他人の幸福から思ったこと

 

涙さえ枯れた事に気付いたのは、他人の幸せを喜べない自分に気付いた現在の私である。ある知人が高齢で3人目の子供を身ごもったという。本来ならおめでとうと祝福するような話なのだが、私は落ち込んだ。
現在私は38歳。中年だ。だのに子供はいない。結婚さえしたこともない。なんという悲しみ。一人だけ取り残された感じ・・・もはや分かってくれる人など世の中にほとんどいないのだ。普通に結婚し普通に子供をもつ。こんな簡単な事がどうして私だけには与えられないのだろう。世の中はなんと不公平なのだろう。
自分の不幸な境遇を悲しんで、できれば思いっきり泣いてみたい!でも21年間精神の病におかされて、人並みな人生を送れなかった私は、もはやしぼる涙もないのだ。自分よりかわいそうな人はたぶんいっぱいいるのだろう。でも今の私は目先の自分の不幸だけしか目に入らない。
 この苦悩に満ちた人生をなんとか楽しく生きぬかねばならない。答えはなかなかでない。私はこれといった仕事を持っているわけでもない。ただ希望が持てるのは、私には心をときめかせる趣味がたくさんある。もっと勉強をしたいという気持ちも持てる。子育てができないぶんなんとかそれを楽しもう!!!と思ったら少し元気になってきた。
こう考える事もできる。
「神様は私に家庭を持つことは与えてくれなかったが、私に自由を与えてくれた。私は子供を育てながら自分が子供と共に成長する必要もない。私は自分だけの力で成長する力を神様に与えられている。」と。