上から三冊目
目的の本はすぐに見つかった。
店頭の目立つ場所で平積みにされている。
私は、手を伸ばしてその本を手にとり、ビニールに包まれているそれを、表から裏からじっくりと眺めた。
表紙と帯の一字一句に至るまでを読み終えてから、おもむろに元の場所へ戻し、
二冊下の、つまり上から三冊目の同じ本を引き抜いた。
汚れや折れがないことを確認し、レジへ向かう。
金を支払い出口へと足を向けると、横から誰かが出てきて、行く手を遮った。
「見てたぞ。上から三冊目」
「……」
ゆっくりと顔を上げて彼を見る。それから視線を逸らし、ため息をついた。
ああ、面倒くさい。
言わずと知れた敦也だった。
「人の顔見て、ため息つくなよ。ひどいなぁ」
「なんだ?何の用だよ」
「別に。本屋に来ちゃ悪いのかよ。来たらたまたまあんたがいて、上から三冊目の本を取ってたんだよ」
来たらたまたま、ねぇ。
とかなんとか言って、私をずっと観察していたわけだ。
「何冊目を取ろうと勝手だろう」
「だって分かんねぇよ、なんで三冊目なんだよ」
自分の行動理由の説明など、この上なく面倒に思えたが、
どうやらそれをしないと余計に時間を食ってしまいそうなのでしょうがなく答えた。
「一冊目は、みんながさわって手垢がついたり折れたりしてる。
二冊目はその一冊目に触れている。だから三冊目を取る。それだけだ」
「だけど、それなんかビニールに包まれてるんだぜ。取っちまえば変わんねぇだろ」
敦也が、私の手にしている本を指差す。
「包まれていようといまいと、いつもそうしてるんだよ。うるさいな」
「潔癖症」
「なんとでも言え。私は今からこれを読むんだ。邪魔するなよ」
私は敦也をよけて本屋を出ると、アパートへ向かった。
別に潔癖症というわけではない。図書館の本をさわるのは平気なのだ。三冊目にこだわるのは、新品だけだ。
後ろから敦也がついてくる。しばらく同じ歩幅で後からついて来ていたが、
ある場所まで来た時、急に駆け寄ってきて横に並んだ。
「なぁ、山城さん」
右側から話しかけてくる。
「なんだ」
私は、前を向いたまま返事をした。
「今日、俺ヒマなんだ」
ちょっと浮ついた感じで、彼が耳打ちしてくる。
「ふむ。それで?」
私は、足を止めずスタスタと歩き続けた。と、ふいに後ろから引力を感じた。
敦也が、私のジャケットの肘の部分をつまんで引っ張ったのだ。
「ちょっと止まってよ」
振り返って見れば、敦也が少し怒ったような表情をして、頬を紅潮させていた。
怪訝に思っていると、私を見つめて思い切ったように切り出す。
「あの…あそこのラブホ最近出来たばっかなんだってさ」
彼が、私の左、つまり東の方角を指差す。そこには、ありがちなそれではなく、
洗練されたデザインの真新しい建物が建っていた。パッと見、ラブホとは思えない。
「あれがそうなのか。ふーん、綺麗だな」
「でしょ?俺、行ってみたいなー、なんて」
敦也は目を輝かせた。ついでに鼻息も荒くしている。
私は、その建物を眺めた。それから再び敦也に視線をやって。
「却下」
「ええーっ、なんでだよ」
大声をあげる彼に、言ってきかせる。
「部屋がないってんなら仕方ないが、あるだろ」
私は、私たちが一緒に暮らしている家のことを思った。狭いが、誰にも邪魔されない空間だ。
そんな空間を確保できているのに、わざわざ金を払ってラブホテルなどへ行く必要もない。
「だって、いつも家じゃ変わりばえしないし、山城さん…その、最近構ってくれないし」
敦也の口調が尻すぼみになって、最後は消え入るように聞こえなくなった。
恥ずかしそうに俯く。右手はさっきから私のジャケットの肘をつまんだままだ。
『抱いてくれない』とストレートに言わなかったところが、慎ましくてちょっとそそられた。
沈黙が訪れる。その沈黙をなにげに味わってから、
「今日はヒマなんだな?」
私は、俯いている敦也の顔を覗いて聞いた。
「うん」
上目遣いに少し赤い顔で頷く敦也の肩に、手をまわす。
「じゃあ、さっさと家に帰るぞ」
「え…」
戸惑う彼を強引に引き寄せて、ずんずんと歩き出す。
「ちがっ、だからどうして家なんだよぉ」
「私は、潔癖症なんだよ」
「え?」
歩きながら先ほどの話を思い出す。
「他人が寝て、何をしたか分からんベッドでやれるか」
「……」
その後は二人、黙って歩き続けた。アパートに着くと、離れてそれぞれに階段を登る。
鍵を開け敦也を先に中へ入れ、ドアを閉めた。そして、ガチャリと錠を落とす。
次の瞬間、彼が後ろから抱きついてきた。
「山城さんっ…」
たまらないと言うように、私の名を呼んで、抱きつく腕に力をこめる。
「ちょっと待て。荷物を置いて、上着を」
「いやだ!今すぐ、今…!」
敦也が私の台詞を遮って叫び、額を背中に擦りつける。
私は、鞄を手から落とすようにして放すと彼の手をそっとつかんで腰から外し、振り返った。
「聞き分けのないやつだ」
しょうがないと笑うと、照れくさそうに視線を合わせる。
あと少しで二十歳だというのに、まだどこかあどけなさを残した敦也の顔。
真剣にそれを欲しているのが分かる。擦りつけたせいで、額が少し赤くなっていた。
私は敦也の前髪をかきあげて、まずその額に軽く触れる程度のキスをした。
敦也がせつなげに目を閉じる。それから、ゆっくりと顔を上向かせて、柔らかな唇に自分の唇を重ねた。
寒い外から帰ったばかりなのに、敦也の唇は熱く、私はその熱を確かめるように、
また分けてもらおうとするかのように思う存分に吸った。
両の手の平で彼の頭を包みこむようにする。
舌を差し入れると、声とも吐息ともつかないものが漏れ聞こえてくる。
「ん…ふ、んんっ」
唇を離して彼を見る。敦也の顔は上気して、なんとも言えない色っぽさを漂わせていた。
私は、今度は首筋に唇を押し当て、下へと這わせた。自然、彼の体勢がのけぞる格好になる。
そうしながら彼の白いシャツの襟のボタンをひとつずつ外し、胸元を開いていく。
若い彼の、硬く引き締まってはいるが、色白の胸が現れた。
その胸に顔を埋めて、強く抱きしめる。
「ああ…」
敦也の胸は、激しく波打っていた。
上気してピンク色に染まった胸の、小さな突起を口に含んで愛撫すると、ビクッと反応する。
「俺、もう」
息遣いも荒く、そのまま倒れこんでしまいそうに危なげな様子でいる。
私は彼を抱き上げてベッドへと連れて行き、横にして寝かせると、上に乗って上着とシャツを脱がした。
自分も上を脱いで、彼の上に倒れこむように覆いかぶさって上半身を密着させる。
「温かい」
しばらくそうして敦也のぬくもりを味わった後、もう一度唇に軽いキスをした。
密着しているせいで服越しにも彼のものが大きくなっているのが分かる。
ズボンのベルトを外し、手を滑り込ませて右手でそれを握った。
敦也がハアハアと喘ぎ声をあげ始める。その口に左手の中指を入れた。
彼のものを握った手を上下に動かすと、敦也はその指を咥え、
「んっ、んっ」
なまめかしい声を出して眉を寄せた。
このまま攻め続ければ、彼はすぐにイッてしまうだろう。
私は、体を起こして彼のズボンを脱がした。
硬くそそり立つ彼のモノが露わになり、私はそれを、もう一度握った。
先端に涙のような露が盛り上がり、伝い落ちて私の手を濡らす。
それを舌で舐め上げ、そのままそのものを口に含んだ。口を上下に動かす。
彼の息遣いがさらに荒くなり、ほどなく
「イクっ」
短く叫んで体を強張らせると、敦也は私の口の中で果てた。
脈打つ彼のものから放たれた精液を、ごくりと飲みこみ、また彼に覆い被さって体を重ねた。
敦也は、今の余韻を味わっているのか、天井を見つめ放心したようにぼうっとしている。
その姿がなぜか愛しくて、ぎゅっと抱きしめる。
敦也が背中に手をまわしてくる。
「山城さん…」
ふいに名前を呼ばれ、顔を上げ彼を見た。敦也が笑顔を浮かべる。
「好き…」
吐息と共に吐き出されたその言葉に触発され、私は敦也に軽く口づけをすると再び体を起こした。
脇に置いてあるクリームに手を伸ばす。こういう関係になってから、常備するようになった物だ。
チューブからクリームを適量出し、敦也の後ろの蕾にそれを塗りつけた。
「あっ」
彼の体がピクンと反応する。
塗り広げながら、少しずつ中指を挿入していく。
指は根元まで飲み込まれ、私はゆっくりとそれを引き抜いた。
そして、今度は人差し指と合わせて、二本の指を一緒に入れた。
彼のものが元気を取り戻し、私のものもズボンの中ではちきれんばかりになっている。
クリームが効果を発揮して、指の挿入はスムーズだったが、強い圧迫感を感じる。
中が狭いらしい彼にクリームは必需品で、これがないとここから先の行為は無理なのだ。
クリームをまんべんなく行き渡らせるように奥まで入れてから、指を二本とも抜いた。
自分も下を脱いで裸になり、さっきまで指を入れていた場所へと自分のものをあてがう。
「入れるよ」
と言うと、敦也は目を閉じたままこくりと頷いた。
彼を包むような気持ちで上に乗り、力を込めると、少しずつ敦也の中へと入っていく。
前後に動かし半分ほど入ったところで、いつもの、私を拒むかのように進まなくなる部分に遭遇する。
動かす速さや角度を変えてみるが、なかなか進まない。
ふと息を殺し泣いているような声がして、敦也を見れば、目をきつく閉じて、
気持ちよさを感じているとはとても思えない表情をしている。相当きつそうだ。
「つらいか?」
聞くと、敦也は眉間にしわを寄せながら、首を大きく横に振った。
「奥まで…奥まで来て…!」
喘ぎながらもハッキリと言う。
それを聞いて、私は思い切ってさっきよりも強く腰を動かし始める。
「あっあっ」
もうこれ以上進むのは無理かと思われた場所が、少しだけ緩くなったのを感じる。
ちょっとずつだが私のものがまた中へと飲み込まれ始める。
やがて、一番奥までたどり着いたことを感じて、一度動きを止めた。
「ああ…きついな」
敦也の中は熱くてよく締まって、気持ちいい。
その締め付けてくる感じを味わってから、敦也の太ももを持ち、改めて腰を動かした。
少し引き抜いては打ち付ける。
奥へ。できる限り、もっと、もっと。
打ち込まれるたびに、彼がはっ、はっ、と息を吐くのが分かる。
快感が体中を駆け巡り、そのうち一点に集中した。
「あっ、あっ、もう…イクぅっ、ああっ!」
敦也が大声をあげて先にイった。
中がさらにきつく締まり、次いで耐え切れず私も彼の中へと放出し、彼の上へ倒れこんだ。
「俺、山城さんは潔癖症じゃないと思うな」
ことが終わって、仰向けでぼんやりしていると唐突に敦也が言った。
「どうして」
仰向けのまま聞くと、彼が寝返ってこちらを見る。
「潔癖症だったら、こんなこと出来ないと思う」
こんなこと、なんて言い方をするので一瞬ピンと来なかったが、今終わった行為のことだと気づいて、
そしてまた、敦也が妙に真剣な表情で言うのでなぜかおかしくなって笑った。
「そうかもな」
「だから、いつかラブホ行こうよ。ラブホ」
私は、敦也の言葉に、あの綺麗な建物を思い浮かべた。
「なんだ。まだ言ってるのか」
少し呆れ気味に彼を見れば、「だって」と少し恥ずかしそうな表情をする。
「イクときの声が隣に聞こえそうでヤなんだよ」
敦也が赤くなって心情を吐露し、私は彼のアノときの声を思い出した。
確かにでかいかも知れない。イクとき以外の声だって、敦也は大きいのだ。
こんな安アパートではきっと聞こえているだろう。
でも、敦也がそんなことを気にしているとは、思いもよらなかった。
意外に繊細だから、扱いが難しい。
「そんなの『いい声で啼くんだなぁ』と思わせときゃいいじゃないか」
きっぱり言ってやると、敦也の顔が一段と赤くなった。
「ヤだよそんなの!」
はじけるように飛び起きて、抗議する。
「山城さんはいいのっ!?」
「別に」
「俺!俺は本当はもっと…!」
そこまで言って急に口ごもる。
「もっと、何だ?」
聞き返すと、何か言いたそうなのに、何も言わず
「なんでもないっ」
と叫んで背中を向け、また横になった。
言いたいことがあるなら言えばいいのに、面倒くさいやつだ。
「本当はもっといい声で啼けるのか?」
後ろから手を伸ばして敦也の腰の辺りを抱き寄せた。
彼の体がくの字に曲がって、敦也の尻と私のものが触れる。
「そんな…こと」
彼は首をひねって、熱を帯びた瞳で私を見た。が
「もう終わりだ。このままがいい」
唇を重ねることもそれ以上もせず、抱きしめたまま息を吐いて目を閉じた。
敦也の温もりに身を任せる。
そうしていたら軽い眠気に襲われて、私は二十分程浅く眠った。
目を覚ますと、敦也が、さっき本屋で買った本を私の鞄から無断で取り出して、読んでいた。
「こら。私より先に読むな」
注意する。大人げないのかもしれないが、私のこだわりだ。
彼は、肩をすくめてそこで閉じ、私の本棚を見た。
いろいろなジャンルの本が詰め込まれているそれは、お気に入りばかりの収まった、私の宇宙だ。
「好きだね、本が。みんな上から三冊目なんだ」
下から上まで見上げながら、敦也が感慨深げに呟く。
「大抵な。ま、本屋に一冊しか置いてなかったり、例外もあるが」
私は起き上がり、椅子に置いてあった自分の服を取って着た。
「ふーん。たまたま三冊目に置かれてただけで、ラッキーな本達だなぁ」
ジーンズのボタンを留めていた手が止まる。
「私のところへ来られるのはラッキーなのか?」
笑いながら聞くと、彼も微笑んだ。
「超ラッキーだよ」
じゃあ、私のところに来て住みついている彼は三冊目なのだろうか。
『一冊目は、みんながさわって手垢がついたり折れたりしてる。
二冊目はその一冊目に触れている。だから三冊目を取る』
三冊目を取る。なぜなら三冊目は、汚れていない。
無邪気な笑顔を見ていたら、なるほどそうなのかも知れない、と思った。