春、煙草、バースディ






 数日前までは、薄いピンクの綿菓子が連なっているように見えて、ボリュームたっぷりだった桜並木も、

 花びらが散り始めて様相が変わり始めていた。

 あんなにも人の心を沸き立たせて咲き誇った花が、終わりの顔を見せている。

 ベランダでそれを見下ろしながら、俺は花見に出かけた時のことを思い出した。

 マンションの横の桜並木の小道の脇に、桜まつりと称してたくさんの屋台が出て、

 ここがそんなに凄い花見スポットだとは知らなかったから、かなり驚いた。

 「いいロケーションだな。こっからでも花見できるじゃん」

 花見に出かけようと椎に言われた当日も、俺はここから下を見下ろしていた。

 「うん。ベランダで花見してる人も確かにいるみたいだけどさ、せっかくだから外に出よう」

 奴は笑ってそう言い、俺たちはその日、夜の花見に出かけた。

 昼間の桜は大学への行き帰りでたくさん見ていたから、

 花見は飽きるくらいしてると言ってもいいんじゃないかと思っていたけれど、

 通学してるだけの時の桜と、夜のそれは全然違った。

 ライトアップされた満開の桜は、昼間とはまた違う雰囲気を醸し出していて、とても幻想的だった。

 黒をバックにピンク色に光って浮かび上がるその姿は、不気味なほどの生命力を感じさせたし、

 そんな光景が川に沿って途切れることなくどこまでも続いている様は壮観だった。

 人ごみの中、俺の小指に自分の小指を軽く絡めるようにして触れてくる椎と、

 途中屋台でそれぞれに食べたいものを買ったりしながら、いつもとは違って見える小道を、ずっと一緒に歩いた。

 あの夜が、なんだか夢みたいだ。

 今、桜は最後の力を振り絞っているように見える。

 「玲二、終わった?」

 フェンスに顎を乗せて小道を見下ろしてぼんやりしていると、

 椎が中から洗濯物を干し終わったかどうか聞いてきて、俺は「ああ」と返事をして、カゴを持って部屋へと戻った。

  

 新入生の入学式が終わって、キャンパス内を一年生がうろうろしている。

 つまり、俺と椎は二年生になったのだ。

 まあ、あんまり変わりばえしないけれど。

 学食で、椎と一緒に昼を食べていると、新入生たちから新鮮な何かが漂ってくるのを感じる。

 「活気があっていいね」

 「そうだな」

 一年前は、俺たちもあんな感じの空気を漂わせていたんだろうか。

 慣れないことばかりで、でも慣れようと必死なんだけどそれを悟られたくもなくて、ちょっとぎこちなくて…

 その頃のことを考えつつ、明らかに一年生のグループだと分かる人たちに目をやっていたら、椎が話しかけてきた。

 「玲二。髪、伸びたね」

 言われたとき、ちょうど坊主頭の男が視界に入って、俺はポツリと呟いた。

 「俺、坊主にしようかな」

 「え!」

 定食を食べていた椎の手が止まる。

 それを撤回せずに奴をじっと見ていたら、困ったような笑みを浮かべた。

 「玲二ならどんな風にしたってかわ…かっこいいと思うけど」

 椎は、俺の言う事を認めようとしつつ、でも嫌なのか、顔が少し強張っているのが分かる。

 手もちょっと震えてるような。

 これは、確実に頭の中で、俺を坊主にしてみてるな。

 俺は笑った。

 「冗談だよ。しないよ、似合わねぇし」

 それを聞いて、椎がホッとしたような顔をする。

 嫌なら嫌って言ってもいいのに。

 「良かった。もう玲二の前髪、かき上げられないのかと思った」

 …え?

 何気なく言った椎の言葉に、今度は俺が固まる。

 俺の前髪、かき上げるっていったら…アレのときしかない。

 「……」

 そこ基準なのか?そこ基準なんだなっ!?

 ……。

 普通、見た目だろっ!

 こんなエッチな恋人が、明日、誕生日を迎える。

  

  

 「なんで自分の誕生日ケーキを自分で焼いてるんだよ。俺が買ってやるって言っただろ」

 翌日。甘い匂いで目が覚めて、ベッドから降りて台所へ行った俺は、

 オーブンからケーキを取り出している椎を見て驚いた。

 「しかもこんな朝っぱらから」

 あれは、去年の俺の誕生日のころのことだから、もう一年近く前になる。

 椎に、誕生日にはケーキを買ってやると約束していた。

 だから、今日買いに行くつもりだったのだ。

 それが、なぜか自分で焼いている。

 調理台の上には、ケーキ作りに必要ないろんな調理器具や食材が広げられていた。

 「おはよう、玲二。なんか作りたくなって。

 夕方までに冷まさないとデコレーションできないから今作ってるんだ」

 作りたくなって、って…、俺が渡すものがなくなったじゃないか。

 また、何をあげようか悩まなきゃならないのか?

 ケーキを渡して、それでOKと思ってた俺も横着と言えば横着だが。

 「俺さ。物はいらないから」

 数日前から、実は繰り返し椎に言われている。

 だけど、そう言われたからって、ほんとに何もなしってわけにもいかないだろう。

 というようなことを返すと、これまた繰り返し言ってくる。

 「俺が欲しいのは、玲二のキスと玲二の愛と玲二の優しさと玲二の思いやりと…つまり玲二全部」

 ああ、分かったから。もう、粘っこいよ。

 それで俺はいつも、右から左へと聞き流していたのだが、ケーキという形ある物を渡せないとなると…

 どうしたものかな。

 キスと愛と優しさと思いやりなんて、あるようでないようで、

 いつもやってるようでそうでもないようで、ハッキリしない。

 「思ったより早く起きたね」

 椎が、俺の眠そうな顔を見ながら言ってくる。

 「…うん」

 俺は、時計に目をやって、針が七時を指しているのを見て頷いてから、洗面所に向かった。

 眠い。

 昨夜、「十二時になるのと同時にヤる」とか言って、

 はしゃいでいた椎とのエッチが長かったのが効いてる。

 でも、椎は俺よりずっと早く起きてるんだよな…

 ほとんど寝てないんじゃないだろうか。

 つくづくタフな奴だ。

 あくびをしながら洗面所に行き、顔を洗って戻ってくると、椎がこっちを見て、

 クイクイと人差し指を上に向けて動かしている。

 なんだよ。

 こっちへ来いということらしいので、近づくと、

 「今日は何の日」

 と聞く。

 テーブルの上にはさっき取り出されたスポンジケーキが、型に入ったまま逆さにひっくり返されて置かれている。

 「これ、なんでひっくり返してあるんだ?」

 凝り性で器用だから、きっと手作りと言っても侮れない出来なのだろうな、とちょっとそっちに気を取られつつ聞くと、

 「へこまないようにだよ」

 と教えてくれる。

 「それより、今日は何の日か」

 邪魔なのか前髪をピンで止めて後ろにやっている椎の髪型を見ながら、

 「椎の誕生日」

 と、俺がしかたなく答えると、奴はエプロンをつけた格好で、満面の笑みを浮かべる。

 「今日はなんでもしてもらえる日」

 俺はそれを聞いて顔を歪めた。

 「その認識は間違ってるぞ。誕生日だからって、なんでもしてもらえるわけないだろう。出来ることには限りがあるし」

 「出来ることなら、なんでもしてもらえるんだ」

 椎が笑顔のまま言って、俺は、言葉に詰まった。

 「…まあな」

 嫌な予感がする。いったい何をやらされるのか。

 「とりあえずおはようのキスしてよ」

 椎に言われて、そう言えばまだおはようを言ってないし、キスもしてないことに気づいた。

 でも、いつもごく自然に椎からしてくるキスを俺からって、なんか抵抗ある。

 …けどまぁ、今日は特別ってことで、いいか。渡すものもないし。

 俺は、「おはよう」と呟いて椎を抱きしめると、唇を合わせた。

 渡すものがないと、『誕生日』の効力を最大限に使って、際限なくいろいろ求めてきそうだ…できれば、どうにかしたい。

 唇が離れると、俺は調理台の上を見た。

 今日も大学あるから出かけないといけないのに、これじゃあ朝飯も食えないぞ。

 「お前、朝何か食ったのか?」

 椎に聞くと、気づいて「ああ」と呟き、

 「すぐに片付けるよ」

 テキパキと動き始めた。

 手際よく片付ける椎を眺めていると、どう見ても浮かれているのが分かる。

 奴が鼻歌を歌っている。その合い間に、

 「今日から大手を振って、酒が飲めるなー」

 そう口にして、俺は、その言い草に呆れた。

 今までだってさんざん飲んでて、大好きなくせに。

 十九で酒好きだったって、どういうことなんだよ。

 そこまで考えてから、ハタと思いつく。

 そうだ。その手があった。

 「二十歳になったお祝いに、酒買ってやるよ。お前の好きなやつ」

 俺は具体的な物が浮かんで、嬉しくなってそう言ったが、椎はじとっとした目で俺を見た。

 「いいよ。だって、どうせ玲二は飲まないんだろ?プレゼントにもらった酒を俺一人で飲んだってつまらないし」

 う。そう言われたら…言葉もない。

 他にはやっぱ何も思いつかない。

 ということは、今日一日、俺は好きに使われる身なわけだ。

 椎は、ケーキ作りの道具を片付け終えた後、朝飯の支度をしている。

 明らかに浮かれている奴とは裏腹に、俺の中の不安は募っていくのだった。

  

  

 昨日と同じく、学食で昼を食べて、トイレに行った椎を外で待っていると、

 俺の横を一年生のグループがふざけながら通り過ぎた。

 そこに、慌てている様子の、別の一年生が紛れるように走って来ていたのだが、

 俺は全然気づかずに、一瞬後、俺とその一年生は思い切りぶつかってしまった。

 向こうも気づいていなかったようだ。

 彼が、というより、彼の肩がけの鞄が、思いっきり俺の顔を強打し、

 吹っ飛ばされて、俺はその場にしりもちをついた。

 「いってぇ」

 顔を押さえて痛みをこらえる。

 彼は「すいませんっ」と叫んで、でも、よっぽど急いでいるらしく、

 そのまま走り去っていってしまい、俺は、その場に取り残された。

 突然の出来事に呆然としながらも立ち上がり、尻をはたいていると、鼻の奥をツンとした嫌な感覚が襲った。

 こ、これは…

 前かがみになって、それが来たときに備えていると、案の定、つーっ、と鼻の中を垂れてくる感触がして、

 ポタと地面に赤い液体が落ちた。

 あーあ。久しぶりに鼻血だよ。

 「玲二!?」

 トイレから出てきた椎が、前かがみの俺と、地面の血を見て驚きの声をあげる。

 高校の頃、この体勢の俺を見て吐血と勘違いして取り乱した友達がいたので、すぐに告げた。

 「鼻血」

 すると、椎はサッとティッシュを取り出して渡してくれた。

 そのティッシュで鼻を押さえて、近くのベンチに座る。

 「なんで鼻血?急に?」

 椎に聞かれたが、

 「……」

 俺は喋れないまま上を向いて、人差し指を立てて椎にもう一枚ティッシュをもらい、血が出ている右の鼻の穴に詰めた。

 椎が隣に座って、苦笑しつつ俺を見る。

 「鼻血出してる人、久しぶりに見た」

 俺は、顔を上に向けたまま、目を閉じた。

 俺だって久しぶりだよ。

 「……」

 鞄、直撃したもんな。

 わざとじゃないんだろうけど…

 さっきの彼の様子を、なんとなくムッとしつつ思い出していたら、なんか強烈な視線を感じた。

 嫌な予感に襲われて目を開けると、椎が横から俺をまじまじと見つめている。

 「なんだよ」

 と聞くと、

 「そのポーズ、仰け反ってるみたいで、扇情的」

 奴が、ちょっと見とれたような表情で、新しい発見をしたみたいに言ってくる。

 「は?」

 わけが分からなくて、顔を歪めると、

 「写メ撮っとこ」

 椎が、携帯を取り出した。

 「ちょ、人がつらい想いしてんのに」

 「玲二はじっとしてればいいよ」

 少し離れて俺の写真を撮り始める。

 「待てよっ。鼻にティッシュ詰めてる奴の、どこが扇情的なんだよっ、お前、おかしいぞっ」

 俺が怒鳴るのなんてどこ吹く風で、俺が動けないのをいいことに、椎が何度もシャッターを切る。

 「鼻にティッシュ詰めててもかわいい玲二がおかしいんだよ」

 俺はハッとした。

 か、かわいい言ったなっ!

 許しを得たと思っているのか、最近、油断していると何気にこの言葉を使っている。

 いちいち怒らないからって、調子に乗っている。

 かわいいは、男に使う形容詞じゃないっつってるだろ。

 ……。

 だいたい俺がかわいいわけないだろーっ。

 なんか恥ずかしいのと怒って興奮してんので、鼻血が止まる気がしない。

 納得する枚数を撮り終えたのか、椎が寄って来て上からじっと見る。

 鼻にティッシュ突っ込んでる顔なんて、見栄えがいいわけがない。

 「み、見んなっ」

 怒鳴ると、ニッと笑って、顔を近づけてくる。

 「バッ」

 焦ってもあとの祭り…

 一瞬後には、俺は唇を塞がれていた。

 息がしづらいっ。みんなが見てるっ。

 顔が火照り、頭の中がパニックになって、無意識に椎をドンッと突き飛ばす。

 「バカ椎っ」

 思わず叫ぶと、奴は楽しそうに俺を見た。

 「いいじゃん。もうカミングアウトしちゃおうぜ。俺の玲二だって、世界中に言いたい」

 「……は?」

 気がふれたのか、こいつはっ。

 俺は呆然とそう思った後、鼻からティッシュを抜いた。

 「アホかっ。誕生日だからって、お前浮かれすぎっ」

 なんかネジが数本ぶっ飛んだようになっている椎に、落ち着かせようと思って言うと、

 また鼻の奥から血が垂れてくる感じがした。

 慌てて前かがみになると、地面にポタポタと血の跡がつく。

 「うわ、なかなか止まらないな」

 お前が興奮させるからだろっ。

 椎が新しいティッシュを渡してくるので、それを受け取って、もう一度鼻に詰め直す。

 「これ以上なんかしたら、許さないからな」

 俺は、椎を睨みながらそう言って、今度こそちゃんと血を止めようと、頭を後ろに倒した。

 この無防備な格好は、気が休まらなくて、たまらなく疲れる。

 ただ座ってるだけなのに。

 あーあ。今のキス、誰かに見られただろうな。も、勘弁して欲しい…

 それに鼻ティッシュの画像、消したい。

 なんかちょっと泣きたくなっていると、椎が立ち上がってどこかへ行った。

 とにかく鼻血を止めたかったし、動けないのでそのままの格好でいると、

 しばらくして戻ってきて、冷たい物を俺の額に乗せた。

 ハンカチを水で濡らしてきてくれたらしい。

 のぼせた頭と、火照った顔に、それは気持ちよかった。

 「……サンキュ」

 俺が言うと、

 「どういたしまして」

 椎が嬉しそうにして、何かをポケットから取り出す動きをした。

 なんだろうと思って目だけを椎の方に向けると、奴は箱から煙草を取り出す仕草をし、

 次いでライターで火をつけるカチャッという音が聞こえてきた。

 え。

 俺は、ハンカチが落ちないように手で押さえて、椎の方を見た。

 「お前、煙草吸うの?」

 「ああ。今日から」

 椎は、初めてにしてはむせることもなく、煙草の煙を吸っては吐き出している。

 今日から…って、決めていたんだろうか。

 俺はじっとその所作を眺めた後、体を元の体勢に戻して上を向き、ハンカチを乗せなおした。

 別に、いいけど…いいけど、でも…

 なんだか、たかがそんなことなんだけど、椎がいきなり変わったように思えた。

 俺の恋人は煙草吸う人じゃなかったんだけど。

 なんか違和感を感じて、でも、その感覚を打ち消そうとする。

 煙草を吸う吸わないの選択は、椎の自由だ。俺がとやかくいうことじゃないよな。

 今日は、椎の誕生日なんだし。

 二十歳になって喜んでるのに、その気持ちに水を差すこともない。

  

  

 鼻血がなんとか止まって、家に帰ると、椎は自分で焼いた自分の誕生日ケーキをデコレーションし始めた。

 結局、何にも買って来ていない。

 椎がクリームを泡立て、イチゴをスライスしてショートケーキ風の飾りつけをしている。

 俺も手伝おうと思ったが、奴の速やかな手の動きを見ていたら、

 俺の手伝いなんて無用、というか邪魔に思えて、少し離れて見るだけにした。

 「美味そうだな」

 「美味いよ」

 俺は苦笑する。

 自分の誕生日ケーキを、こんなに楽しそうに作る奴、初めて見た。

  

 夕飯を外に食べに行くという案も出たけれど、やっぱり二人で過ごそうということになり、

 俺はビーフシチューとサラダを作った。

 相変わらず偏ってるし、誕生日のメニューにしてはちょっと淋しいかなと思っていると、

 椎が鶏のもも肉を焼いてプラスした。

 そこにケーキも置いたら、それなりに華やかな食卓になる。

 ビールをグラスに注いで、乾杯して食べ始める。

 「二十歳の誕生日、おめでとう」

 「ありがとう」

 「これで椎は酒も飲めるし、煙草も吸えるし、免許も取れるな」

 「免許はもう取ってるけど」

 「酒も前から飲んでただろ」

 「あはは、そうだっけ?」

 とぼけられるとでも思ってるのだろうか。

 「そういえば、ローソク、なかったな」

 ケーキを見ていたら、なんか足りない気がして、気づいて言うと、

 「いいよ、なしで。二十歳の誕生日に玲二がそばにいてくれるだけで大満足だから」

 椎が、ビーフシチューを食べながら、相変わらず恥ずかしいことを照れもせずに言って、

 「毎年毎年一緒にいるって、約束してよ。今日はなんでもしてもらえる日だろ?」

 首を傾げるようにして俺を見る。

 なんでも、には『約束』なんてものも含まれていたのか。知らなかった。

 だけど、今更、そんな約束をしなきゃいけないのか?

 ちょっと照れくさい気持ちを抑えて、奴に応える。

 「俺はもう、ずっとそばにいるって決めてるけど」

 今日は、誕生日だからちゃんと気持ちを伝えてやろう、と思ってそう口にしたら、椎が嬉しそうにして、

 「俺、やっぱり物よりこっちの方がずっといいな」

 と呟いて、浮かれた感じで食事を続け、食べ終えると、自らケーキを切り分けてくれる。

 それから椎は、改めて椅子に座りなおし、

 「今日はなんでもしてもらえる日だよな」

 と何度も繰り返した言葉を、また繰り返して確認した。

 「だから、その認識は」

 俺が言いかけると、椎が手で俺の口を押さえるような仕草をする。

 「いいよ。出来ることしか言わないから」

 そして、ニッと笑った。

 「じゃあね。まずケーキを食べさせて」

 「は?」

 眉を寄せて椎を見ると、口を開けて俺がケーキを入れるのを待っている。

 俺は、一瞬引いたけど、ま、このくらいならいいか、とフォークでケーキを一口分取って、椎の口に運んだ。

 こういうの、ほんと好きだよな。

 「あーん」

 と言う前から開いてたけど、とりあえずなんというか合図のようにそう言って入れてやると、それを食べて、

 「うま」

 椎はむちゃくちゃ嬉しそうな顔をした。それから、おかしそうにする。

 「気が進まないみたいな顔しといて、クリームとスポンジとイチゴをバランスよく取ってくれるとこが、

 玲二の優しさなんだよなぁ」

 俺は、それを聞いて「えっ」と思う。

 言われてみれば、確かに、そうしたかも…

 でも普通、そうするよな。たとえ気が進まなくても。

 「……」

 なんかムズムズした気分になりながら、自分の分のケーキを食べ始めようとした。そのとき。

 「ちょっと待ったっ。まだ俺のターン」

 な、なにが!?

 椎はフォークを持った俺の手を掴んで、俺が食べようとするのを阻んだ。

 「なんだよっ」

 「まだ一口しか食ってない」

 「自分で食えばいいだろっ。まさか全部俺がフォークでお前の口に入れるとか言うんじゃないだろうな」

 お前は王様かっ?それとも幼児なのか!?

 「違うよ。今度は手で食べさせて」

 「……は?」

 「だから、直接ケーキを手で持って食べさせて」

 「手が汚れるだろうが」

 それに、何考えてるかだいたい分かるぞ。

 俺はハッキリ言ってやった。

 「俺、まだ寝ない」

 手で食べさせたら、絶対指を舐めてくるに決まってる。

 そうしたら、その後なし崩し的にそっちの流れに持っていく気なのだ。そうに違いない。

 「あ、今やらしいこと考えただろ」

 「お前がな」

 お互いに笑いながら、牽制するように顔を見合わせる。

 「とにかく残りは自分で食べろよ」

 「あれ、出来ることはしてくれるんじゃないの?」

 「でも、手で食べさせるのは、やだ」

 寝ることになるから。

 キッパリ言うと、椎はじっと俺を見たあと溜息をついて、

 「せっかく気持ちよくしてあげようと思ったのに」

 残念そうにしたけど、すぐに気を取り直した様子で笑う。

 「まあいいや。エッチは夜にとっとく」

 俺はホッと安堵した。

 手を舐められてたら、たぶん俺の方が感じてしまって、またやらしいのは俺の方的な展開になってたような気がする。

 椎が自分でケーキを食べ始めて、やっと俺は自分の口にケーキを運ぶことが出来た。

 一口食べて、手を止める。

 「……」

 むっちゃ美味いな、このケーキ。

 あまりのおいしさに、パクパク口に入れていると、ケーキを食べ終えた椎が、煙草に火を点けて、吸い始めた。

 煙が流れてきて、ケーキの味と混ざる。

 俺は、皿に取った自分の分を食べ終えて、

 「ありがとう。これ、すごく美味かった」

 と言ってから、まだ吸っている椎を見た。

 「椎…あの、これからも吸うなら、悪いけど離れて吸ってくれるかな」

 煙草臭さに、思わず手で鼻を覆う。

 「俺、煙草の煙、苦手なんだ」

 椎が、俺の言葉に顔を上げる。

 この日にわざわざ、椎の機嫌を損ねるようなことを言いたくもないけど、臭いが我慢できない。

 外で他の誰かが吸っているのを嗅いでもそうだ。

 体にも悪いし、出来れば吸わないで欲しい気もしたけど、そこまで言う権利は俺にはない。

 椎は、俺の気持ちをさぐるようにじっと見つめていたが、

 「玲二が嫌なら、俺、吸うのやめるけど」

 そう言って、俺がまだ何の返事もしないうちに、

 携帯灰皿を取り出して口を開け、咥えていた煙草をその中に入れた。

 「別にやめろなんて言ってない。お前が吸いたいなら吸えばいいと思うけど、俺のそばでは吸うなってこと」

 俺は言ったけど、でも、椎はもう決めたようだった。

 こういう表情をしたときは、何を言っても撤回しない。

 「言っただろ。俺は、玲二を気持ちよくしたい。だから、玲二が嫌ならやめる」

 「俺に合わせなくてもいいって」

 「だって、煙草吸うなら玲二を離れなきゃならないんだろ?そんなの嫌だし」

 「……」

 「俺はいつも考えてる。どうしたら玲二を気持ちよくさせてあげられるか。

 ちょっとでも不快なことがあるなら、取り除きたい」

 真剣な顔で言われ、俺はなんかまたムズムズしてきて、椎から目を逸らした。

 「お前、それ甘やかし過ぎだから」

 「甘やかされ過ぎるといいよ」

 「……」

 微妙な言い回しに、なんとも言えない気分になる。

 俺は嬉しいのか?にしてはこのムッとした感じはなんだろう。

 それに、不快なことも結構されてる気がしたり、しなかったり…

 ほら、鼻血のときの写メとか。

 椎は俺が不快だと感じてるってことに、気づいてないのかも知れないけど。

 いや、よく考えたらハッキリ「不快!」って言えるほどのことはされてないのか…?

 なんか分からなく…

 俺が頭の中でグルグルしていると、椎が、煙草とライターと灰皿を手に、ベランダの方へ行き、振り返った。

 箱から煙草を取り出して指にはさみ、

 「じゃあ、これ一本吸ったら、煙草はやめる」

 そう言うと、窓を開けて外へ出る。

 ライターで火をつけ、紫煙をくゆらせながらゆっくりと煙草を吸う椎が、下の小道を見下ろしているので、

 なんとなく俺も窓際に寄って行くと、奴が外から話しかけてきた。

 「これからは、葉桜が綺麗なんだよな。こう、葉っぱがツルツルピカピカ光って。

 玲二に近づきたくて仕方がなかった頃もそうだった」

 思い出しているのか、眩しそうに目を細める。

 椎は、その後黙って煙草を吸っていたが、満足したらしく途中でそれを携帯灰皿に放りこんだ。

 それから俺を見て、聞いてくる。

 「キスしてもいい?」

 「え。なんだよ急に…」

 俺が、驚いていると、椎が体を半分こちら側に入れて、俺の手を取り、すぐに唇を重ねてくる。

 すると、辛(から)いような苦いようなツンとした味が舌を刺激してきて、

 「苦…」

 俺は、離れて顔を歪めた。

 「このキスの味は、これが最初で最後」

 椎が、優しい目で俺を見ながら微笑む。

 その言い方が、なんか大人っぽくて、ドキッとした。

 手を掴まれたまま、どうしていいか分からず視線を落として俯くと、それを追うようにして、椎が俺の顔を覗き込む。

 「もうちょっと味わっとく?」

 唇を至近距離まで寄せて、そんなことを聞いて来て、俺は引き寄せられるように自分から唇を合わせてしまった。

 目を閉じて、椎の口の中の隅から隅までを味わうようなキスをすると、今度は椎が同じようにして、俺を味わう。

 少し息遣いが荒くなって腰が疼き始めたところで、唇を離すと、自然に言葉が出た。

 「椎、誕生日おめでとう」

 見つめる俺を、椎が見つめ返す。

 「ありがとう」

 それから我慢できないというように、俺の首筋に顔を埋めた。

 耳元で囁く。

 「続き、ベッドでしよう」

 俺は、くすぐったくて首を竦めた。

 「…夜までとっとくんじゃなかったのか?」

 「無理」

 それから椎は顔を上げて、

 「玲二は、俺がどんだけ玲二のこと好きか、やっぱりいまいち分かってないみたいだから、

 今日は一から教え直してあげるよ」

 また唇を合わせ、俺を抱きしめるようにしてベランダから中へ入ってくると、後ろ手に、窓を閉めた。

 

 

 

 

                                     了

 

 

 

 2010.04.11

 

 

 

 

 

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