第一話 再会1


 (真樹視点です)

 

 

 ドアノブの回る気配がした。

 それから、ドアの開くカチャッという音。

 呼び鈴も押さず、何も言わずに突然入ってくるのは、

 泥棒か鏡太郎(きょうたろう)しかいない。

 だけど、鏡太郎の筈がない。そんな筈はないのだ。彼がここにいる筈が。

 あれから約一年が経過している。

 長い時間を経た今、この時を選んでわざわざ現れる理由も見当たらない。

 じゃあ誰なんだ?こんな何もない部屋に盗みに入る物好きがいるとは思えないが。

 

 瞬時に、それだけの思考が頭をよぎり、僕は泥棒だった時のために、

 ペン立てに入っているカッター(それは果たして僕のような男が握りしめることによって

 凶器になり得るのかどうか、ちょっと疑問)に手を伸ばしながら、

 一応身構えつつ振り返った。

 部屋に入ったらとりあえず鍵をかける、

 という一連の動作を習慣にしなかったことを頭の隅で後悔しつつ。

 果たして―

 

 そこにいたのは、泥棒ではなかった。

 「真樹(まさき)、久しぶりだな」

 小柄な体も、茶目っ気たっぷりで自信に満ちた喋りかたも、変わっていない。

 紛れもない、友達の早瀬鏡太郎だった。

 

 足元がかなり冷え込むようになってきていたけれど、

 炬燵に入ると寝てしまうという理由でそれを出すことをせず、

 足元に電気ストーブを設置して、机に向かって書きものをしていた僕は、

 カッターに向けて伸ばしかけた手を降ろし、

 ほんの少しの「泥棒でなかったことに安堵する気持ち」と、

 心の大半を占める「それにしても何故という気持ち」を同時に抱きつつ、

 思わず椅子から立ち上がった。

 「鏡太郎」

 懐かしい名前が口をついて出る。

 驚いている僕に向かって、彼は嬉しそうに笑いながら近づいて来た。

 僕は、どうしてと理由を聞きたい強い気持ちにかられたが、

 今そう聞いたら出て行ってしまいそうな気がしたので、

 その気持ちを抑えて座布団を指差した。

 「ああ。まあ、座れよ」

 僕は言ったが、彼はそうするつもりがないようで、

 僕が飲んでいた机上のコーヒーを、立ったままじっと見る。

 「美味そうなもん飲んでるな」

 僕は、鏡太郎が無類のコーヒー好きだったことを思い出した。

 「鏡太郎はお茶よりコーヒーの方がいいかな。飲めるか?今、淹れるから」

 そう言いながらシンクの前に立とうとすると、彼は

 「いいよ。それよりゲームやらせて」

 と傍らに置かれたゲーム機に歩み寄った。

 「あ、ああ。そうか。俺はもうずっとゲームやってないんだけど…

 ホコリかぶってるよ、きっと」

 「そんなん全然気にしない。それより、途中のヤツがあってさ。

 それが気になって気になって」

 そう言うと、鏡太郎はゲームソフトを突っ込んであるプラスチックの箱に手を伸ばし、

 そこを掻き回して目当てのソフトを見つけ出した。

 箱には蓋がなかったので、ホコリがかなりたまっていた。

 それがフワフワと舞って、その様子を見ただけで胸が苦しくなった。

 実際に吸い込んでもしまったようで、ケホケホと咳が出る。

 が、鏡太郎はそんな事お構いなしに、

 「ああ、これこれ」

 嬉しそうにそう言って、ゲーム本体の電源を入れるとソフトをセットした。

 それからテレビの画面に向かって、あぐらを組んで座る。

 「家には行ったのか?」

 恐る恐る聞いてみると、首を横に振る。

 「いーや」

 「…そうか」

 行けないよなぁ。

 「あいつらのとこ行ったら、うっとうしいことになっちゃうからさぁ。

 俺、ここへ来たんだ。お、この感じ、懐かしいなぁ」

 僕は、テレビの画面と、器用にコントローラーを操作する小さな手に目をやった。

 ゲームのキャラクターが鏡太郎の思い通りに動き回る。

 実体もちゃんとあるらしいことに、心の中でへぇと感心する。

 帰って来たのだ…本当に。

 その想いからか、それとも彼の存在に影響を受けているのか、

 いつの間にか全身に鳥肌が立っていた。

 静かに…とても静かに驚きの感情が湧いてくる。

 いや、本当はとても、心臓が飛び出しそうになるほど驚いている。多分。

 でも必死に抑えているのだ。

 …いや、そうでもないのか?

 相変わらず僕は自分の気持ちを把握するのが苦手だった。

 いつも曖昧で、自分自身でも捕らえられない。

 あれから一年近くを経た今でも。

 鏡太郎は、僕の所ならうっとうしいことにはならないと思ってるらしい。

 つまり、非現実的なことも受け入れられる人間だと判断している?

 それとも、驚いてもうるさく騒ぎ立てない奴ってことか?

 「……」

 ―それにしても。

 僕は、鏡太郎の後ろ姿に目をやる。

 どうして今、現れたのだろう。

 まさか、ゲームをやりたいという理由だけではないだろう。

 

 鏡太郎と僕は、以前この部屋で一緒に暮らしていた。

 大柄な僕と小柄な彼は、中学時代からの友達で、大学に進学する時この部屋を借りて、

 家賃を半分ずつ出し合って生活していたのだ。

 でも、今は僕が一人で住んでいる。

 本当を言うなら、そんなに余裕があるわけでもないから、帰って来てくれると嬉しい。

 だけど、こんな形ででも契約は有効だろうか?

 「そう言えば、安浦さんとはうまく行ってんのか?」

 ゲームをやりながら鏡太郎が質問する。

 多分、僕の元彼女のことを言っているのだろう。

 「もうとっくに別れたよ。どうでもいいけど、安永」

 「ああ、その安永さん。なんだ。別れたのか。ふーん。なかなかかわいい子だったのに」

 「昔の事だよ」

 僕は、安永之江(のえ)と付き合っていた当時のことを思い出した。

 まだ一年も経っていないから、昔と呼ぶには相応しくないのかも知れないが、

 なぜかとても遠い出来事に思えた。

 確かに彼女はかわいかった。

 それに優しい性格で、大らかになんでも受け入れてくれる子だった。

 僕なんかにはもったいない人だった。だから、別れたんだ。

 「けんかでもしたのか?それとも彼女が浮気したとか?」

 「どっちでもない。俺が連絡しないようにして、自然に会わなくなった」

 鏡太郎が手を止めて、僕の顔を信じられないというように眺めた。

 「なんでだよ。お前は安村さんが好きで、彼女もお前のこと好きだったんだろう?」

 「多分…」

 安村じゃなくて、安永だけど。もう、なんでもいいや。

 彼女はかわいくて、一人で歩いていると、よく声をかけられるようだった。

 たくさんの誘いを断って僕を選んでくれるのは嬉しかったけど、

 そのうち疑問に思い始めてしまった。

 どうして、僕といっしょにいてくれるんだろう。

 彼女なら、選り取り見取りに違いないのに。

 もっと自信を持てば良かったのかも知れない。

 でも僕は、彼女といると逆にどんどん自信を喪失していく自分を感じていた。

 それも嫌だった。

 「バカだなぁ。彼女泣いてるぞ」

 「そんなことないさ。今ごろ似合いの彼を見つけて、幸せになってるって」

 「……」

 鏡太郎は、納得がいかないというように首を傾げたが、僕はもうその話はしたくなかった。

 「もういいだろ、彼女の話は。それより、お前はなんでここに来たんだよ」

 僕は話の流れに任せて、理由を聞くことができた。

 「真樹に言いたいことがあったんだ」

 鏡太郎は、振り返りもせずゲーム画面を見つめたまま答えた。

 「なんだよ」

 「ん…忘れた。ここに来たら忘れちまった」

 ちょっと身構えた僕は肩透かしを食らった形になって笑った。

 大事なことじゃないんかい。

 「いい加減だなぁ」

 相変わらずな性格に呆れていると、彼は、

 急にゲームのリセットボタンを押して、電源を切った。

 真剣な表情をして、僕を見る。

 「今は、彼女いないのか?」

 「あ?ああ。いない」

 鏡太郎は、すっくと立ちあがり、玄関へと向かった。

 「ちょっと俺について来い」

 「え。どこに行くんだよ」

 それには答えず、彼は玄関へ向かうとドアを開けた。

 僕も慌てて上着を羽織り、靴を履いて彼に続いて外へ出る。

 晩秋とは言っても、今日は外の空気がキンとして真冬のように冷たく、

 僕は思わず二の腕の辺りをさすった。

 空は高く青く澄んでいる。

 「いい天気だな」

 鏡太郎は寒さなんか感じないみたいで、空を見上げて嬉しそうに笑った。

 「ああ。雲が全然ないな」

 鏡太郎に背を向けて、ドアに鍵をかける。

 振り向くと、鏡太郎は少し離れた場所にいてこっちを見ていた。

 僕が駆け寄ったら、

 「お前、また背伸びたんじゃないか?」

 見上げながら聞く。

 「ああ。恐ろしいことに、まだ伸びてる」

 こうして同じ場所に立つと、二人の身長差は歴然だ。

 大柄な僕は鏡太郎を見下ろし、彼は僕を見上げた形での会話になる。

 鏡太郎は、フンと小さく笑って鼻を鳴らした後、足早に歩き出した。

 彼が歩き始めた方向へと一緒に歩く。

 どこへ行くのだろう。

 肩で風を切るようにして、少しだけ先を歩く鏡太郎。

 背が低いと言うことはコンパスが短いってことで。

 それを認めたくない鏡太郎は、いつも僕の先を進む(多分かなり無理をして)。

 この勝気な後ろ姿を、また見られて、嬉しいような切ないような。

 そう思ってから、ふと考える。

 彼がこうやって目の前にいることを不自然に感じない自分って、どうなんだろう。

 多分、おかしいんだろうな。

 …だけど、僕は前からなんとなく予感していた。

 鏡太郎がこんな風に現れる日が、いつか来るんじゃないか、って。

 こんな風に現れたって、彼ならちっとも不思議じゃない気がする。

 実際、鏡太郎がここにいることに違和感は感じられない(少なくとも僕には)。

 昨日までそばにいなかった事のほうが間違いに思えるくらいだ。

 「お前、今もあの能力を使えるのか?」

 スピードを緩めることなくスタスタと歩き続ける鏡太郎に、後ろから声をかける。

 けれど彼は、振り返らなかった。

 それで、試しに彼の後ろ姿を見つめながらその背中に向かって思念を送ってみる。

 『おい、聞いてるだろ?』

 すると、鏡太郎は足を止めた。おもむろに振り返る。

 『ああ。使えるみたいだ』

 ふいに、頭の中で声が響く。

 その感覚に思わずビクッとする。

 初めてじゃないけど、このやりとりは約一年ぶりだ。

 後頭部にフワッとした浮遊感のようなものを感じる。

 忘れていた、ちょっと気持ち悪い感覚。

 鏡太郎とはテレパシー

 (僕はその世界のことについては詳しくないけど、世間ではそう呼ぶようだ)

 を使って話ができる。

 どうやら能力を持っているのは僕じゃなく、彼のほうみたいなんだけど。

 そして、それを知っているのは、彼曰く僕だけらしい。

 鏡太郎自身は、この能力をあまり知られたくないようだったから、

 僕もあまり詳しく聞いたことがなく、つまり、

 ただ声に出さなくても話ができるという事実以上のことはよく知らなかったりする。

 「で?使えるとなんだってんだよ」

 鏡太郎は少し不機嫌になったのか、むすっとした口調で声に出して言った。

 「いや、何ってこともないけど、一応、確認」

 僕も口に出して言うと、彼がじっと見つめてくる。

 「な、なんだよ」

 「お前、ちゃんと食べてるか?」

 彼の視線は、僕と目を合わせているようで、微妙に下のほうを向いている。

 気づかなかったけど、僕の目の下にクマでも出来ているのだろうか。

 「食べてるよ。俺が料理できるの知ってるだろ?」

 笑いながら質問を質問で返すと、ふーっと息を吐いて首を振った。

 「お前が自分のためには手間をかけない奴だってことは知ってる。

 俺がいるときは料理してたけど、今はしてないだろ」

 「……」

 図星だった。ほとんど毎日、買ってきた惣菜などで簡単に済ませてしまっている。

 一人分の料理を作るのは案外その気になれないものだ。

 笑顔が固まる。鏡太郎から目をそらす。

 「別に…問題ないよ。それで充分だ」

 「充分なわけないだろ。お前、まだ成長してんだぞ」

 う、そりゃそうだけど。

 成長してるからってどんどん食べればいいってもんでもないだろう。

 これ以上デカくなるのも考えものかと思う。なぜなら…

 目立つんだよっ。目立ちたがりの性格じゃないのに、見た目目立つんだよっ。

 「お前がそんな心配する必要ないよ。体力維持に充分な量は食べてる」

 「せっかくの料理の腕が下がっちゃ、もったいないだろうが」

 「そっちか」

 「そっちも、だ。とにかくちゃんと喰えよ」

 強い調子で念を押されて、ムッとする。

 それを聞いたら、言うつもりはなかったけど黙っていられなくなった。

 「じゃあお前は?お前だって、まだ成長してるんだぞ。

 俺よりずっと伸びるに決まってるのに、俺より食べなきゃいけないはずなのに、

 それも出来ないなんていいわけないだろ?」

 「……」

 鏡太郎は、それには答えない。

 それで、僕もそれ以上言わない。言えない。

 二人黙って歩き続ける。

 辺りの景色が、やがて見知った場所になってきたことに気づいて、立ち止まった。

 「ちょっと待てよ。ここは」

 僕は道の先にあるマンションを見上げた。以前はよく訪れた場所。

 でも、もう11ヶ月も訪れていない。

 11ヶ月…って、会わなくなってから何ヶ月過ぎたか数えている事自体、

 実は未練があるのかも知れないな。

 ここは、さっき話題に挙がった安永之江、つまり僕の元彼女が暮らすマンション。

 「まさか、ここに連れて来たわけじゃないよな」

 鏡太郎は僕の問いに小さく肩をすくめた。

 「ここに連れて来たかったんだけど?」

 「なんで」

 「彼女と仲良くして欲しいから」

 「もう彼女じゃないんだ」

 「ちゃんと別れたのか?」

 「…いや」

 言葉に詰まる。

 「ほらみろ。彼女じゃん」

 鏡太郎は、嬉しそうにしてスタスタとエントランスの方へと歩いていく。

 一体どうしようってんだよっ。

 僕は、慌てて呼び止めた。

 「鏡太郎、待てって!頼むからっ。もう一年近く会ってないんだ」

 それを聞いて、鏡太郎がピタッと足を止めた。   

 

 

 

 

 

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