第四話 明日2


 

 

 小学生の頃だった。

 『それ』を見ていて、動けずにいた私に、友達が心配そうに声をかけてくれた。

 「寧々ちゃん、どうしたの?」

 友達の梨子(りこ)ちゃん。彼女はいつも、ちゃんと私の話を聞いてくれる。

 ひょっとして、彼女になら話しても大丈夫かも知れない。

 私は、そう考えて、それを見終わってから、実際にそうした。

 「梨子ちゃん、私ね。未来が見えるの」

 彼女は、私の言葉に「え…?」と驚いてから、笑った。

 「嘘。そんなの、見えるわけないじゃん」

 「嘘じゃないよっ。本当に見えるんだもんっ」

 私が真剣に言うと、彼女はちょっと真面目な表情になって少し考えるようにし、

 それから質問してきた。

 「じゃあ聞くけど、未来って、例えば、どんな未来が見えるの?」

 「え…どんな、って」

 私は、最近見た未来の内容を、記憶を探って思い出し、思い浮かんだままを口にした。

 「みんながご飯食べてるとことか、鉄棒で遊んでるとことか…」

 それを聞いた梨子ちゃんが、小さく笑いを漏らす。

 「ふーん。で、そこで何が起こるの?」

 「え…。別に、何か起こるってわけじゃ…」

 その言葉に、梨子ちゃんは、がっかりした様子を見せた。

 「なーんだ。そんなの見てなくたって、私だって言えるじゃない」

 そう言ってから、ちょっとショックを受ける私を、怒ったみたいな表情で見た。

 「未来が見える、だなんて、自分だけ特別だって言いたいの?寧々ちゃん、おかしいよ」

 私は、彼女の言葉に慌てた。

 「違うっ、そうじゃなくって、私が言いたいのは…」

 ちゃんと伝わっていないことと、信じてもらえないことが悲しくて、

 ちょっと泣きそうになった。

 「もういいよ。それよりさぁ…」

 梨子ちゃんは、それ以上その話を続けたくないようで、自分から話題を変えた。

 

 それ以来、私は誰にも、自分の能力のことを話していない。

 

 

 

 

 

 

 

 「音を発することなく会話が出来る」

 それが鏡太郎君の能力だった。

 「心が読める」のとは違っていて、相手の考えを知ることが出来るわけではないし、

 相手が答えなければ会話は成り立たない。

 でも、とにかく言葉を口に出さなくても、言いたいことを伝えることが出来る。

 役に立つ能力。

 

 そして。

 私、斉藤寧々の能力は「未来が見える」というものだった。

 要するに予知能力―

 と言うとなんだか聞こえがいいけれど、でも、私のそれは鏡太郎君の能力とは違って、

 あまりにも不安定、かつ、何の役にも立たない代物だった。

 

 見たい時に見たいと望んだ未来が見られるわけでなく、この先の生活上に起こる出来事の、

 どこか一場面が、ふとした瞬間に、切り取られて勝手にポンと頭に浮かぶ。

 見たところで、どうということのないシーンがほとんどで、

 頻度は、週に何度も見ることもあれば、ひと月以上見ない時期もあり、まちまちだった。

 それも、友達や家族、その他知り合いの未来の場面ばかりで、

 そこに自分が登場することはない。

 そしてこの能力は、役に立たないくせに、人と喋っている時や、

 何か大事な事をしている時にもふいに働いて、私の思考や行動を中断させた。

 

 もっと役に立つ能力なら良かった。

 どうしてこんな力があるのか。

 こんな能力いらない。

 

 それでも。

 どうしても拒めない力だと言うのなら、

 せめて、自分とあの人の未来を見せて欲しかった。

 そうしたら…騙されることもなかったのに。

 

 

 

 あの雨の日から、約一年が過ぎようとしていた。

 細かく言えば、十一か月。

 「何かあったら連絡下さい」

 と番号を渡した私の携帯に、これまで電話がかかって来たことはなく、

 昨夜こちらからかけて聞いてみたら、鏡太郎君は、やはり相変わらずの状態であることが分かった。

 

 十か月ぶりのお見舞い。

 私のことを覚えていてくれるだろうか。

 

 家を出てから彼の病室まで、いろんなことを考える。

 鏡太郎君のあの能力は、消えてしまっていないだろうか。

 詩生君は、今もまだ毎日通っているのだろうか。

 鏡太郎君の病状に変化がなくとも、経過した長い時間が何かを変えているかも知れなかった。

 

 

 やがて病室に辿り着き、ドアの前に立ち、ノックをする。

 中から「はい」と返事が聞こえてきて、その聞き覚えのある声に、ハッとした。

 二人は続いている―

 分かっていた筈のその事実に、少し衝撃を受けている自分を感じながら、

 ノブに手をかけてドアを開くと、声の主である詩生君の姿が目に入る。

 「斉藤さん」

 覚えていてくれたらしく、彼は私を見ると、

 座っていた椅子から立ち上がって、笑顔を浮かべた。

 「こんにちは」

 と挨拶をすれば、

 「こんにちは。お久しぶりです」

 そう返して、ぺこりと頭を下げる。

 彼が当たり前のようにそこにいることに、私は、嬉しいような、

 それでいてちょっと妬ましいような、複雑な気分になる。

 どうして続いているの?

 それは多分、私の正直な気持ち、本音というものだった。

 看病疲れでやつれているんじゃないかと詩生君の様子を窺ってみても、

 そんな感じは見受けられない。

 「来てくれたんですね。ありがとうございます」

 彼からは、前に見たときと変わらない、朗らかでかわいらしい印象を受けた。

 ただ、私に対する態度が、前よりも少しだけ好意的に思えるのは…

 気のせいだろうか?

 詩生君の感謝の言葉に、私は、首を横に振る。

 「ううん。ごめんなさいね。なかなか来られなくて。…あの、鏡太郎君は…?」

 鏡太郎君の容体を聞くと、詩生君がベッドに横たわる彼に目をやり、

 「あれから、良くも悪くもなってない感じで…あんまり変わってないんですけど、

 でもここのところ顔色も良くて、調子いいみたいです」

 嬉しそうにして、私もつられるように、ベッドに寄って彼を見た。

 確かに、前に見たときとあまり変わっていないように見える。

 「ほんと。顔色はいいみたい」

 ホッとして、そのまま鏡太郎君の顔をじっと見つめていたら、

 「どうぞ」

 詩生君が椅子を勧めてくれた。

 「ありがとう」

 それに腰かけると、彼は、前回と同じように、脇の小さなテーブルで、お茶の用意を始める。

 そんな彼を横目に、私は再び鏡太郎君へと意識を向けた。

 心で話しかけてみる。

 『鏡太郎君。こんにちは。起きてる?』

 彼からは、すぐに反応があった。

 『うん、起きてる。寧々さん。こんにちは。久しぶりだね』

 それだけ聞くと、病人とは思えないくらい元気で明るい口調で返してくる。

 それと同時に、私は、彼の能力が失われていなかったことを、

 嬉しく思っている自分を感じた。

 『うん。なかなか来られなくて、ごめんね』

 『そんなこと、いいよ。今日は来てくれてありがとう。嬉しい』

 そう言われて、彼からは見えないと分かりつつ、思わず笑みを浮かべた。

 そんなに歓迎されると、ちょっと照れくさくなってくる。

 それに、時の経過を忘れてしまいそうになるくらい、

 彼の話し方の印象は、前来たときと変わらない。

 『俺、マジで人との会話に飢えてるからさ。ほんと、嬉しいよ』

 彼が冗談っぽく続けて、また笑いそうになったところで、でもすぐにそれが、

 自分が思っているより真実味のこもった言葉であることに気づく。

 ほとんど普通に、と言ってもいいくらい自然に彼と話せてしまっているので忘れがちになるけれど、

 彼は本当は人と話せないのだ。

 長いこと、人と会話できないのは、とても辛いことだろうと想像したら、

 なんとも言えない気持ちになった。

 『そうか…。そうだね。約一年もそんな状態なんだから、辛いよね』

 彼の置かれた境遇を思って、しみじみとそう口にした時、詩生君がお茶を持ってきてくれた。

 お礼を言って受け取る私に、彼が微笑む。

 「今日は、お休みなんですか?」

 聞かれて、「ええ」と頷く。

 彼は、私が何故急にここへやって来る気になったのか、知りたいのかもしれない。

 そう思って、

 「今日は…あれから一年近く経って…鏡太郎君、どうしてるかと思って…」

 聞かれてもいないけれど、なんとなく自分から、それらしい理由を口にする。

 詩生君は私の言葉に、納得したように頷いて、言った。

 「斉藤さんが来てくれて、鏡くん、喜んでると思います。

 たくさん話しかけてあげて下さい」

 そして、その後、私の気持ちを窺うようにして問いかけてくる。

 「あの、僕、外に出てたほうがいいですか?

 …その方が、鏡くんに話しかけやすいなら…」

 詩生君は、前のように気を遣ってくれようとしているようで、

 それを聞いた私は、ゆっくりと首を振った。

 「ううん。ここにいて大丈夫」

 私が答えると、彼はまた頷いて、近くにあった椅子に腰かける。

 それから、鏡太郎君に再び視線を移したら、彼が『寧々さん』と呼びかけてきた。

 『ん?』

 答える私に、

 『俺たち、何も変わってないように見えるかも知れないけどさ…

 あれから、割といろんなことがあったんだ』

 鏡太郎君は思い切ったような口調で切り出し、

 少しだけ躊躇うように間を置いてから、告げる。

 『俺、詩生に話したんだ。超能力(ちから)のこと』

 『え』

 私は驚いて、思わず彼の顔をまじまじと見た。

 まるで自分がそれをしたかのように、心臓がドキドキし始める。

 彼は、恋人に自分の能力を明かした…

 それを想像するだけで、身が竦むような思いがする。

 私には出来ない。

 でも、鏡太郎君は明かして…そしてその結果、詩生君は今もここにいる。

 という事は…

 『…受け入れてもらえたんだね』

 『うん』

 鏡太郎君が素直に答えて、

 『そっか』

 私は、二人の関係に感心した。

 『すごいね…』

 私は言えない。そんな勇気も覚悟も、私には、ない。

 あの人との間に、そんな親密な空気も信頼関係もなかったし、

 何より、私は愛されてなどいなかったのだ。

 言えるはずもなく、今思えば、言わなくて良かった。

 そう思うのと同時にやるせない感情が、胸に溢れ出る。

 私は…、私の恋は、彼らのそれとは、なにもかも違ったのだ。

 そう思ったら、いつの間にか奥歯をグッと噛み締めていた。

 心臓の鼓動がさっきよりも高鳴り、同時に、

 『鏡太郎君。私ね』

 心が勝手に言葉を紡ぐ。

 こんなことを、自分よりも年下の、

 まだ少年っぽささえ残す彼に話していいものか、一瞬迷った。

 でも、彼は実際、思うほど子供でもなく、人を愛することも知っている。

 何より、このもやもやと濁った自分の気持ちを誰かに聞いて欲しくて、

 私は、そのまま話を続けた。

 『あの時、人を刺しに行くとこだったの』

 『…え?』

 真実を打ち明けると、鏡太郎君の驚く気配がした。

 『あの時、って』

 『あの事故の夜。…恋人を』

 と口にしてから、ふっと息を吐く。

 『…違うか。恋人だと思ってた人を』

 自分で言いながら、切なくなる。

 そう思っていたのは、私だけだった。

 愛していたのは、私だけだった。

 『彼、私とつきあいながら、他の女性ともつきあってて…

 その人と結婚することにしたから、別れてくれって』

 『……』

 鏡太郎君からは何の言葉も聞こえて来ない。

 私の話を聞いて驚き過ぎたのか、呆れてしまったのか。

 どんなふうに思ったのかは、分からなかった。

 けど、ここまで話してしまった以上、もう話を止めることは出来ない。

 私は、その勢いのまま、さらに続けた。

 『そんな人がいるなんて知らずに、私は彼に尽くして、貢いで、

 彼の為に何が出来るかってことばかり考えていたのに…』

 愛されていないことにも気づかず。

 欲しがるものを全部あげたし、なんの疑いもなく彼を愛したし、彼を信じていた。

 『他の人とつきあいながら、私を嘲笑ってたんだと思ったら、許せなかった』

 あの日。天気は最悪だったけど、そんなこと関係なかった。

 事実を知って、他のことは何も考えられなくなって、

 感情の高ぶりのままに、包丁をタオルにくるんで、鞄に入れた。

 時間や想いやお金…とにかく、全てを捧げた私の気持ちを、

 全てを台無しにした彼に、思い知らせてやりたかった。

 そんな想いを胸に、彼の家に向かっている途中で、鏡太郎君の事故に遭遇した。

 そうして、病院に付き添った私が彼の元に行くことはなく、

 彼に会わないまま、抱いていたはずの殺意も、結局、うやむやになり…

 あのタイミングを逃した今、あのときと同じ熱さと昏(くら)さで、

 あの負の感情を抱くことは、もう出来そうにない。

 『悔しくて、悲しくて…。

 あのとき、私は…彼を、刺しに行くとこだったの』

 自分の罪を懺悔するような気持ちで、もう一度繰り返すと、

 泣き笑いの感情を含んだ口調になった。

 沈黙が訪れる。

 しんとした空気の中、私は少しの後悔にも似たものに捕らわれて、目を閉じた。

 重い話をしてしまった。

 やっぱり話すべきじゃなかったのかも知れない。

 誰かに聞いて欲しくて、話してしまったけれど…

 そう思った後、判決を待つ罪人のように項垂れていると、

 長い沈黙を破って、鏡太郎君が静かに発した。

 『…俺、邪魔したんだね。寧々さんの』

 少し申し訳なさそうに口にした思わぬ言葉に、私は驚き、それから首を横に振った。

 『邪魔、だなんて。そうしてくれて良かった。

 今は、分かるもの。それが馬鹿げた行為だって』

 落ち着いた今なら、分かる。

 あの人を殺したって、何も戻らないし、事態は何一ついい方向へは向かわなかった。

 今でも、騙されたことは悔しいと思うし、時々憎いと思うこともあるけれど、

 でも、あの時の私は、明らかに、どうかしていた。

 『俺…』

 しばらくして、鏡太郎君が口を開き、

 『ごめん…詳しいこととか全然知らないのに、

 こんなこと言っていいのかよく分からないけど…』

 考えながら、という感じで、ゆっくりと喋る。

 『俺、寧々さんが、その人を刺さなくて良かったと思う。

 そんなことで、寧々さんに人生を棒に振って欲しくないし…

 それに、そんな男、刺すほどの値打ち、ないよ』

 鏡太郎君は、優しい言葉で私をフォローしてくれて、

 それを聞いて、私は少しだけ救われたような気持ちになった。

 けど。

 「お前って、何考えてんのか分かんねぇのな」

 いつだったか、私を騙した彼が、私に吐いた言葉が脳裏に蘇る。

 私は彼を、どんな時も怒らなかった。責めなかった。

 ただ彼を信じようとするばかりで、真実を見ようとしなかった。

 …多分、私にも非があった…

 私が物思いに耽っていると、鏡太郎君が、思い出している口調で、話し出す。

 『俺は、家に帰る途中だった。

 詩生の家で、クリスマスを一緒に過ごす約束をして、すごい雨だったけど、

 まあ、帰って着替えればいいや、ぐらいに思って家に向かってた。

 そしたら…車が突っ込んできた』

 それを聞いて、私の頭の中は、あの夜の事故の場面に切り替わった。

 その時の情景は、今でも鮮明に覚えている。

 『俺は、青信号で渡ってた』

 思い出すと震えが来る。

 『うん』

 確かにそうだった、と、大きく相槌を打つ。

 鏡太郎君に、非はない。

 そんな彼が、どうしてこんな目に遭ってしまったのか、どうして鏡太郎君だったのか、

 それはもう、言ったってどうしようもない事だけれど。

 『俺、マジであの時、死ぬと思って、

 それまでのことが、本当に走馬灯みたいに頭の中を巡って…。でも、死なずに済んで。

 そうかと思ったら、体、全く動かなくなってて、

 正直、死んだ方がましだったんじゃないかと思うくらいイラついたこともあったけど…

 でも、やっぱり死ななくて良かった』

 彼は…

 彼の体は、動かなくても、動いていないように見えても、

 あの事故を乗り越え、一年近くを永らえ、今も確かにここにいる。

 生きている。

 そう思ったら、

 『うん。本当に助かって良かった』

 心からの言葉が出た。

 それを聞いて、鏡太郎君が笑いながら言う。

 『だから…それは、他でもない寧々さんのおかげだよ。

 寧々さんがいてくれたから、俺はこうしてここにいる。

 詩生に能力のことも言えて、一緒に過ごすことが出来てる』

 私が何も返せずにいると、鏡太郎君が私の気持ちを探るように聞いてきた。

 『寧々さんの事情、話してくれて良かった。ビックリしたけど…。

 今はもう、その人を…とは、考えてないよね?』

 私が苦笑して、

 『大丈夫。考えてない。…ごめんね。変な話して』

 と言うと、彼はものすごく真剣な口調で返してきた。

 『変な話、じゃないよ。大事な話だよ。

 だって、きっと、今まで誰にも言えなかったんだよね』

 彼の口にした言葉に、一瞬、頭が真っ白になった。

 頭の中で、彼の台詞を繰り返す。

 きっと、今まで誰にも言えなかったんだよね。

 ……。

 そう。誰にも。こんな話。言えやしない。

 何も言葉が出ずに俯くと、鼻がツンとして、泣けて来そうになった。

 そんな私に、鏡太郎君が明るい口調になって話しかけてくる。

 『俺、人の名前をちゃんと覚えるのが苦手で、

 いつも間違えて怒られるんだけど、寧々さんの名前は、一発で覚えたよ』

 『……』

 『俺にとって、すごく大事な人の名前で、

 これからもずっと、きっと一生忘れない名前だよ』

 そう言われて、私は、一度大きく鼻を啜った。

 「斉藤さん?」

 私の異変に気づいて、詩生君が気遣うように声をかけてくる。

 私は、彼と目を合わせられなくて、俯いたまま「大丈夫」と告げた。

 するとすぐに、

 『詩生にも、話したよ。

 今日、寧々さんが来るって聞いて、寧々さんのこと、大事な人だ、って』

 そう言う鏡太郎君の声がして、

 『え』

 私は驚き、病室に入ったときの詩生君の様子を思い出す。

 あらかじめ、話してあったということだろうか。

 …どうりで。

 彼の態度が、前と違っているように感じられたのは、気のせいじゃなかったらしい。

 『だって、寧々さんがいなかったら、俺、本当にどうなってたか分からないんだから』

 『鏡太郎君…』

 私は、横たわる鏡太郎君の顔をじっと見つめた。

 どうしてだろう。

 一度も、彼が笑うのを実際には見たことがないのに、

 いつもいつも笑顔を見ているような気がする。

 

 それから、彼ともう少し話し、帰る頃合いになったので、失礼することを伝えた。

 椅子から立ち上がると、

 「斉藤さん、もう帰るんですか?」

 隣で詩生君も立ち上がって、話しかけてくる。

 「ええ。今日はこれで…」

 言いつつドアへと向かうと、鏡太郎君が声をかけてきた。

 『寧々さん。俺、頑張るからさ。寧々さんも…。また、いつでもいいから来てよ』

 『うん。ありがとう』

 重病人である筈の鏡太郎君に励まされて、苦笑いを浮かべつつそう返す。

 「今日は、ありがとうございました。また来てくださいね。気をつけて」

 ドアを開けて外に出る私を、追うようにして、詩生君が廊下へと出てくる。

 そんな彼を振り返り、

 「…詩生君」

 私は、おもむろに呼びかけた。

 「はい」と返事をする彼に、一呼吸置いてから、目を合わせて告げる。

 「そばにいてあげてね。鏡太郎君、きっとよくなるから」

 私が言うと、思ってもみない言葉だったようで、

 彼は、驚いた表情をして私をじっと見た。

 それから、明るい笑顔を浮かべる。

 「はいっ。ありがとうございます」

 その笑顔を見て、私も笑顔を返す。

 軽く会釈をすると、彼も頭を下げ、私は背を向けて病室を後にする。

 また長い廊下を歩いて外へと向かいながら、二人のことを考える。

 

 

 鏡太郎君は、詩生君とつきあうことに、少しの後ろめたさも感じていない。

 とっても堂々としていて、全身全霊で、詩生君を愛している。

 そして、詩生君も同じ想いを抱いていて。

 

 いつか、私もそんな相手と巡り合えるだろうか。

 そんな恋が、出来るといいのだけれど。

 

 あれから一年。

 もうすぐ、クリスマスがやってくる。

 今なら、心から思える。

 あの二人が、幸せなクリスマスを迎えられますように。

 

 長い廊下を歩き終え、病院玄関の自動ドアを出たところで、

 私は、振り返ってその大きな建物を見上げた。

 鏡太郎君の病室がある辺りを見る私の脳裏を、

 つい最近見た未来の映像がまた過(よ)ぎる。

 

 その中では、鏡太郎君が、

 詩生君と、そして体の大きな友達らしい男の子と、笑いながら喋っていた。

 

 思い出した映像の明るい雰囲気に、私も思わず笑顔を浮かべる。

 

 

 『鏡太郎君』

 心の中で彼の名を呼ぶ。

 でも、さすがにこれだけ離れていると届かないらしく、何の返事も聞こえて来ない。

 それを分かりつつ、そのまま心で、彼に話しかけながら歩き出す。

 

 鏡太郎君。今度は、ここじゃない場所で会いましょう。

 そして、君の生の声を聞かせてね。

 

 

                     了

 

 

 

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 あとがき

 

 これは面倒な話になるな、と思いました。

 BLBLしてもいないし、どちらかと言うと、

 ストーリー重視でエロも少ないし、需要もないだろうな、と。

 でも。少しだけ超能力(ちから)のある人の話、というのが、好きなんですよねー。

 その能力のせいで悶々と悩んだりするシーンを考えるのが好きで(悪趣味)、

 面倒&需要低しな話になるのは分かっていたんですが、書き始めてしまいました。

 大した量でもないのに長々と連載して、ずいぶんと時間もかかってしまい、スイマセン。

 これで完結です。一応、今年中に上げるという目標は達成できた…ような…

 最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

 besten dank(サンキューベリマッチ)!

 

 2012.12.01