消灯後のカップ焼きそば

 

 精神病院の中では、皆が皆、飢えに苦しんでいる。というのも大げさではない。食事は一日三食きちんとでる。しかし、その献立が、自分の嫌いなものであったら最悪である。空腹と戦わねばならない。別に嫌いな献立でなくとも、飢えている。だって、自分の好きなものを自由に食べられないのだもの。
 また精神病の患者は体が悪くて病院に入院しているわけではないので、すごく重い鬱状態の人やすごく重い躁状態の人でなければ、食欲不振ではない。また、毎日暇をもてあましている。後で知ったことだが、人間は暇だと、空腹を感じやすいらしい。
 そんな空腹をおぎなうもの・・・それがお菓子。でもお菓子だってたくさん食べられない。ほんの少しの予算で、ほんの少しのお菓子しか買ってもらえない。
 ある日から、私は主治医の方針で、閉鎖病棟から開放病棟に移された。いくらかこずかいをもらえたが、そのほとんどがタバコと病棟内に設置された、自動販売機のジュースできえてしまう。

しかし開放病棟と閉鎖病棟の違いは、開放病棟では熱いお湯が自由に使えること。それがなんとも画期的なことだった。そう“カップ麺”が食べられる!!!かといって、ほんのわずかなこづかいでは、カップ麺は高くてなかなか買えなかった。
 精神病院の夜は長い。九時消灯。フツウの病院でも九時消灯かもしれないけれど、不眠症の私にとっては辛い。体が悪いわけじゃなし、どこか痛いところがあるじゃなし・・・しかし同じ精神病院でも閉鎖病棟と開放病棟との違いは開放病棟では消灯時間に大きなやかんにアツアツに沸かしたお茶が出ること。
それで目にした光景というのが、消灯後9時ちょっとすぎに廊下で例のアツアツのお湯で、カップ焼きそばを毎日作っているオバサンがいて、皆がそれをうらやましそうに見ていた。私も毎日見るようになった。そのオバサンが気まぐれに皆にほんの少しだけ「あんたも食べる?」と焼きそばをふるまってくれるのである。私がカップ焼きそばをうらやましく見ている人の常連になった頃、オバサンが私に、ついに「あんたも食べる?」と声をかけてくれたときの嬉しさは今、その気持ちを再現することが難しいくらいに嬉しかった。私はそのとき「うん」と返事をして食べようとしたものの、遠慮があり、ほんの一口、というよりすずめの涙ほどの麺を涙ぐむくらいの気持ちで食べたものだった。
 それ以来、オバサンからちょくちょく焼きそばをもらった。いつもやはり雀の涙しか食べられなかった。
そんな日が続き、私はとうとう自分のこずかいをためて、カップ焼きそばを買いに行った。開放病棟といえども、辺ぴな場所の病院だったので、遠い遠いコンビニまで買いに行き、帰り道にまるで宝物のようにカップ焼きそばを持って、病棟に着いた。午後四時に食べる夕食を食べ終えて、午後六時ごろ、焼きそばを作った。さあ食べよう!!!と勇んでいたら「少しくれない?」「少しくれない?」と人が寄ってきて素直に焼きそばをあげていたら、いざ自分が食べようと思ったとき、焼きそばは、半分あるかないかの量になっていて、なんとも言えず悲しい気分になった。お腹はふくれなかった。それ以来自分でカップ焼きそばを買いに行くことはなかった。
 たかがカップ焼きそばぐらいのことで悲しい気分になっていた自分が、今となっては不思議だが・・・ただ消灯後カップ焼きそばを毎日作り、全部自分だけで食べることなく、「くれ」とも言われないのに必ず誰かにあげていたあのオバサンはなんて優しかったのだろう・・・私だったら自分だけで食べてたろうな。でも、あのオバサンは何で毎日焼きそばを作れたのだろう・・・と思う。

  たかがカップ焼きそばぐらい・・・