おかえり
退院してから四日が過ぎた。
四日間、家の中で課題のレポートを書いたり、DVDを見たりして過ごした。
まだ包帯の巻かれた頭では、外出も目立ってちょっと恥ずかしかったし、
安静にしなかったせいでやっぱり入院してもらうなんてことになったらたまったものではないので
(ま、ないだろうけど)、俺は大人しく過ごしていた。
一日に一回、椎に病院まで送り迎えしてもらって、先生に傷の具合を診てもらう。
傷は順調に治癒していっているようで、大げさに見えた腕の包帯は、今日外された。
でも、なかなかに目立つ傷痕で、進んで人目に晒したくはない。
まだ四月だから、長袖が着られるし、それで隠れるのが幸いだった。
椎は毎晩ずっとソファで寝ている。
「ベッドで寝ていいよ。そんなとこじゃ、ぐっすり寝られないだろ?」
と言っても、頑なな態度で「ここでいいよ」と返してくる。
なんで一緒に寝ないのだろう。以前は寝ていたみたいなのに。
本当なら、今日辺りが元々の退院予定日で…
よく分からないけど、俺、早く退院しない方が良かったのかな。
などとちょっとだけ思ったりする。
昨日、俺が着替えているとき、そばにいた椎が、
「もうずっとしてない」
ため息まじりにポツリと呟いた。
「何を?」
俺が、顔を上げて聞くと、うっすらと笑う。
「いや。なんでもない」
なんだか悩んでるみたいというか、疲れてるみたいっていうか…
憔悴してる感じがする。
だからベッドで寝ろって言ってんのに。
それから三日後。
頭の包帯は数日前に取れていたが、抜糸の方も無事に済んで、なんかスッキリした。
怪我のことをほとんど意識しないでいられるくらいに回復し、
「激しい運動をしなければ、学校に行っても構わないよ」
と先生に言われた俺は、次の日、一週間と四日ぶりに、椎と一緒に大学に行った。
以前とあまり変わらない毎日がスタートして、明日から、アルバイトにも戻ろうと思っている。
大学から家に帰って、椎がクリニックに出かけた後一人で過ごしていたら、藤沢先輩からメールが届いた。
先輩からのメールは今までにも何通かもらっていたが、
『ずいぶん元気になったみたいだね。良かった』
今回のは、今までのに比べて簡潔で短かった。
文面から、いつもの笑顔が脳裏に浮かぶ。
キャンパス内のどこかで俺を見たらしい。学食ででも見かけたのだろうか。
お礼の言葉を返すと、
『お祝いしたいから、服部君のマンションに遊びに行ってもいいかな』
と返ってきた。
お祝いだなんて、俺がお礼をしなきゃならないのに。
それから俺は、先輩がここにやってくることを想像して、ちょっと考えた。
椎に断らずに了承してしまっていいだろうか。
はっきり言ってしまえば、先輩は椎には関係ないと言ってもいい人だ。
共有している空間に、勝手に呼ぶのはよくないかも知れない。
なにより、先輩の話をすると、椎はなんとなく不機嫌になってるような気がするんだよな。
『俺が先輩の家にお邪魔しては駄目ですか』
とメールで聞いたら、
『もちろん、それでもいいよ』
とすぐに返事が返ってきた。
『じゃあ、今から行きます』
俺は、そう返信すると、出かけるために着替えた。
財布に金を補充して家を出、途中でお礼の品と洋菓子を買って、駅前のマンションへ向かう。
実際にエントランスに立ってみると、本当に大きくて立派なマンションだった。
電車を利用するときにいつも見ていたこのマンションに、自分の用事で来ることがあるとは、
怪我をする前までは、思ってもみなかった。
セキュリティはうちほどではないのか、暗証番号を入力するようなシステムはなく、
そのままエレベーターに乗り込む。
三階のボタンを押して上にあがり、藤沢と表札の出たドアの前に立って呼び鈴を鳴らした。
携帯の時計を見ると、四時を少し回っていた。
カチャッという音とともに、ドアが開いて、
「いらっしゃい」
先輩が顔を覗かせ、俺は手にしていたものを差し出した。
「こんにちは。あの、これ。今回の件では本当にお世話になりました」
駅前の贈答専門のショップで、何を買っていけばいいか分からずに店員に聞いたら、
お見舞いのお返しには、タオルや洗剤が人気だと言うので、ちょっと地味だと感じつつ、セットで買っていった。
それが毎日の生活の必需品であることは、自分で洗濯をするようになってよく知っていたし、
先輩も一人暮らしだから、役には確かに立つだろうと思う。
「ああ。ありがとう。こんなの、いいのに」
「あと、これも良かったら」
洋菓子も一緒に渡すと、先輩は笑いつつ受け取って、
「入って」
と俺に上がるよう促した。
「お邪魔します」
断って上がらせてもらう。
入っていくと、中は綺麗に片付いていて、大きなソファのセットと、その前のガラステーブルがまず目に入った。
部屋の広さはうちと同じくらいだ。
「僕、友達が少ないから、こうやって誰かが来てくれることって、あんまりないんだよね」
先輩が苦笑しながら言う。
「先輩に限って、そんなことないでしょ」
「ほんとだよ。だから今日はすごく嬉しくて」
俺は先輩に友達が少ないなんてとても思えなかった。
俺に対してスッと入って来たし、人当たりが良くて明るいし、
爽やかな感じがして人づきあいも良さそうだ。
「好きなところに座って」
言われて、先輩が指差した二人掛け用のソファに、そのまま腰を降ろす。
先輩が調理台にあった大き目の皿をテーブルに運んで、なんだろうと思ったら、
オードブルっぽい食べ物が、たくさん乗っていた。
「今日は服部君が良くなったお祝いと僕の家にお客が来たお祝いに…」
そう言って、またシンクの方へ戻り、冷蔵庫を開けて、
「これ、一緒に飲もう」
先輩は嬉しそうに、中から何かを取り出した。
先輩の手に目をやると、一本のワインのボトルを持っている。
それを見て、えっと驚いた後、俺は申し訳ない気持ちになった。
「すいません。俺、酒が苦手で…どうもあの舌に残る苦い味が…駄目なんです」
俺はやんわり断ったつもりだったのだけれど、
「これはきっと大丈夫だから、騙されたと思って一口飲んでみて」
先輩は、そう言って手際よくワインの栓を抜いた。
「ほら、もう開けちゃったから。飲まないともったいないよ」
ボトルを傾けて、用意した二人分のワイングラスに、それぞれ注いでいく。
飲めないって言ってるのに…
と思いつつも、
「ちょっとでいいから、口つけてみて」
グラスを持ち上げ、目の前に差し出されたら、さすがに受け取らないわけにいかなかった。
それを手にして、ちょっと戸惑いながら飲んでみた。
そうしたら、予想外においしくて、俺はビックリして先輩の顔を見た。
今まで俺が飲んだ数少ない他のアルコール類と比べて、それは格段に飲みやすかった。
ジュースみたいに甘くて、香りもいい。
「先輩、これすっごくおいしいです」
俺が、感じたままの感想を口にすると、先輩は満足そうに微笑んだ。
「ね。度数も低いから、たくさん飲んでも大丈夫だよ。
僕の友達にも酒に弱いやつがいるんだけど、そいつも平気だったし」
「ヘぇ…こんなワインがあるんですね」
俺は感心しながらそれをまた口に運んだ。綺麗な赤い色と甘い味。
口当たりがいいし、いつも飲めないことを少なからず悔しく思っていたから、勧められるままに飲んでしまう。
俺も先輩のグラスにワインを注ぎ、話をしながら飲んでいたらだんだんフワフワと気持ち良くなってきた。
なんだ。酒に酔うって、こんな感じなんだ。いいな、この感覚。
酒飲みはいつもこの感覚を味わってるんだ。それじゃあ、やめられないよな。
でも、俺の場合、普通の酒だと飲めないし…
「これなら全然大丈夫みたいなんですけど。ぶっちゃけいくらなんですか?」
こんなにおいしいんだから、きっと高いんだろう。
「これ?これは、もらいものなんだ。いくらなんだろうな…酒屋とかで買うと、3万くらい?」
「えーっ!!そんなにっ!?」
そんなにするんじゃ、普段から飲むというわけにはいかない。
「服部君が来てくれたから、開けたんだよ。飲ませてあげたかったんだ。
残すのもなんだし、もう全部飲んじゃっていいからね」
先輩が、そう言って俺のグラスになみなみと注ぎいれる。
「あ、ありがとうございます」
それを飲み干してしばらくした頃、俺はかなり酔っ払っていた。
体の隅々までワインが行き渡った感じがし、トイレに行こうとして立ち上がったら、ふらついた。
「大丈夫?」
先輩がとっさに立ち上がり、体を支えてくれる。
「あー、すいません」
「だいぶ酔ったみたいだね」
「え、酔ってませんよぉ。…酔ってないって、あははは」
顔の前で手を振ると、先輩は苦笑した。
「酔ってるやつほどそう言うんだよ。ちょっと、水持って来ようか」
先輩の家でこんなになるって、どうなんだよ。
みっともないぞ。と心のどこかで思うけど、しゃきっと出来ない。
そのままふらつく足取りでトイレに行って用を足し、戻ってくると先輩が水の入ったコップを持って待っていた。
「座って」
言われるままにソファに腰を下ろし、水を受け取ろうとしたら、
先輩は俺の隣に座り、コップの縁を俺の口に近づけた。
「やだなぁ先輩、自分で出来ますって」
俺は笑いながらそう言ったけれど、
「いいから、飲んで」
先輩はそれを傾けて、中の液体を口の中へと流し込んでくる。
俺は驚いて、先輩を見た。
先輩はコップを唇に付けて離してくれない。
「んっ」
飲みきれなかった水が口の端からこぼれ落ちた。
先輩がコップを離してテーブルに置き、俺の口元の水が伝った跡を、
あろうことか唇で吸うようにし、その唇が一瞬後には俺の唇を塞いでいた。
え。
俺はありえない出来事に、固まった。
これはいったい、どういうことなのか。
俺の頭は混乱した。
動けずにいると、俺の口をこじ開けるようにして、先輩の舌が侵入してくる。
差し入れられた舌が、俺の口の中を舐めまわす。
「んっ、んっ」
俺はいま先輩とキスをしている。
うまく回らない頭のまま、状況を把握しようとする。
まさか、信じられないけど、先輩は俺のことが好きなのか?そういう意味で?
だけど、俺、先輩をそんな目で見たことがない。
「いいだろ?」
先輩が離れて、そう聞く。俺は慌てて首を横に振った。
先輩とこんなこと…いいわけがない。
俺の仕草を見て、先輩の目が、吊り上がる。
「なんでだよ。椎とはしてるんだろ。どんなふうにしてるのか教えてくれよ。
どっちが入れるんだ?椎か?お前か?」
何を言われているのか分からない。
何より、今目の前にいる先輩は、今まで俺が見てきた優しいイメージの先輩と全然違っていて、
その豹変ぶりが全く理解できなかった。
何かを怒っている雰囲気に、俺は、少し萎縮しながら、先輩を見つめた。
そんな俺の胸を、先輩がぐっと押す。
何も身構えてなかった俺の体は、後ろに傾き、いとも簡単にソファに押し倒されてしまった。
ゴツッ。肘掛けに頭をぶつけ、顔を歪める。
先輩が上に乗って来た。
「いいよ。言わなくても」
クスッと笑う。
俺のズボンのボタンを外しながら、
「体に聞く」
そう言うと、スルリと手を下着の中へ滑り込ませた。
「あっ」
いきなりペニスを握られて、その刺激にビクッとなる。
「感度いいんだな」
面白そうに言って、先輩は俺のモノを扱き始めた。
「あっ、あっ」
腰がガクガクと揺れる。
「先輩、や…め」
信じられなかった。こんな、こんなことをするなんて。
それから、再び唇を塞がれる。
「んっ、んーっ!」
嫌なのに、俺のモノは先輩のもたらす刺激に反応して、大きくなっていく。
先輩は唇を離すと一度ズボンから手を出し、ファスナーを下まで降ろして、俺のモノを取り出した。
そうして、勃ち上がったそれを擦り上げ、射精を促そうとする。
「あ、ああっ」
俺は、それを阻止しようと先輩の手に手を伸ばしたけれど、空いている方の手で掴まれて、
ソファに押し付けられてしまう。
「先輩っ」
その時、俺の携帯が鳴った。先輩が手を止めて携帯の方を見た。
テーブルに置かれたそれの画面表示を見て、
「王子様からみたいだな」
先輩は手を伸ばして携帯を取り、電話に出た。
『もしもし、玲二?今どこにいる?』
電話越しの椎の声が、俺の耳にも聞こえる。その問いに、
「…彼なら、ここにいるよ」
先輩は、笑って答えた。
「俺の下」
凍りつくような沈黙が、携帯越しに感じられる。
椎の息遣いを楽しむように耳を澄ましてから、先輩が電話を一方的に切った。
携帯をテーブルに戻して、言う。
「彼は来るかな」
そして俺のモノをまた扱き始める。
「あっ、や…だ…」
「来るといいね」
先輩の下から逃れようとするけれど、太ももの上に体重をかけて乗られていて、
それに酒も回っているせいなのか体に力が入らない。
先走りの溢れ始めた鈴口に指を割りいれるようにされ、
「ん…あっ、あっ」
声が漏れる。
「ふーん。この声で椎を夢中にさせてるんだ」
そんなことを言われて、かあっと顔が火照る。
「椎とは…こんなこと、しない…っ」
先輩の眉がピクリと動く。
「嘘をつくんじゃない」
きつい口調で言って、溢れた雫を先端に塗り広げるようにしながら、わざとクチュッと音をさせる。
「は…あっ」
感じてしまって腰が疼く。
声を聞かれたくなくて慌てて口を閉じるけど、
「ん…、ふ…」
どうしても声にならない声が漏れてしまう。
「それ、なんかかえってヤラシイんだけど」
先輩がおかしそうに笑って、上下にしごく手のスピードを速めた。
「あっ!んっ、ああっ」
さらに強く握られ、擦られて、俺はもう限界に達していた。
イくっ。イってしまうっ。
そう思ったとき、先輩が俺の首筋に顔を寄せ、一気にそこを舐め上げた。
「ひっ…んぁッ」
くすぐったさと気持ちよさが背中を駆け抜け、次の瞬間、俺のモノは弾けて精液が腹に飛んだ。
先輩の手にも付着して色白の顔が歪み、それを見た俺は呆然とした。
先輩は俺のことを嫌っている。
先輩の表情から、それがはっきりと見て取れた。
俺を嫌っているのに、なんでこんなことをするんだ…?
そして、少しずつ少しずつ頭の中で何かが形を取り戻し始める。
どこかへ飛んで行ってしまっていた記憶の欠片が、俺の中に再び集まって記憶の入れ物の容量を満たしていく。
そして、それがいっぱいに満たされたとき、頭の中に椎の声が響いた。
『好きなんだ』
はにかんだ椎の笑顔、愛しい声音。
これまでのいろんな場面での、椎の表情、椎の言葉が頭をよぎる。
椎が俺にとってどんな存在かも…どんなに大切かも…
椎に抱いていた感情も、戻ってくる。
思い出した…全部。
「椎…」
なのに。もう体が動かない。
俺は、体が眠気に包まれつつあるのを感じて、悔しくてたまらなくなった。
この体は、すぐに眠ってしまうのだろう。
「もうずっとしてない」
唐突に、椎の言葉が蘇える。
それがどういう事なのか。すごく意味のある言葉だったのに、俺、あの時なんて言った?
あの時だけじゃない。ずっとひどい事を言ったり思い続けていた気がする。
自分の酷さに、たまらず目をきつく閉じる。
ごめん。椎。ごめん…
椎。お前の元に、今すぐ帰りたい。
「おい。どうした?」
先輩が俺を覗き込んでそう言うのが聞こえ、ハッとした。
俺は、俺は先輩といったい何をしてるんだ?
そう思って、愕然とする。
今俺がしてることは、椎に対する裏切り…背徳行為じゃないのか?
俺は手を伸ばして携帯を取ろうとした。
「何をする気だ」
先輩が、その俺の手を、掴む。
「離…せ」
俺は、先輩の手を振り払おうとした。
今すぐ、椎に謝りたかった。
忘れていた間、ひどいことを言ったりしたりしたこと、忘れたこと自体、
そして、許されるか分からないけどこんなことをしてしまったこと。
電話でもいい。とにかく今すぐに。謝りたい。
けれど、先輩は手を離してくれない。
俺が睨むと、先輩は口の端を上げるようにして笑い、足でテーブルの上の携帯を、向こう側に蹴り落とした。
「させない」
俺はその信じられない行為に、思わず先輩を凝視した。
どんどん眠気が強くなってくるのを感じて、
「なんで…なんで、こんな…」
悔しくて涙がこぼれる。
「お前なんかが、椎を独り占めしていいわけないだろ」
先輩の言葉に、頭が一瞬まっ白になった。
俺なんかが、独り占めしていいわけない……
そんなふうに思っている誰かがいるなんて、考えたこともなかった。
呆然としていると、眠気が押し寄せ俺を包み込んでいく。
ショックと悔しさもそれと一緒にやってきて、意識がすっと遠ざかり、俺は眠りに落ちていった。
唇が合わさるのを感じた。
次いで、舌が差し入れられる。それは上顎をなぞり、やがて俺の舌に触れると優しく絡んでくる。
「ん」
この舌を知っている。これは…
俺は、手を伸ばして相手の体を抱きしめた。
唇を離して、抱きしめる手にぎゅっと力を込め、
「ごめん。椎、ごめん」
謝りながら目を開ける。
そこには、眼鏡をかけていない椎の顔があった。前髪を分けて、きりっとした表情で。
着ている服の傾向がいつもと違う。
なんだか、ファッション誌から抜け出てきたモデルみたいな格好だ。
椎が、俺の前髪をかきあげて、そのままその手を頬に沿わせる。
「俺の名前、呼んでた」
俺の顔を愛しげに見てから、
「思い出したんだよな」
そう言って、これ以上ないくらいに嬉しそうで、それでいてちょっと泣きそうな表情を浮かべた。
「椎…」
「でも、ずっと忘れてたんだ。今日はお仕置きだからな」
抱きしめ返してくる。
忘れていた、なんて。
どうして、この体を、この声を、この顔を忘れることが出来たんだろう。
全部、全部、こんなに好きなのに。
椎の肩越しに、見慣れた天井が目に入った。俺は、家のベッドに横になっていた。
確か先輩の家にいたはずだった。
「先輩は…?」
俺が尋ねると、椎は顔を歪めた。
「あんなのに『先輩』なんて、もったいない。『かっぱ』でいいんだよ」
「か、かっぱ…」
「人の恋人に、手ぇ出しやがって」
「……」
椎は、明らかに怒っているようだった。
「椎が、俺をここへ…?」
「ああ。俺があの部屋からここまで運んだ」
あの電話の後、椎は先輩の部屋に行ったらしい。
「先輩は何て…?」
聞くと、椎はムッとして、
「あんな奴の話はもういいよ。今、思い出したくない。せっかく玲二と二人きりなのに」
そう言うと、もう一度俺をぎゅっと抱きしめた。
俺の首筋に顔を埋めるようにして、思い切り抱きしめる。
強く力を込められて少し苦しいくらいだったけど、されるがままになっていると、やがて離れて俺を見つめた。
俺も見つめ返す。
「…なんか、いつもと違うんだな。服」
俺が言うと、憤慨した様子で当然だと言いた気にする。
「少しでも決めていった方がいいに決まってるだろ。あんなのになめられてたまるか」
俺は、黙って椎を眺めた。
こんな格好も出来るんだ。
というか、高校の頃はきっといつもこんな感じだったのだろう。
確かに、これで歩いたらモテるに違いないし、常に注目の的になってしまうだろうことは必至だ。
目をつけられて、いろいろと期待されて、また頑張ってしまうのだろう。
そうならないために、姿を変えていたのに、俺が頑張らせてしまった。
それだけじゃなく俺は、椎のこと忘れて、先輩と飲んだ末に、あんなことを…あんな…
「椎…俺…謝っても、謝り切れないよ」
思い出したら、とても許されることではないように思えた。椎が笑って呟く。
「もういいんだ」
椎は、優しい目で見てくるけれど、椎が良くても、俺が俺を許せない。
「違う。俺は、先輩と」
「聞いた。しごかれてイかされただけだろう?」
え、知ってる…?先輩が喋ったのだろうか。
俺は、ちょっとショックだったが、椎はなんでもないみたいに言う。
だけ…って、そんな言い方したら、どんなことも大したことじゃなくなってしまうじゃないか。
俺は、そのときのことを思い出して付け加えた。
「…あと、キスも…」
すると、椎が苦笑する。
「なんで、そんなにバカ正直なんだよ」
だって、俺がしたことはひどいことなんだ。
もっと責められるべきなんだ。
俺は罪悪感を拭えずにそう思ったが、椎は自信に満ちた表情をして言った。
「そんなのは俺が消してやる」
「え」
「好きであいつとそういうことしたんじゃないんだろう?」
聞かれて、速攻頷く。
「も、もちろん、違うけど」
すると、椎がニッと笑う。
「だったら、俺が消してやる」
「……」
「それと、後ろが奪われてないかは、後で確かめさせてもらう」
そんなことを言われ、ドキッとする。
「もういいんだ。ちゃんと、思い出してくれたんだから」
椎の腕にまた力がこもる。
「椎…」
抱きしめられながら大きく息を吸ったら、懐かしい椎の匂いがした。
俺より少し体温が低いのか、いつも最初は冷たく感じられる椎の指先も、長くて柔らかい前髪も、
切れ長の瞳も、抱きしめる力加減も、全部椎のもので、全部全部椎で、懐かしくて…
俺は嬉しくて、目を閉じる。
思い出せて…本当に良かった。
椎が、俺のシャツの裾から手を滑りこませて来る。
エッチをしたがっているのが分かったけど、俺は服の上からその手を押さえて止めた。
「玲二…?」
今すぐにしたい気持ちは、俺も同じだった。でも。
「ごめん、椎。俺、シャワー浴びたい。すぐ済むから」
先輩にさわられた箇所、舐められた首筋、腹についた精液。
椎とする前に、全部綺麗に洗いたい。
汚れたまま抱かれたくなかった。
「このままじゃ、嫌なんだ」
俺が言おうとしていることが分かったのか、椎がシャツの中から手を引いて、上半身を起こす。
「いいよ。待ってる」
俺が起きてベッドを降りると、俺の手に自分の手を伸ばして来て掴み、
「それとも、俺、一緒に行って洗ってやろうか?」
首を傾げるようにして聞いてきた。
俺は、頭の中で素早くシュミレーションしてみる。
そして、言った。
「ベッドでしたいから、いい」
それを聞いて、椎が手を緩めて、ふっと笑う。
「分かった」
風呂に向かって歩いていると、後ろから声をかけて来た。
「洗ったら、何も身につけずにそのままおいでよ」
そうは言われたものの、シャワーを浴びながら、『今から椎とする』と思ったら、
俺のモノはそれだけでもう上を向き始めてしまって、隠したくてしょうがなくなった。
でも、風呂を出て体を拭いていると、椎が待ちきれないというようにやって来て、
俺の腕を握ってベッドへと引っ張られてしまった。
椎も服を脱いで裸になっていて、ヤる気を隠す様子は微塵もないので、もういいか、という気になる。
椎のも同じ状態だったし。
そのまま体を重ねると、お互いのモノがお互いの腹を押し合い、俺はくすぐったくて目をぎゅっと瞑った。
「玲二…」
椎が唇を押し付けるように重ねて、舌を差し入れてくる。
「ん…椎…」
それに応えていると、椎が両の乳首を指で押してきて、
「んっ」
その刺激が腰に来てビクッとした。突起が硬く隆起する。
唇を離して、椎が嬉しそうに笑う。
「久しぶりの玲二…やらしい」
誰がしたんだよ。こういう体に。
先輩の前でも、あんなふうに感じてしまって、思い出すとすごく恥ずかしい…
椎が、俺の手をとって自分の股間に導く。
「俺の、触って」
それに触れて柔らかく握ると、椎は俺の胸の突起を口に含んで甘く噛んでくる。
「…あっ、んっ」
思わず声をあげたら、椎のモノが反応するように硬く大きくなった。
椎が顔を上げて聞いてくる。
「この声、あいつに聞かせたの?」
聞かれて、そのときのことを思い出す。
かぁっと顔が火照ってきて、俺が答えないでいると、肯定だと感じた椎の表情に不機嫌な色が浮かんだ。
「あいつ、もう一回殴ってやる」
もう一回、ってことは、殴った、ってことか?
びっくりしていると、椎はムッとした顔のまま俺を見た。
「玲二も抵抗ぐらいしろよ」
「しようと思ったけど…飲んでて、力入らなくて…その」
なんか言い訳が、ちゃんと言い訳になってない気がして、最後の方はしどろもどろになる。
「そういえば、結構飲んでたみたいだったよな。なんであいつとなら飲めるんだよ。俺の酒は飲めないくせに」
「……」
だって、飲めたんだからしょうがないだろ。
俺は、おいしくてどんどん飲めてしまったワインのことを思い浮かべた。
椎は俺の顔をじっと見たあと、
「ああ、もうお仕置きする」
我慢できないというようにそう言って、ベッドの下に手を突っ込んだ。
ガサゴソと入れ物をかき回して、ピンク色の丸いものを取り出す。
「な、なんだよ、それ」
椎が手にしているものを、俺は見たことがあった。
実物は初めてだけど、確か、ローターとかいう名前だったような気がする。
そんなのも入ってたのか。
唖然としていると、椎がそれの先端にローションを塗って、スイッチを入れた。
軽いモーター音がして、
「まさか、それを」
「そう。こうするんだよ」
椎が、俺の足をぐっと開いて、
「ちょっ」
小刻みに震え始めたそれを、俺の後ろのすぼまりに押し当てる。
「あっ」
入って来そうで入って来ない、入り口のところでしばらく押し付けるようにされて、
「んんっ」
その刺激だけで、感じてしまって俺のペニスはヒクヒクと震えた。
それは初めての感覚で、その後、椎が力を加えると、振動するそれが入り口を押し開いて、入ってくる。
「あっ」
「これから、俺以外のやつの前で啼いたら承知しないから」
椎がそれを指でゆっくり奥へと押し入れる。振動が内壁を伝わって中を震わせる。
「ん…あ、あっ」
いつもと違う刺激に、意識が後ろに集中する。
椎はいつもセックスの時に、道具を使ったりしない。
付き合い始めた頃に一度使ったきりだ。
だから、これは本当に椎流のお仕置きなのだろう。
途中まで入れると、椎が俺の感じるところにそれを押し付けるように力を加えてきて、思わず仰け反った。
「ああっ!やっ、…椎っ」
「いいんだよな、ここ」
強い疼きが何度も体を駆け巡る。
「うっ、ああっ、ああっ!」
そのゾクゾクする感覚に、体が急激に熱くなる。
椎がすっと力を抜いて、ローターを残して俺の後ろから指を抜いた。
「椎…?」
ローターはどうするのかと思っていると、椎はそれを放ったまま、顔を寄せて、
「もう俺、キス不足で死ぬかと思った」
そう言って唇を重ねてくる。
「んっ、ん…」
俺の頭を手で挟むようにして、唇が腫れるんじゃないかと思う勢いで吸われた。
「椎…んっ、ふっ…」
俺も椎の首に手を回して、奴の唇を負けじと思いっきり舐めたり吸ったりする。
互いを確かめあうように、貪るようにして舌を絡ませ合った。
長いキスの後、椎が離れて俺を見つめる。
「好きだ」
真面目な顔で椎が言って、俺も奴を見つめた。
「俺だって」
すると、椎が、えっと言う表情をして、それから、
「俺の方が」
と強い調子で、また返す。なので、俺は
「俺の方がずっと上」
さらに強い口調で言った。
今は、本気でそう思えた。
「忘れたくせに」
「あっ、それを言うんだ。わざとじゃないのに」
「わざとじゃなくても、事実だろ」
またちょっと泣きそうな顔をする椎を見つめる。
「愛してる」
俺が心から言うと、椎がその表情のまま笑った。
「俺の方が」
それから無言になって、俺の首に顔を埋めて、抱きしめてくる。
体重をかけて来るので、重い。
でも、その重さが、椎と一緒にいることを強く感じさせる。
「椎…?」
「…どこにも行くな」
俺は笑う。
「行かないよ」
そう答えると、離れて俺を上から見つめた。
「一週間と三日も損したっ」
急にそこに戻るかな。
椎が叫んで、苦笑する俺の足をグイと持ち上げて、くるぶしに口付けた。それから、
「入れるよ」
自分のモノを俺の後ろに押し当てる。
「えっ」
ローターが入ったままなのに、と思ったが言う間もなく挿入してきた。
「んっ」
椎のモノによって、体が開かれていく、久しぶりの感覚。
途中にあったローターが、押されて奥へと進む。
椎が自分のモノを最奥まで突き入れ、小刻みに震え続けるローターは、その先の、
今まで侵入されたことのない場所まで届いて、俺の腹の中を圧迫した。
「玲二の中、熱くて柔らかくて、やっぱり気持ちいい」
椎が吐息を漏らすようにして呟いてから、腰を振って出し入れを始める。
「あっ、あっ」
何日か振りに椎のモノに満たされ、擦れあうと快感が生まれて、腰に痺れを感じる。
どんどん気持ちよくなってくるところに、ローターの刺激も加わって、中がビクビクと蠢いた。
「玲二の中、グイグイ締めつけてくる」
椎が、スイッチを切り替えて、振動の加減を強くした。
「ああっ!」
背中が反って、腰が浮く。
その状態で、上を向いている俺のモノの根元を強く握って、椎がさらに力をこめて突き入れ始める。
「あっ、椎っ」
「前ももうガチガチになってる」
「あっ、あっ」
椎が声をあげる俺の唇を唇で塞いで、俺の舌を絡め取る。
「んっ、ふっ、ん」
背筋を快感が駆け抜け、射精を制限されたままイきそうな感覚に襲われる。
カチッ。
またスイッチの音がして、振動がさらに強くなった。
「ふっ、あああっ!!」
思わず大声で叫んでしまい、それと同時に涙が浮かんだ。
「椎、も…ハッ、あ」
鼓動が早くなり、汗が出てくる。
熱い…熱くて、体が、爆発しそう…
「玲二、どうして欲しいの?」
「もう、イ…イか、せ…てっ」
苦しさと気持ちよさが一気に押し寄せ、どうにかなりそうだった。
汗ばんだ肌と肌がぶつかり合う音と、結合部がたてる淫靡な音が部屋に溢れる。
「し…い…」
頭がまっ白になり、意識が飛んでしまうと思った瞬間、椎が開放するように手を緩めて、腰を数回打ちつけた。
「はっ、ああっ」
イける状態になって、俺はすぐに達した。
ローターが中で震え続けていて、トロトロと流れ出る精液が止まらない。
椎が、俺の目尻を零れ落ちて伝う涙を、舌で舐める。
奴はまだイっていなくて、また俺の口を唇で塞ぐと再び突き始めた。
「んっ、んっ、んぐっ」
激しく口内を攻められ、まだローターが入ったままの、イったばかりのそこを突き上げられて、意識が朦朧とする。
唇が離れると、椎が俺の体を折り曲げて、足を高く持ち上げた。
「あっ、あっ」
グッグッと押されて、その勢いで少しずつ体がずり上がる。
椎が打ちつけながら上半身を前に倒し、俺の頭の下に手を差し入れて、俺の体が動かないように固定する。
いつもより数段強く感じられる椎の衝動を、俺は必死で受け止める。
「はっ、ああっ、マサユキ…っ」
揺られているうちに、眠気と快感の両方に襲われ何も考えられなくなってくる。
「玲二…俺の…」
突き上げ続ける椎が、荒い息遣いの下から呟き、奴のモノが俺の中で弾けそうになるのを感じた。
体が、完全に眠気に包まれて、意識が遠ざかっていく。
そして、椎が、俺の中に熱い迸りを注いだのと同時に、俺は落ちた。