廃墟2〜トレジャー・ガーデン〜2
翌日。
言われた時間に、言われた通り、スコップと軍手持参でヒロの家に行った。
奴が俺の顔を見て、
「ちゃんと来たな」
満足げにする。
もう出かける用意は出来ていて、ヒロは持っていた二本のペットボトルのうち、
一本を俺に向かって差し出してきた。
「やる」と言われて、驚く。
言ったからといって、ほんとに用意してくれるとは思っていなかった。
いつも人に頼ってばかりのヒロにしては、気が利いている。
奴に物をもらうなんて、初めてのことじゃないだろうか。
水筒を持ってきていたので、一応そう告げたが、
「いいから、もらっとけって」
ヒロは俺の手に押し付けるように渡してきて、頑なに拒む理由もないし、
俺は「…サンキュ」と受け取って、自分の自転車のカゴに入れた。
嬉しいような、でも、これが今日の労働代かと思うと、ちょっと複雑な気分にもなる。
天気予報に寄れば、今日は、昨日に比べれば気温が少し低いらしかった。
ただ、完全な無風状態で、暑いことに変わりはない。
「本当に行くんだよな?」
「ここまで用意して、行かないわけないだろ」
ヒロが自転車の荷台にくくりつけたスコップや、カゴの中の軍手、
それに懐中電灯に目をやって答える。
懐中電灯は、廃墟にも持ってきていたやつだ。
どうやら奴の気持ちは変わらないようだった。
そうとなれば…サッサと行ってサッサと終わらせよう。
「おばあさんちって、遠いのか?」
「ここから自転車で、30分くらいだ」
そんな会話を交わした後、自転車に跨り、二人でおばあさんの家に向かった。
そして、(けっこう飛ばしての)30分後、俺たちはおばあさんの家の前にいた。
玄関わきに自転車を置いて、家全体を眺める。
おばあさんの家は、平屋の一戸建てで、南側に塀で囲まれた庭があり、
外からは中が見えないようになっていた。
ヒロが、持ってきた合鍵で玄関のドアを開け、道具類を持って中へと入り、俺は、
「お邪魔します」
と小さく口にして、奴の後に続く。
締め切ってあった家の中は、モワッと空気が籠っていて、
呼吸とともに熱い空気が肺に入ってくる。
「あち…」
ヒロが、顔を歪めて呟き、俺も同じように顔を歪めつつも黙って進む。
まず小さな台所があって、そこを抜けると、日当たりの良さそうな和室が、
南側に二部屋並んでいた。
一人で暮らすには、ちょうどいい感じの広さで、なかなか過ごしやすそうな家だ。
ヒロが庭に面した大きな窓に寄って、それを開けた。
閉まっていた雨戸も開けると、外の空気が流れ込み、息苦しさが軽減する。
そこから外に目をやってみたら、庭は思っていたより広かった。
刈る人がいないからか、かなり雑草が生えている。
「うわー、草生えてんなー」
自分の記憶の中にある庭のイメージと違っていたようで、
元気よく茂った草を見て、ヒロが驚いたように声をあげた。
「しょうがないよ。誰も住んでないんだから」
俺が笑いつつそう口にすると、それを聞いた奴は、
ちょっと神妙な顔つきになって「そうだな」と頷いた。
それから、縁側から庭に降りようとして、履き物がないことに気づく。
「靴持って来ないと」
玄関に戻って取って来ようと背を向けるのと同時に、
「俺のも頼む」
という声が聞こえ、俺はヒロの靴もいっしょに取ってきた。
それを履いて庭に降りた後、ヒロがポケットから例の紙を取り出す。
「この辺か?」
「いや、もうちょっとこっちだろ」
日が暮れかかり、傾いた太陽の光の下で、二人して紙を見ながら、掘る場所を話し合った。
庭には、数本の木が植えられ、いくつか大きな石が配置されている。
実際の庭と敷地図を照らし合わせて考えるうち、
「ここだな」
「ああ。この辺だな」
二人の意見が一致し、掘る場所が決まった。
ヒロが、その場所にスコップをザクッと突き立てる。
「よし。じゃあ、始めよう」
開始の言葉とともに奴が掘り始めて、俺もそれに倣う。
地面にザクッと突き立て、土を掬い、脇へやる。
突き立てては、土を掬い、脇へ。
ひたすらそれを繰り返す。
掘り始めて、しばらくしてから、気づいたんだけど…
赤丸印は、敷地図上では小さく見えたけれど、庭は思ったより広いし、
実際は結構広範囲を掘らなければならないんじゃないだろうか。
「……」
土は乾燥して固く、草が生えていて表面が見えづらい上に、
根が張っていて掘りにくいので、だんだんモチべーションが下がってくる。
それでも黙って掘り進み、結構深く掘ったが、何も出てこない。
やめたい気持ちが少しずつ膨らむ。
だいたい、あるのかどうかも定かでないお宝だ。
自分が言い出したことだからか、割と辛抱強く掘っていたヒロが、
「おかしいな。ここじゃないのか?」
出そうにない雰囲気に、手を止めた。
「ばあちゃんだって、そんなに深く埋めないよな」
首を傾げるようにして呟いて、俺を見る。
俺は、ペットボトルに手を伸ばし、水分を補給してから、
「ちょっと、見せて」
ヒロにもう一度紙を見せてもらった。
「もう少しこっちかも」
俺が、少しズレた場所を指差して言うと、
「…そうだな。そんな気もする。よし、今度はこっちを掘ってみよう」
ヒロも同意し、少し休んだ後、俺たちは場所を変えて再び掘ってみた。
が、やはりそっちも同じだった。
同様に小石や根っこに阻まれて掘りにくい上に、
大きな穴が出来ても、何も出てこないので、さすがに嫌気がさしてくる。
でも、どこでやめるべきか、諦めるきっかけが掴めなくて、惰性で掘っていると、
「おっ、一番星だっ」
突然ヒロが叫んで、俺は奴の指差す方角を見上げた。
そこには確かに星が出ていて、視線を移して探しても、他に星は認められない。
「な、一番星だろ?」
「…そうかもな」
「かもじゃなくて、そうなんだよっ。俺、一番星見つけるの、好きなんだ」
嬉しそうに言うヒロを、「へぇ」と見つめる。
会話を交わした後、俺は気を取り直し手を動かし始めたが、そんな俺に、
「金環日食、見た?」
ヒロがまた唐突に話題を振って来る。
奴の問いに、俺はもう結構前のことになる、それを見た時のことを思い出した。
「ああ」
「俺、もっとでかいもんだと思ってた」
「…そうだな。思ってたより小さく見えたな」
ヒロとこんな話をするなんて、初めてだ。
知らなかったけど、ひょっとして星とか宇宙とかに、興味があるのだろうか。
…なんか意外だ。
と思った後、またザクザクと掘っていたら、さらに奴が話しかけてくる。
「蚊に足の指の先っちょとか刺されると、最悪だよな」
「……」
「むっちゃ痒いのに、かいてもかけてる感じがしない」
「…まあな」
俺は、そのどうでもいいけど、なんか耳を傾けてしまうあるある話に、素直に頷いた。
頷いて、ヒロの様子を見てからハッとする。
「さっきから何休んでんだよっ。手ぇ動かしてんの、俺だけじゃんっ」
「あ、気づいた?」
気づいた?じゃねぇよっ。
「つーか、ほんとに蚊に刺された。虫刺されの薬持ってねぇ?」
「そんなもん持ってねぇよっ」
「しょうがねぇなぁ。…唾でもつけとくか」
ヒロが指を舐めて、本当にその指を足先に持っていく。
ったくもう、なんでもいいから、手を動かしてくれよっ。
誰の為に掘ってると思ってるんだっ。
俺が、一人で憤慨していると、ヒロが「うおっ」と声をあげた。
今度は何だと思ったら、
「蛇っ、蛇っ」
叫んで腕にしがみついてくる。
ヒロが指差す方に意識を向けると、姿は見えなかったが、
確かに何かガサガサと音がして、去っていくような気配があった。
「俺、蛇駄目なんだっ」
「俺だって苦手だよっ。つか、しがみつくなっ」
拘束されたようになって、身動きが取れない苦しさに、俺は思わず大声をあげる。
ヒロが離れないまま、
「もう俺、疲れた」
ポツリと呟いて、
「俺の方が疲れてるよっ」
さすがにムッと来た俺は、怒鳴った。
なんでこいつは、こんなに自由なんだっ。
その後、俺はなんだかやってられない気分になって、嘆息すると共に、
「もうやめようか」
そう口にする。
「印のついたとこ掘ってんのに、出てこないし」
俺がスコップを置いて、柄に手をかけたままヒロに目をやると、
奴は急に慌てたような様子を見せた。
「わ、分かったっ。真面目に掘るから。ほらっ、ちゃんとやるからっ」
ヒロが真剣な顔をして手を動かし、再び地面を掘り始める。
「……」
それを見て、俺ももう一度、ザクッとスコップの先を突き立てた。
一応、金を掘り出したい気持ちは、まだ奴の中にあるらしい。
もう、なくなるか、忘れ果ててんのかと思ったけど。
ヒロにまだ掘る気があるのなら、もうちょっと頑張ってみるか、
と思ったとき、俺は首筋の辺りに、スッと冷たい空気を感じた。
え…
背筋をゾクッと寒気が走る。
野外で吹くはずのない、その冷たい風のような空気の流れに、
心臓の鼓動が早まるのを感じつつ恐る恐る顔を上げた。
近くに、何かいる。
その気配を強く感じる方に、ゆっくりと顔を向け、
「いっ」
それを認めると同時に、俺は固まった。
顔が強張り、動けなくなる。
見えた。
日も暮れて暗くなった空間に漂う、うっすらと透けている、白い人の姿が。
体の向こう側が見えているそれは、どう考えても幽霊で、
確信した俺は、ちょっと泣きたい気持ちになりつつ、ヒロに聞いた。
「ヒロ…。ちゃんと墓参り行ったか?」
今度は真面目に手を動かして地面を掘っていた奴が、顔を上げて「あ?」と訝しげに俺を見る。
「なんだよ急に。…盆に行って来たけど?」
何も感じないらしい奴が、キョトンとした表情で答えた。
「そ…うか。なら良かった」
強張った表情のまま、ちょっと笑いながら言うと、ヒロが眉を寄せて、「なんで」と口にする。
それから、俺の視線が自分の後ろに注がれているのに気づいて、
「な、なんか見えんのか!?」
大声を出して聞いてきた。
「うん…。でも大丈夫。悪い感じはしないから」
ヒロの肩越しに、見えるそれは、見えるか見えないかという感じに薄かったが、
時々人の姿をはっきりと成すときもあって、そんなときは表情もハッキリ分かった。
言ったように、悪い感じはしない。
俺の言葉に、ヒロが目を輝かせる。
「どこっ、どこにいるっ!?」
だから、どうしてそこで嬉しそうなんだよ。
俺は、ハーッと一つ息を吐いてから、教えてやった。
「お前の左肩」
するとヒロは、自分の左肩に目をやって、見えなかったのか、
今度は右肩を見て、そのままその場で回った。
クルクルしてる姿がバカっぽくて密かに笑う。
どっち見たって、見えないもんは見えないんだって。
廃墟のときと違って、今回は、ヒロの目には見えないようで、
俺は、幽霊の醸し出す雰囲気と、見える位置から、
そうじゃないかと推測したことを、奴に向かって告げた。
「きっと、ヒロのおばあさんだと思う」
すると、
「え」
ヒロは意外だったのか、驚いた表情で、俺を見た。
身内の幽霊とは、考えてもみなかったらしい。
戸惑ったように、動きを止めている。
ヒロは、そうして少しの間、何も言わないままじっとした後、
左肩を意識するように視線を泳がせてから、目線をゆっくりと下に落とした。
俺の推測では、この幽霊は、多分ヒロのおばあさんだ。
守護霊というやつのようで、邪悪な感じはしないし、
暖かい眼差しで、見守っているように見える。
こうして左肩の辺りに、いつも憑いているのだろう。
俯いたヒロは、なぜか気まずそうにしていた。
何かを迷っているようでもあるその様子に、俺は、奴の顔を覗き込むようにして、
「どうした?」
と問いかけた。
すると、ヒロが顔を上げ、
「…俺、ばあちゃんに謝りたいことがあるんだ」
殊勝な感じで打ち明ける。
「え」
そのあまり見たことのない態度と言葉に、俺がびっくりしていると、
奴は、おばあさんに向かって、思い切ったように切り出した。
「ばあちゃん。一緒に住むのは嫌だとか言って悪かった」
ヒロがその内容を吐露し、俺は思わず口を挟む。
「え、おばあさん、一緒に住みたがってたのか?」
聞くと、奴は、俺を見て、
「分かんねぇけど…」
と、困ったような表情と曖昧な口調で答えた。
「ばあちゃんと一緒に家族で外食したときに、母ちゃんが言ったことがあったんだ。
ばあちゃん一人暮らしで何かと心配だから、家に来てもらって一緒に住もうか、って。
で、そのとき…俺、嫌だって言ったんだ」
「どうして」
「だって、毎日小言言われることになると思ったから…俺、全然いい孫じゃないし…」
そこまで言ってヒロが黙り、俺は、あー、と思いつつ普段の奴の姿を思い浮かべた。
確かに、自由奔放だし、先生には目をつけられてるし、
成績もいいとは言えないし(ハッキリ言っていいなら、…悪いし)、
いたずら好きで後先考えない。
…そりゃ、叱られたり小言も言われるかも知れないな。
「ただでさえ親にいろいろ言われてうっとおしいのに、
それがもう一人増えるかと思ったら、瞬間的に嫌だって言ってた」
「……」
そこまで俺に向かって言った後、ヒロは、また左肩の辺りに視線をやる。
「でも、ばあちゃんが嫌だったわけじゃない。
ばあちゃんのことは、面白いし、よく遊んでくれたし、好きだった」
おばあさんの霊は、これといった変化も反応も見せないまま、そこにいた。
話すタイプの霊ではないらしい。
ヒロは、ただちょっと、面倒なことになるかもと思って口にした事を、
気にかけているみたいだったが、話を聞いた限りでは、
おばあさんが自ら一緒に暮らしたいと言ったわけではないようで…
ヒロのおばあさんがどんな人だったか知らないけど、
世の中には一人でしゃきしゃき生活していて、
なるべく人の世話にはなりたくないと言うタイプの人だっていて、
実際、俺の母方の祖母はそういう人だ。
それに俺だって、両親の実家のじいちゃんやばあちゃん達と、
いきなり一緒に住むことになったら、少なからず戸惑うだろう。
「そんなに気にすることないと思う。おばあさんだって、
分かってくれてたんじゃないかな」
俺が言うと、ヒロが眉を寄せて不安げにした。
「そう…かも知れないけど。
ばあちゃんが死んだって報せを受けた時から、ずっと、なんとなく気にかかってたんだ」
そう心情を打ち明けてから、こそっと窺うようにして、俺に霊の様子を聞いてくる。
「な、どんな顔してる?」
言われて、ヒロの左肩後方を見た。
「んー、よく読み取れないけど、怒ってはいないと思う。
悲しそう…でもないし。穏やかな感じ」
意識を集中し、霊の発する雰囲気を感じ取って伝えると、
奴がホッと安堵したような表情になって「そっか」と呟く。
うっすらと白く、人の姿をした霊は、ふいにヒロを離れて、
俺たちが掘っている場所の上に行った後、少し右にズレてからスッと姿を消した。
「あ…消えた」
と言うと、ヒロが驚いたようにする。
それから、
「そうか…」
今度は少し淋しそうに呟き、でも仕方ないと諦める表情で頷いた。
「ヒロ。おばあさんが、なんか示して行ってくれたようだから、
もう一回だけ、もうちょっとこっちを掘ってみよう」
俺が、その場所を掘ることを提案したら、奴が顔を上げて俺を見る。
「これで出なかったら、諦めて帰る」
と言うと、俺をじっと見つめた後、
「ああ。そうだな」
俺の意見に同意した。
そして、二人してまた掘り始めた、その矢先。
ガツン、とスコップの切っ先が、何かに当たった音がした。
音はヒロの持ったスコップの下から聞こえたようで、
奴が確かめるように、音のした物を、何度か軽くコツコツと小突いている。
「ビンゴみたいだな」
ヒロは言ったが、金にぶち当たったかも知れないというのに、
あまり嬉しそうではなく、微妙な表情をしていた。
それは俺も同じで、壺に入っていると聞いていた割には、聞こえてくる音は、
砂利にまみれた空き缶が発するそれのようで、なんだかチープな感じだ。
「壺…じゃねぇみたいだな」
「ああ」
もう少し掘り進んでみたら、本当に空き缶が出てきた。
しかも、思っていたよりずっと小さく、金が入っているようには、とても思えない。
手の平より少し大きい程度の四角い入れ物で、
元は洋菓子か何かが入っていた缶のようだった。
長い間土に埋もれていたそれをヒロが取り上げ、力を込めて蓋を開けて、
カパッという音がするのと同時に、二人して中を覗き込んだ。
ビニール袋が丸まって入っていて、それに包まれて、さらに何かが入っていた。
パッと見、なんなのか分からないそれを、
ヒロが右手の軍手を外して、素手で缶から出す。
軽そうなところを見ると、やはり金塊ではないようだ。
目を凝らして見たら、何か紙のようなものが中に入っていて、
余ったビニール部分がそれにクルクルと巻きつけてあった。
なんだか子供っぽい絵が描かれているのが分かる。
どうやらポチ袋のようだ。
正月に見る小さな紙袋…つまりお年玉。
印刷されているのは、今も子供たちに人気の、某アニメのキャラクターだ。
「ああ。思い出した」
袋をじっと見ていたヒロが、声をあげる。
「これ、ガキの頃ばあちゃんにもらったお年玉だ。
この家に置いていって、いつか取りに来ようと思って忘れてた」
そう言った後、躊躇なく中から袋を取り出し、封を開けて中身を確認した。
差し入れた指で、千円札を三枚取り出し、無言で俺を見る。
笑顔と渋面が混ざったような、何とも言えない表情を浮かべているので、
「金(きん)じゃなかったけど…良かったな」
俺が苦笑してそう口にすると、ヒロの笑顔の分量が少しだけ増えた。
奴が、その札をヒラヒラさせながら、思いついたように、
「カラオケ行くか」
というので、顔を歪めて、
「行かなくていいよ」
と断る。
今はそういう気分じゃなかったし、
ましてや目の前のその金で、行く気になど、なれない。
ヒロが俺を見て、
「冗談だよ」
と呟くと、それをポケットへとしまった。
2013.09.13