスリッパであったが・・・激しく狂っていた私はどんな生活をしていたのであろう。病院に入院して二ヶ月以上たっていても、自分のはいているスリッパの模様を全く把握していなかったのだ。
そのスリッパを見て私はずっと忘れていた“お母さん”の存在を思い出した。狂いの世界に没頭していた私はお母さんのことは忘れていた。しかも母は毎週、面会に来てくれていたのに。何も覚えていなかった。
でもその薄汚れたスリッパを見て、母が狂った娘でも可愛いと思い、娘を思いやって、17歳の少女が喜ぶような、可愛いスリッパを選んでくれたことが理解できた。
私はそれに気づいて、母のことをとってもありがたく思えた。思春期のさなかで、私は母に憎しみを抱いていたのだが・・・あまりに激しく狂いすぎて、母を憎んでいたことすら忘れていたのだ。かつてはキレイで可愛いかったであろうと思われるあのスリッパは、今でもまだ忘れられない。たとえ狂ってしまっていても、わが子を思う母親の気持ち。自分の子供が少しでも喜ぶように思いやる気持ち。それが満ち満ちていた、少女趣味のスリッパ・・・
そんな思い出があったからなのか、どうなのかはわからないけれど、私は中年になった今でも、可愛いものには目がない。服装も今なお少女趣味。今ではロリータとかいうけれど・・・
17歳の少女だった私のスリッパは天然ロリータであったのだ。