胸に抱く人 3


 

 

「…いつから入院するんだ?」

電話を切ってから数十分後、私は、森野と一緒に居酒屋にいた。

「入院なんかしない」

私の問いに、向かい側に座る森野はそう答えて、

「すぐ入院するようにって言われて、逃げてきた」

ちょっと笑いつつ、バツが悪そうな表情で言いにくそうに付け足す。

 

私は呆れて、森野の顔をじっと見た。

すると、奴が不満げに抗議する。

「だって、もう治らないのに、入院したってしょうがないだろ。

うちのばあちゃんも末期の肺ガンだったけど、抗がん剤治療を受けて

副作用で苦しい思いしたのに、結局治らなかった」

「……」

「他にも抗がん剤効かなかった話、聞いたことあるし。

俺、絶対入院しない。治療なんか受けないで、家で死ぬ」

 

目の前で、死について話している男は、まだ若くて、元気もあるように見えて、

自らが死に向かっている人間だとは、私にはとても信じられなかった。

本当の本当に、森野は死ぬのだろうか。

私をからかっているんじゃないのか?

 

森野が煙草とライターを取り出し、煙草を咥えて火を点けようとする。

「お前、病気だってのに、まだ煙草吸ってんのか」

私は、思わず強い口調で言って、森野の口から煙草をむしり取った。

手にしたライターの使いどころがなくなって、奴の手が空中に遊ぶ。

「なんだよ。いいだろ。もう俺はしたいことをしたいようにするんだ」

 

森野の左手が伸びて、私の手から煙草を奪い返していった。

それに火を点けて吸い始める奴に、私は眉をひそめる。

「お前を看てくれる人はいるのか?」

そう聞くと、森野は言いたくなさそうに、もごもごと口にした。

「一応、おふくろに連絡はした」

 

それから、ポケットから紙を取り出して、渡してくる。

「俺、今、この住所のアパートに暮らしてる。もし、気が向いたら、来てよ」

最初から渡すつもりでいたのか、そこには学生時代いつも目にしていた、

見覚えのある奴の文字で、住所が書かれていた。

私は、その住所を見て、驚いた。

図書館の、つまり私の勤務先のすぐそばだったのだ。

 

「お前、なんでこんなところに…いつから?」

今回のことで、ただこっちにやって来ただけかと思っていた私は、びっくりして聞いた。

まさか、家を借りているなんて。

「越してきたんだ。病院で言われた後。仕事辞めて」

本当に、『したいことをしたいように』しているようだ。

 

そんなことしたって…、なんになると言うのか。

もし、本気で森野がさっき叫んでいたようなことを望んでいたとしても、

叶えてやることなど出来やしない。

森野が、店員を呼び止めて酎ハイのおかわりを頼んだ。

「もし俺にできることがあれば…

その、お前が言ってたこと以外で、あれば言ってくれたら、力になる」

 

私が言うと、森野は鼻で笑って、灰皿で煙草をもみ消した。

からかうような視線でこちらを見た後、言ってくる。

「じゃあ、ずっとそばにいて欲しい」

無理を承知で発しているらしい言葉に、私が何も返せずにいると、おかしそうにした。

「なんて…奥さんがいるのにできないだろ?」

 

見透かしたように言って、森野は運ばれた酎ハイを口に運んだ。

「いいよ。その気持ちだけで十分だから」

「森野…」

それから私は、何かこの場に相応しい話題を探そうとしたが思いつかず、

森野が一方的に白々しいほどに明るいテンションで喋る世間話などを聞いていた。

その間、森野は飲みまくりで、私がなんとなく「帰ろう」と言い出せないでいるうちに

すっかり出来上がってしまっていた。

 

これ以上飲ませるのは良くないと判断したところで、森野に

「もう出るぞ。いいか?」

と声をかけた。

「うん。いいよ」

上機嫌に見える笑顔で、森野が頷き、私たちは店を後にした。

 

森野は足元がフラついていて、私はタクシーを拾って、

さっき渡された紙に書かれた住所を、運転手に告げた。

森野の家に着いて、奴に肩を貸してやりながら車を降りる。

「今日はゴメン。突然押しかけたりして。どうかしてたんだ」

降りた後、奴が殊勝な態度で、少し前かがみになりながら言って、申しわけさなそうに私を見上げる。

 

「いや…。それより、大丈夫か?」

なんだかフラフラしている森野を見て眉間にしわを寄せると、奴は笑った。

「飲みすぎただけだよ。大丈夫、大丈夫」

私は、苦笑して一つ息を吐く。

「入院したら、連絡してくれ」

 

手帳を取り出して携帯の電話番号を書き込み、そのページを破って森野に渡した。

「じゃ、おやすみ。大事にな」

と声をかけて背を向け、またタクシーに乗り込み自宅の住所を告げる。

そのときの私には、それ以上、何もしてやれることがなかった。

 

家に帰ると、どうやら具合は良くなったようで、千里はいつもの飲み会があった日のように、

すぐにお茶漬けが食べられるよう用意をして、起きて待っていた。

どんな飲み会だったのか、彼女が詳しく聞いてくることはなかった。

私も、いつもと同様だったというフリを装い、黙って千里の用意したものを平らげ、

風呂に浸かり、ベッドに入った。

 

 

翌日。

いつものように家を出て、駅で定期入れを取り出そうと、

通勤カバンのそれが入っているポケットに手を突っ込んだら、何か別の物が入っているのに気づいた。

それは、茶色い封筒だった。

昨日はタクシーで帰ったから、そんなものが入っていることに気づかなかった。

 

表を見ると、

「山城渉様」

と書かれている。

昨日見たのと同じ、見覚えのある森野の字だった。

 

駅や電車内でそれを開けて読むわけにもいかず、私は封筒をカバンに戻して、勤務先へ向かった。

車窓の景色を眺めながら、カバンの中の手紙に意識がいく。

何が書かれているのか。

手紙なんて、勘弁して欲しいという気もした。

 

正直、開けるのを躊躇ったが、読まないというわけにもいかず、

昼食を食べに出かけて戻った後、私は自分の机でそれを読んだ。

封筒にハサミを入れて開け、中の便箋を取り出して、開く。

 

「一人でいると、山城と一緒に過ごした時間のことばかり思い出す」

 

手紙はそんな一文で、いきなり始まっていた。

 

「『好きだ』って言ったら『俺も』って返してくれて、

『一緒に住もう』って言ったら『いいよ』って言ってくれた。

どっちのときも、俺がどんだけ嬉しかったか、お前に分かるだろうか」

 

覚えている。好きだと言われたのは、高二の文化祭が迫っていた日。

教室の床に敷かれた、クラス全員で描いた大きな絵に色を塗っていたときだった。

みんなが揃って何かを他の教室に取りに行き、二人だけが残された。

森野は、ものすごく真剣な顔で、今より若い…というよりはまだ幼さの残った顔で、

私の様子を窺うようにしてそれを口にしたのだ。

 

一緒に住もうと言われたのは、もうすぐ高校を卒業するという日の、

学校から寮に帰る道の途中だった。並んで歩きながら話していたら、

「山城も一人暮らしをするなら一緒に住まないか」と誘われて私は頷いたのだ。

 

頭の中に、あの頃の光景が、そのとき身を置いていた空気や温度、

匂いや色彩と共によみがえってくる。

 

「どっちの場面も、俺はいくら時間が過ぎても克明に覚えていて、忘れることができない。

それどころか、日毎に鮮明になって思い出す回数も増えていくんだ」

 

「あんなにいい返事ばっかりもらったら、そりゃ勘違いもするよ。

そのうち、俺が思うほどお前は俺のことを想ってないってことに気づいたけど、

俺は一緒に笑ったりふざけあったり、それだけで嬉しくて幸せだった。

お前がそばにいてくれるなら、それで良かった」

 

「別れを切り出された時、悲しかった。

だけど、どこかで同性同士の恋愛なんてこんなふうに終わるものなのかも知れないとも思った。

それに、たとえ別れがくると分かっていても、きっと俺は、お前を好きにならずにいられなかっただろう」

 

「だから、

ありがとう。俺を選んでくれて、あの時間を一緒に過ごしてくれて。それだけ。それだけ、言いたかった」

 

手紙はそこで終わっていた。

短いような長いような、書きたいことだけ書いて、書き終わったら筆を置いた、という感じの手紙。

 

私は、それを封筒に戻し入れ、鞄にしまった。

心をドライに保とうとする。今さら、何か感じたとしても、もう遅い。

そう思うのに…

午後からの仕事をもくもくとこなすうちに、私はものすごく腹が立ってきた。

なんだかすごく…『許せなかった』のだ。

 

私は、仕事が終わると、感情の赴くまま、今、森野が暮らしているアパートに向かった。

呼び鈴を押したら、ラフな格好の森野が出て来て、私を見て驚いた顔をする。

「山城」

私は、そのまま中へ入り、後ろ手にドアを閉めた。

 

手にしていた封筒を森野の眼前に突き出し、怒声をあげる。

「これはなんだ」

森野が口を「あ」の形に開けて、それから気まずそうに目を逸らす。

「…手紙」

そんなことは分かっている。

 

「この手紙の内容はなんだと言ってるんだ」

「なんだ…って、感謝の手紙だよ」

そう言って、笑みを浮かべようとする森野の顔に向かって、手紙を投げつけた。

森野が、びっくりして目を閉じる。

「理不尽に別れを切り出されたんだ。それなのに、ありがとうってなんだよっ。

もっと罵倒すればいいだろっ、俺を!」

 

感情を露にする私とは対象的に、森野が静かに言葉を発する。

「そんなことして、何になるんだよ」

そして、床に落ちた手紙を拾い、

「そうしたら、俺のそばにいてくれたのか。行かないでいてくれたのか?」

悲しそうに言って、私を見つめた。

 

私も無言で、森野を見つめ返す。

答えは、否、だった。

あのときの私は、なにがどうだろうと、二人の関係を終わらせるつもりでいた。

「どうしたって、駄目だったんだろ」

適当に遊びも楽しんで、そのあとは安定した暮らしも手に入れる。

私はそんな、都合のいいことを考えるともなく考える、打算的な男だった。

 

返事を口に出せないまま、部屋を見渡す。

1DKの小さな部屋に、ベッドが一つ置かれていた。

あとは暮らすのに必要最低限の物だけがあるように見えた。

「おふくろさんは?いつ来るんだ?」

「来ないよ。連絡してないもん」

森野が笑って答え、私は眉間にしわを寄せる。

「嘘ついたのか」

 

昨日、ハッキリとした口調で言わなかった理由が分かり、私が責めるように言うと、

「別に、一人で大丈夫だし」

と軽く返してくる。

「今は大丈夫でも、そのうち誰かの手が必要になるだろう」

「そうなったら、野垂れ死ぬだけだ」

「森野っ」

 

私が大声をあげると、

「もう、放っといてくれよ」

森野の顔から表情が消えた。

「山城に関係ないだろ」

まるで他人のようにそう言って背を向けた森野の手首を、私は後ろから掴んだ。

驚いて振り返った森野を強引に引き寄せて、抱きしめる。

今こんなふうに強がっていても、一人になるとお前は…

 

私は、手紙の内容を思い出し、

森野の胸に去来するだろう想いのことを思ってたまらない気持ちに襲われた。

驚いた顔をしている森野の唇を唇で塞ぐ。

声にならない声をあげ、眉根を寄せて森野が目を閉じる。

私も目を閉じて、奴の口をこじあけるようにして、舌を滑りこませた。

 

森野の唇を貪るうちに、私の行為を拒むかのように強張っていたその体から、力が抜ける。

私は抱きしめる腕にさらに力を込めた。

「ん…う…」

森野の息遣いが荒くなり、やがて腕が動いて私の背中に回される。

舌と舌を滑らせ絡めあいながら、学生の頃を思い出したら、眩しくて、

どこにも光源などないのに、目を閉じているのに…目が眩みそうになった。

その光景の中には、いつも隣に、森野がいた。

 

 

私は唇を離すと、そのまま森野をベッドへと連れて行き、押し倒し、のしかかった。

服を捲り上げたら、元々細身だったがさらに細くなった森野の体が、現れる。

胸に触れ、指先を滑らせ、乳首に触ると、

「ふっ…、んっ」

ビクッと腰が揺れて声が漏れた。

 

森野のズボンに手をかけて下ろし、足から引き抜く。

「や…あ…っ」

続けて、下着も下ろして引き抜いた。

勃ちあがった奴のモノが目に入る。

私は唾液で指を濡らし、森野の後ろへと手を持っていった。

濡れた指を、つぷりと熱い孔へと挿し入れる。

 

森野の後孔は固く閉じられていて、後ろでの交わりが、少なくともここしばらくないことを示していた。

私は、はやる気持ちを抑えて、時間をかけて、そこを丁寧に解した。

指の挿出を繰り返すうち、大きくいきり勃つ森野のモノから露がこぼれ始め、

「ふ…、うっ」

ぐっと指を押し込んでやると、腰を浮かして締め付けて来て、イきそうになっているのが分かった。

 

「イっていいぞ」

私は、そう言うと森野のモノを口に咥えた。

咥えたまま、後ろの指の出し入れを続ける。

森野が身をよじってビクビクと震え、私が指を二本に増やして最奥まで一気に挿入すると、

「んっ」

森野のペニスは私の口の中で弾けて、白濁を放った。

 

私は、それを嚥下して、さらに後ろを指で解し続けた。

イったばかりで柔らかくなっている森野のモノを舌で愛撫しながら、

後ろの指を増やして、時折前立腺を刺激してやる。

「あっ、あっ」

私は顔を上げて、声をあげる森野の口を、唇で塞いだ。

「んっ、ん…」

舌を吸いながら、指で後ろを激しく攻めてやると、森野のペニスはすぐにまた硬さを取り戻す。

 

私は、森野の後ろから指を抜き、体を起こした。

森野が欲しくてたまらなくなっていた。

ズボンと下着を下ろし、その欲望のまま森野の足を持って開き、

後ろのすぼまりに自分のモノをあてがい、ぐっと貫く。

「い…っ、ああっ」

少し引き抜いてはグッと突き、また引いては突いて、深く奥まで進入し、少しずつスピードを速めていく。

 

「あっ、あっ、は…っ」

森野の声を聞きながら、腰を前後に動かして、我を忘れたように森野の尻へと打ちつけた。

「あっ、…渉っ、んっ、イッ…いい、っ」

森野が大きく仰け反り、体中で感じているのが伝わってくる。

純粋に自分だけを求められる喜びに、私の体も打ち震えていた。

濡れたように光る、赤い乳首を口に含んで吸うと、

「はっ、ああっ、もうっ」

森野の中がギュウっと狭くなるのを感じる。

 

森野の体が戦慄いて、首が大きく反った。

森野が熱く柔らかな中で私のモノを強く締め付けながら、イったのを感じる。

中がビクンッビクンッと搾り取ろうとするように蠢いて私の射精を誘い、

私も続いて迸る精を中へと注いだ。

見ると、森野は涙を流していて、ハア、ハアと荒い呼吸を繰り返していた。

でも、息遣いが荒いのは、私も一緒だ。

お互いに乱れた呼吸を整えるのは容易ではなかった。

 

こんなセックスはどれくらいぶりだろう。

いや、これまでのどのセックスよりも激しく、満たされた気がする。

森野がコンコンと咳き込んだ。

「大丈夫か?」

心配になって聞くと、森野が頷いてから、泣きながら言う。

「俺…もう、今死んでもいい」

「森野…」

 

私は、森野を慈しむように見て、奴の唇に自分の唇を重ねた。

なんだろう。

今までに感じたことのない気持ちが湧いてきた。

すごく愛おしくて、大事に思えた。

付き合っていたときだって、こんな気持ちになったことはなかった。

唇を合わせたまま目を閉じ、舌を差し入れ、森野の舌を吸い、優しく口の中を舐めまわす。

 

「んっ、ん」

森野も目を閉じ、それに応えて小さく声を漏らす。

私は、もっともっとと甘い柔らかな舌と唇を貪る。

どうしてこんなに愛しい気持ちが湧いてくるのか。

あの頃の私は、森野の何を見ていたのか。

なぜ今頃になって、その愛しさに気づくのか…

長い口づけを交わすうちに、いつしか、私の頬にも涙が伝っていた。

 


 

 

 

  BACK     NEXT

  HOME     NOVELS