詩聖ダンテと私

 

 

私は詩を書く

私のプライドは今のところそれだけなのである

 

私は恋をしている

その恋は私のプライドをとことん

最低にする

 

 

昔創価学会の小冊子をもらった

それは恋愛について

池田大作が書いていた

 

本当の恋をしよう

という内容だったように思う

その文で恋のあり方について

詩聖ダンテについて述べられていた

それはとても個性的な恋の話だった

 

同じ話をネットで調べたところ

詩聖ダンテは

9歳で初恋をして

18歳になるまで初恋の人ベアトリーチェに会うこともなく

片思いをし続けたという

 

そして詩聖ダンテが18歳の時に再会したベアトリーチェは

詩聖ダンテに会釈をしたという

 

詩聖ダンテとベアトリーチェは

ただそれだけの関係だった

 

詩聖ダンテは自分の周りの人に

自分の恋心を気付かれるのが恥ずかしくて

複数の婦人と交際しているように

装った文を発表したそうだ

 

それがきっかけで

ベアトリーチェは詩聖ダンテを嫌った

 

そしてベアトリーチェは銀行員と結婚し

子供をもうけたが

わずか24歳で亡くなった

 

ベアトリーチェが亡くなって

詩聖ダンテは絶望にくれたが

ベアトリーチェへの思いを

詩に昇華したという

 

と、簡単に書くとそんな感じ

 

私はとても辛い恋をしていて

それでも私は恋することが辞められない

 

私は偶然カトリックに入ったのだけど

詩聖ダンテが熱心なカトリック信者だということを知って

信仰心が高まった

 

自分を嫌っている人でも恋する詩聖ダンテの心

私が恋をしている人はよくはわからないが

私を嫌っていることもあるかもしれない

 

しかし私も詩聖ダンテのように

どんなに嫌われていたとしても

恋する心に歯止めがかけられないという

共通点がある

そして私は詩を書く

 

私は詩聖ではないけど

詩聖ダンテのように辛い恋をしている

 

私は辛い恋を神様から与えられたと思いたい

そう思うことで熱心にカトリックを信仰できる

私は本当に自分がしている恋が辛い

 

でもいい

私は詩聖ダンテの気持ちがわかる環境だ

それでいいのだ

 

だが詩聖ダンテと私の人生は違う

詩聖ダンテの辛い恋は

死という美しい別れとして

ロマンスがある

 

私は自分が恋をしている人と

死別することはないかもしれない

となるとどろどろとした

醜い感情も湧いてくる

 

でも今はひとまず

詩聖ダンテと同じように

相手に嫌われているとしても

純粋に愛し抜く

 

そして詩に昇華する

 

それは同じ心だ

 

詩聖ダンテの作品

「神曲」はまず聖書を知らないと読めないし

世界の歴史も知らないと

完全に理解できないらしい

 

私は頑張る

詩聖ダンテと同じように

辛い片恋を

詩に昇華したい

 

と思って

私は偶然に入ったカトリックを極めて

詩聖ダンテの世界をわかるようになりたい

その気持ちは物凄く私を前向きにさせる

 

「聖書」を「神曲」を

私は楽しめるようになりたい

 

今は両方とも難しくて理解には程遠い

 

しかし簡単にできてしまうのもつまらない

それは文章を読むのも恋愛も

 

そんな気持ちで私は

よほどに疲れた日以外は

ロザリオの祈りをしている

 

祈りは人の潜在意識を動かす

と私は思っている

 

私は辛い恋も聖書の勉強も

詩聖ダンテの研究も

 

善いものに出会っていると思う

 

今私にできることは

祈ることだけなんだけど

 

それでも私は

辛いことも生きがいと思って

詩聖ダンテのように

辛い恋に負けず

信仰心を持ち

少しくらい野心を持ちたい

 

あと池田大作さんが信じる

日蓮上人にも少しばかり感謝して

 

私は生きぬこう

 

そして私は詩を書く