廃墟2〜トレジャー・ガーデン〜1


 

 夜。親父とささいな事でけんかして、外に出た。

 ムシャクシャしてたまらなかったから、玄関横に置いてあった自転車に跨って走り出し、

 がむしゃらにペダルを漕いだ。

 で、気づいたら、ヒロの家の前にいた。

 他に行くところも遊ぶ相手も思いつかなくて、当然のようにヒロの家の前にいた。

 

 

 携帯を取り出して、ヒロの番号を押す。

 すると、すぐに『もしもし』と声がした。

 「今、お前の家の前にいるんだけど、カラオケでも行かねぇ?」

 大声でも出したらスカッとするかと思って誘ったら、

 『今から?つか、なんでもう家の前にいるんだよ』

 ちょっと笑いを含んだ声が聞こえてくる。

 約束するより先に来てしまっている俺に、呆れているようだ。

 

 二階のカーテンが開いて、電気のついた部屋の中に、ヒロのシルエットが浮かび上がる。

 俺を見下ろしながら、携帯を手にしている。

 見上げる俺の耳に、気の抜けた声が聞こえてきた。

 『行きたいんだけどさ。俺、金なくて』

 「え、バイトするって言ってなかったっけ」

 『ああ。あれ。ちょっとあって、首になった』

 「……」

 なんだよ、ちょっとあって、って。

 『今月のこづかいももう使っちまったから、無理。ショーゴの奢りなら行くけど』

 「……」

 俺だってそんなに余裕があるわけじゃない。

 金が有り余ってるってんなら、そうしたいとこだけど。

 

 「それは…俺も無理」

 と言うと、笑い声が聞こえた。その後、

 『じゃあ、カラオケはやめにして…とりあえず、上がったら』

 ヒロが、窓越しに俺を手招きする。

 エアコンの室外機が回っている音がしているところを見ると、

 奴の部屋は、クーラーが効いているのだろう。

 

 夜になっても温度があまり下がっていない外気の中を走ってきた体は汗っぽくて、

 招かれたことは正直嬉しかった。

 「でも、いいのか?こんな時間に」

 『構わねぇよ』

 家に上がるつもりはなかった俺は、電話を切って、ちょっと緊張する。

 ヒロがうちに遊びに来ることはよくあるけれど、逆はほとんどなくて、久しぶりだったし、

 ヒロの部屋に入ると言うことは、密閉した空間に、二人きりになるということだった。夜に。

 

 ……。

 ま、何もないだろうけど。

 呼び鈴を押すと、階段を下りてきたヒロが中からドアを開け、

 俺は、居間から顔を出したヒロのお母さんに挨拶をして、上がらせてもらった。

 

 

 

 廃墟の探検に行ってから、二週間が経つ。

 あの晩俺は、結局、ヒロの家に帰る途中でスタミナを使い果たしてしまい、ヒロを背負えなくなった。

 奴は「いててて…」を連呼しつつも、

 「もういいから」

 と言って、体を傾けながら一人でよろよろと歩いて帰っていった。

 

 あの時の痛々しい後ろ姿は、今も忘れられない。

 いや、多分一生忘れないだろう。

 そして、その二日後の昼間に、ヒロは俺の家に遊びに来た。

 前日は、さすがに動けなくて、というか動きたくなくて、

 家で大人しくしていたらしく、その間の悲惨な状況を、奴は具体的な言葉で語ってくれた。

 

 「ケツ、血ぃ出ててさ。あれから、うんこするのも大変だったんだぞ」

 ○んこ言うなよ。

 「…ごめん」

 俺は謝りながらも、頭の中で、もう蒸し返してくれるなよと思った。

 全然本意でないエッチだったけど、でも一応好きな相手とのエッチを、

 その本人の口から軽口で語られるのは、いい気がしなかった。

 そして、あんなことがあったというのに、以前となんら変わらない態度で接してくるヒロを見ていると、

 奴にとってあれはどうでもいいことだったのかと思えて、少し寂しい気持ちにもなってくる。

 

 ヒロは、あの時のことを、冗談っぽく繰り返して口にするくせに、

 肝心の自分の気持ちは聞かせてくれない。

 まるで、俺が告白したことなんて聞いてなかったか、忘れてしまったかのようだ。

 「だけど、すごかったな。あー、写真撮りたかった」

 無邪気に言うヒロを見ていると、どんどん腹立たしさが募ってくる。

 

 そんなことどうだっていいだろ。

 まあ…確かにすごかったけど…写真も撮れてたら、ちょっと見てみたいけど…

 でも、他に考えることとか言うこととかあるだろ。

 だいたい、なんで平気で俺んちに遊びに来てるんだよ。

 俺の気持ち知ったくせに、なんでそんなに平然としてんだよ。

 …お前は、俺にヤられたんだぞ。

 ひょっとすると、俺がソノ気にならないとも限らないんだぞ。

 

 まぁ、なったところで、どうすることも出来ないだろうけど…

 って、それ分かってて来てるっぽいのがまたムカつく。

 どうせ幽霊の力でも借りなきゃ、何もできないんだよ俺は。

 

 「ショーゴ、なんか飲み物飲みたいんだけど」

 ヒロが読んでいたマンガから顔を上げて言い、

 飲みたきゃ勝手に飲め。

 と心の中で強気に出ておいて、

 「コーラでいいか?」

 「おう」

 実際は、俺が立ち上がって冷蔵庫まで飲み物を取りに行った。

 

 一階に降りて行ったら、呼び鈴が鳴り、

 「はい」

 返事をして出てみると、隣のおばさんが立っていて、

 「ああ彰吾(しょうご)君。回覧板お願いね」

 おばさんからそれを受け取り、去っていく後ろ姿を見れば右肩に猫が乗っている。

 一ヶ月ほど前に見たときも乗せていた。トラ縞の猫だ。

 といっても、猫の『霊』だけど。

 

 死んでしまった飼い猫に憑かれたのか、どこかで轢かれた猫に感情移入でもしたのか、

 理由は分からないが、とにかく、ずっと憑いている。

 邪悪な感じはしないから、放っておいてもいいだろうと思って、俺は見て見ぬ振りをした。

 俺は見えるだけで、除霊とかは出来ない。

 だから、もし悪い憑き物だとしたら、それ専門の人のところへ行くよう薦める。

 けど、それだけだ。

 霊が見えるなんて、何にもいいことない。

 怖がりなのに見えるんだから、たまったもんじゃない。

 

 ―と、そんな話はともかく。

 

 結局、俺とヒロの接し方は、本当に、前と何も変わっていなかった。

 その日。そのあともなんだかんだと頼みごとをされ、二人の間で告白の話が話題に上がることもなく、

 いつもと変わらない友達同士の過ごし方で時間が過ぎ、ヒロは帰っていった。

 

 奴は、俺の言葉を聞かなかったことにして、今までと同じ付き合い方を続けようとしている。

 そう感じた俺は、思った。

 どうやら…

 自分はフラれたらしい。と。

 ヒロが何も言わないのは、これからも級友として付き合っていかなければならないし、

 気まずくなるのを避けているのだろう。

 

 そうして、そう結論付けた俺もまた、それから十日あまりの間に、

 『向こうがそうなら自分もそうする』

 と心に決めたのだった。

 フラれたことにショックを受けていないわけじゃないけれど、あまり落ち込みもしなかった。

 何しろ、あの日の出来事自体が夢のようで、告白した事も、なんだかリアリティがなかったし、

 元から自分の想いが報われるなんて、俺は思っちゃいない。

 男同士だし、相手は、あのヒロだ。

 あの夜、一瞬でも叶えられそうな予感がしたことの方が奇跡だ。

 

 だから。

 ヒロが蒸し返しさえしなければ、何もなかったことにして振る舞うことくらい、俺にも多分、出来る。

 

 

 

 

 ヒロの部屋に入って行くと、なんか男臭くて、片付いてなくて、

 奴のイメージそのままの部屋だった。

 まあ、『ヒロらしい』ことは、俺にとって決して悪い印象ではないし、

 好きな人の部屋だから気にしないけど、一般的な目線で見れば、そうとう汚い。

 クーラーが効いているってことだけが、少しポイントを上げている。

 

 「悪いな。誘ってくれたのに」

 乗っている荷物をよけてベッドの端を空け、座るよう促してきたヒロに、

 「ううん。急に誘った俺が悪いんだし」

 俺は、笑って首を横に振った。

 「だけど、珍しいな。ショーゴが約束もなしに突然来るなんて」

 部屋が散らかっていることを気にする様子もなく、ヒロがいつもそうしているのを窺わせる動きで、

 机の椅子に座って、こっちを向く。

 

 俺が、

 「親父とけんかした」

 と本当のことを告げたら、驚いた顔をした。

 「え、嘘っ。親父さんとけんかして飛び出してきたってか?」

 「ああ」

 頷くと、ヒロは、その表情のまま俺の顔を凝視する。

 それから、プッと噴き出すようにして笑って、面白いものを見る目で俺を見た。

 

 「ショーゴって、意外とやんちゃだよな」

 「なんだよ。それ」

 普段言われないことを言われ、俺もつられて笑う。

 「だって、そんなふうに見えないのに…。探検のときだってちゃんと来たし、

 頼りがいがあって、俺ビックリしたんだぜ」

 ヒロの口から思ってもみなかった言葉が出て、自然と眉間にしわが寄った。

 …頼りがいが、ある?

 

 「どこが?」

 あの日のことを思い出してみても、そんな事を言われるような姿を見せた記憶と自覚が、まったくない。

 「どこがって言われても困るけど、なんかこう…全体的に」

 抽象的な言葉しか聞けなかったが、とにかく誉められているらしく、

 そんなこと今までになかったことなので、俺は少なからず嬉しく感じた。

 「何より、ビビってる感じがしなくて、ショーゴとならなんでも出来る気がした」

 さらに続けられて、ちょっと照れ臭くなり、頬が火照ってくる。

 嬉しいけど、そりゃ、言いすぎだろ。

 

 「何言ってんだよ。俺がビビりなの、知ってるだろ」

 「だから、そう思ってたけど、違ってたってことだよ」

 「なんだよお前、そんなに持ち上げて何が言いたいんだよ」

 俺がまんざらでもない気分になりつつ聞くと、その反応を見たヒロの目が光った。

 俺の耳に顔を寄せてきて、ヒソヒソ話をする時のように、切り出す。

 「一緒に行って欲しい場所がある」

 返ってきた言葉に、俺のいい気分は一瞬で払拭された。

 

 嫌な予感がする。

 俺は、身を引いてヒロを見、

 「嫌だ。行かない」

 聞き入れてもらえるかは分からないが、首を横に振って、一応キッパリ断った。

 ヒロが眉を寄せる。

 「まだなんにも言ってないだろ」

 この話の流れから、だいたい分かるよ。

 

 俺は呆れた目でヒロを見た。

 「あんな目に遭ったのに、懲りないのか?」

 その問いに、今度は奴が首を振る。

 「誰も、もう一回廃墟に行くとは言ってない」

 「じゃ、どこに行くんだよ」

 「ちょっと盗みに入る」

 俺は、奴の顔を見て、あんぐりと口を開けた。

 あまりに驚いて、すぐには言葉も出ない。

 

 ヒロがけんかっ早いのも、頭が悪いのも知っている。

 でも、犯罪に走ることだけはないと思っていたのに。

 いくら金がないからって…

 俺は、固まったまま奴の顔を見た後、

 「そ、そんなの駄目に決まってるだろっ」

 真剣な口調で、嗜めるようにそう口にした。

 

 俺は犯罪になど加担しないし、友達が道を外れることのないように、

 たとえ殴られたとしても、その行為を阻止する。

 俺の剣幕に、ヒロが苦笑いを浮かべる。

 「相変わらず真面目だなぁ。まあ、俺も盗みに入る、ってのは言い方がまずかったけど」

 「え。違うのか?」

 ヒロの言葉に、俺が、思わず嬉しさの感情の混じった声をあげると、奴が笑って話を続けた。

 

 「俺のばあちゃん、去年死んだんだけどさ」

 急に亡くなったおばあさんの話が出て、内心面食らいつつも、先が知りたくて「う、うん」と頷く。

 「死ぬ前、俺に言ってたことがあるんだ」

 「……」

 「『広務(ひろむ)にだけ教えるんだけど、金(きん)を壺に入れて、庭に埋めた』って」

 「……」

 「でもさ、死ぬ結構前から記憶が怪しかったし、冗談好きだったから…本当かどうかは分からない」

 それだけ言うと、ヒロは口を閉じた。

 どうも、それが話の全容らしかった。

 

 二人の間に沈黙が訪れる。

 俺は、しばらくヒロの顔を見つめてから、奴の肩に手を置いて、フッと笑った。

 「何をやらかしてクビになったかは知らないけど、ちゃんと真面目に働いて金を稼いだ方がいいよ」

 諭したつもりだったが、伝わっていないようで、

 奴は、さらにテンションが上がった様子で言ってくる。

 

 「ふざけたばあさんの戯言だと思って、俺も忘れてたんだけどさ、つい最近思い出して、

 よーーーーーく考えたら、ちょっと面白いような気がしてきたんだ。…するだろ?」

 ヒロの言葉に、俺はブンブンと、思いっきり激しく首を横に振った。

 いやいやいや。面白くないだろ。

 だって、なんの根拠も確証もない話じゃないか。

 

 「骨折り損のくたびれ儲け、って言葉、知ってるか?」

 「知ってるけど、それが何だってんだよ」

 「そうなりかねない、ってことだよ」

 夏休みもそろそろ終盤だった。

 何かこう、もっと身になることに時間を使うべきだ、と俺は思う。

 

 「ばあちゃんが一人で住んでた家が、今空き家になっててさ。売りに出てるんだけど、

 買い手がつく前に、ちょっと庭を掘ってみようかと思って」

 ヒロが、俺の言葉など全く気にかけてない様子で、まだ話を続ける。

 「……」

 おーい、人の話、聞いてるか?

 「俺は、行かないからな」

 行く気満々のヒロに向かって、釘を刺すように強い口調で告げると、奴はムッとした。

 

 「なんだよ。ノリが悪いな」

 「ノリとかの問題じゃないんだよ。

 そんな話を信じて、無駄な時間や労力を使いたくないってことだよ」

 俺も心持ちムッとして、そう返すと、奴が黙り、

 それから机の引き出しを開けて、中から何かを取り出した。

 「これ」

 と言って、一枚の紙を広げて見せてきて、俺は、それに目を向ける。

 

 蛍光灯の光に照らされた紙には、家と庭の配置が書かれていて、

 庭の一箇所に赤い丸がついていた。

 どうやらヒロのおばあさんの家の敷地図のようだ。

 俺は、驚いて顔を上げ、ヒロを見た。

 「なんでこんなの持ってんだよ」

 「ばあちゃんが書いてくれたんだ」

 「こんなものがあるなんて言わなかっただろ」

 そう口にしてから、また紙に目を落とす。

 

 拙いながらも情報が分かりやすく書き込まれていて、おばあさんの話が、

 なんだか途端に真実味を帯びて思えてきた。

 「金(きん)が埋まってるんだとしたら、放っとけないだろ?」

 ヒロの言葉に、庭に埋まっている金のことを頭に思い浮かべてみる。

 物件がこのまま人手に渡ったら、それもその人の物になるのだろうか。

 

 「なー、つきあってくれよ。礼はするからさぁ」

 「んー。確かに放っとけない気もするけど…

 それにしても、おばあさんは、なんで金を庭に埋めたんだ?」

 俺が疑問を口にすると、ヒロは首を傾げながら答えた。

 「さあ。泥棒に盗られないように、考えたんじゃね?」

 どうも、そこまでは知らないらしい。

 俺は、引き続き目の前の紙を見つめる。

 

 「他人の手に渡るのを黙って見てるだけなんて、なんか悔しいだろ」

 俺をなんとか説得しようと、ヒロが横からさらに言ってくるが、

 考えてみれば別に俺は関係ないのだった。

 悔しい想い、なんてものも、特には湧いてこない。

 「それに俺、今ほんと金欠で金ないし」

 それだって、俺には関係なくて、知らねーよって話だ。

 金がないからって、不確かなものに賭けて頑張るってのも、どうかと思うし…

 

 「うーん」

 俺は、実際に掘ってみるときのことを思い浮かべてみて、げっそりした。

 「掘るって言ってもなー。外暑いしなー」

 掘る場所は野外で、そして、やることは、つまりは肉体労働だ。

 今は八月の後半で、いくら暑さにも多少慣れてきたとは言え、

 油断して過酷なことをすれば、ぶっ倒れるんじゃないかと思えた。

 

 「日中は暑いから、夕方から掘ればいい。飲み物くらい用意するし」

 ヒロの言葉を聞いて、うーんとまた唸った後、睨まれるの覚悟で、

 思ったままを口に出して言ってみる。

 「…一人でも出来ることのような気がするんだけど?」

 そうしたら、案の定、即、キツい視線が向けられた。

 「俺に、一人で掘れ、ってか?」

 これ以上文句は言わせないという調子で返して、ヒロが口の端を上げて俺を見る。

 奴の性格から言って、そんな労働めいたことを一人で、なんて絶対やらないに違いない。

 

 俺は渋々頷いた。

 「…分かったよ。掘ればいいんだろ。掘れば」

 溜息まじりに了承して、心の中で呟く。

 願わくば、その金(きん)とやらが、すぐに見つかりますように…

 「じゃあ、明日。穴掘り用のスコップと軍手持って、六時にうちに集合な」

 ヒロは意気揚々と言い、俺は小さく「ああ」と返した。

 全然乗り気になどなっていなかったけど、とりあえずヒロの家を出る頃には、

 来たときのムシャクシャした気分は、すっかりどこかへと消え去ってしまっていた。

 

 

 

 

 

                          

 

2013.08.06

 

 

 

  BACK     NEXT   web拍手 押してくださると励みになります

  HOME     NOVELS