もう一人の椎






 

 

 目を覚ますと、時計は零時十分前をさしていた。

 ムクリと起き上がる。俺は見慣れないパジャマを着て、ベッドに寝ていた。

 いつもはエッチが終わったときのままの格好で寝かされているのに。

 風呂上りってことで気を遣ってくれたのかも知れない。

 「……」

 でも、パンツは履かせてくれなかったらしい。

 なんか落ち着かないと思ったら、俺は下着をつけずにパジャマを着ていた。

 ま、文句は言えないよな。

 泡だらけのまま眠ってしまった俺を、ここまでして寝かせるのは大変だったに違いない。

 椎は台所にいて本を読んでいたが、俺が起きたことに気づいて歩み寄ってきた。

 「良かった。今日はもう起きないかと思った」

 また待っていてくれたのだろうか。

 「大変だっただろ?お前も寝れば良かったのに」

 「俺はほら、ソファでうたた寝したから眠れなかったんだ。できれば今日中に渡したいものもあったし」

 途中タンスの引き出しに寄り、なにかを取り出してからベッドまで来ると、端に腰掛けた。

 両の手の平を、間に膨らみを持たせた形で、合わせて差し出す。

 どうやら誕生日プレゼントらしい。

 この小ささはなんだよ。

 俺は椎を見た。

 「なんだと思う?」

 ドラマなんかだとこの中には大抵小さな箱が入っていて、中身はリングだったりするのだ。

 でも、俺、あんまりアクセサリーは…

 とか思っていると、奴が手を開けた。カパッと開けるとリボンが入っている。

 「……」

 でもそれだけ。リボン以外何も入っていない。

 品物を忘れたのか?

 と思ったら、そのリボンを自分の頭にペタリと貼り付けるようにして乗せた。

 「プレゼントっ」

 そして、俺の上に飛び乗ってくる。

 「お、お前」

 そんな漫画みたいな展開があるかーっ。

 恥ずかしいよ、俺はっ。

 「もらえ」

 俺の気持ちを知ってか知らずか、ま、知ってても無視だろうけど、

 奴は問答無用という感じで歯と歯が当たるくらいの勢いで唇を重ねてくる。

 俺の誕生日なのに、お前がハジけ過ぎっ。

 唇が離れたタイミングを逃さず、俺は椎の胸をぐいっと押して体を離した。

 「今日俺たちセックスばっかしてるっ」

 セックスして寝て起きたら、またセックスってどうなんだよ。

 イった回数は少ないとしても。

 「構わないだろ?起き上がれなくなるくらいしよう。もう溶けて一つになるくらい」

 「バッ…お前、それしかないのか?他にすることとか考えることとかないのか?」

 疑問に思って聞くと、椎はキッパリと言い切った。

 「玲二がいないときはともかく、玲二と二人きりでいるのに、

 玲二を悦ばす以外のことを考えるなんて無理」

 もう、どう返していいのか分からない。

 「……」

 本当にお前は、元気だよ。

 ちなみにお前が起き上がれなくなるくらいってのは、何回ぐらいしたときのことですか。

 と聞きたくなる。

 風呂であんなセックスして、腰に来てそうなのにそんな様子もないし。

 俺、ついていけるか不安…。一回するごとに寝てるから疲れきることもないけど。

 あれ。ひょっとして、その為に寝てんのか?俺。って、そんなわけないか。

 「玲二が寝るのって、俺にとってはすっげぇ焦らしプレイみたいなもんで、

 やっと起きたのに我慢しろってのか?」

 「……」

 珍しく嫌味っぽいこと言ったぞ。

 そこを責められると弱い、が…そこを責めるなんて、ちょっとばかし卑怯じゃないか?

 「す、好きで寝てんじゃねぇし」

 「いいから、しよう」

 なし崩し的に突入したいらしいが、いいから、ってのは全く理由になってない。

 「したらまた寝るだろ。そんなループ生活、やだ」

 「何言ってんだよ。もう夜だから今度は普通に朝まで寝ればいいんだよ」

 俺が黙ると、その一瞬の隙をついて、また唇を重ねてくる。

 「んっ」

 そして、唇が離れると、リボンを乗せた頭のまま、見下ろして言った。

 「俺からのプレゼント。して欲しいことがあったら何でも言ってよ。

 一晩中あそこを舐めろって言うなら、俺、そうするし」

 「バッ、バカ」

 「イカさなきゃ、一晩中できるんだろ?」

 イカせてもらえずに、攻められ続けるって、いったいどんな…?

 椎はまるで自分が下僕のようになってサービスするみたいに言ってるけれど、

 でも絶対奴の方が立ち位置上だと思う。

 それに、椎の言う『あそこ』が前なのか後ろなのか、

 どっちかっていうと前より後ろを想像してる自分がいたり……

 どっちにしろ、俺、イっちまうだろうし…

 「ほら、こんな話しただけでもう大きくなってる」

 「あっ、やめろって」

 椎がパジャマの上から触れてくる。

 上から見つめる目が、不敵に笑う。

 「望みがないなら、好きに攻めるけど」

 くぅー、別にないし思いつかないのがなぜか残念。

 ドライなキスはとりあえず叶えたし。

 唸っていると、椎が意外そうな目で見た。

 「本当にないの?妄想力が足りないなぁ。もっと俺とのこと考えてくれないと」

 人の妄想力にケチつけんなよ。

 「ああ、そうだよな。お前のはストーカー並みだよな」

 「…なにげに酷いこと言ってくれるよなぁ」

 「褒め言葉のつもりだけど?」

 椎は楽しげにした後、俺の首に顔を寄せて、首筋を下から上に向かって舐め上げた。

 「んっ」

 ゾクゾクして、思わず目を閉じる。椎が続けて首筋をペロペロと舐める。

 「はっ、あっ、くすぐったいっ」

 一向にやめる気配がない。

 「やっ、やめろって」

 しばらくしてからハタと思う。

 え。『あそこ』って、もしかして首筋だったのか?

 そう考えたとき、舐めていたのが、急に口づけに変わった。

 唇を押し当てるようにした後、軽く吸い上げるようにしてチュッと音をさせて離れる。

 「あっ……」

 これくらいならキスマークにはならないだろうという程度の軽い口づけを、

 これまたしつこいくらいに繰り返す。

 「玲二…好きだ」

 そう言っては、また口づける。優しい仕草で、ちょっとずつ気持ちよくなってくる。

 椎が、突然動きを止めて、突拍子もないことを言った。

 「ねぇ、俺のこと、マサって呼んでみてよ。マサユキでもいいよ」

 俺が、最中に名前を呼んだことに味を占めたらしい。

 そのときの感覚が呼び覚まされて、ちょっと恥ずかしくなる。

 「いやだ」

 下の名前なんて呼び慣れてないし、呼びたくない。

 無下に拒否ってやると、椎は嬉しそうに笑った。

 冷たくされて笑っているとは、変な奴。Mなのか?

 いきなり、椎がパジャマのズボンのゴム部分に手をかけ下へと引き降ろした。

 「わっ」

 局部が丸出しになり、思わず足を閉じる。

 「な、何すんだよっ」

 「あれ、玲二ノーパンなんだ。ヤる気満々だね」

 顔がかあっと熱くなる。

 「お前が履かせなかったんだろうがっ。俺がやらしいみたいに言うなっ」

 「まるで、やらしくないみたいな言い方だ」

 椎は、俺の両膝に手をかけると、足をなかば強引に押し開き、股間に顔を埋めた。

 「あっ、や」

 半勃ちだった俺のモノは、椎に咥えられると、完全に立ち上がった。

 椎が、舌を器用に使って、全方向からあらゆる部分を余すことなく攻めてくる。

 「あっあっ……椎」

 一晩中どころか。もう。

 こいつは、俺の感じるところを知り尽くしてるっ。

 椎は、俺がイキそうなのを見てとって、口を離した。

 「どっちかって言うと、こっちのがいいよな?」

 奴はグイッと俺の足を高く持ち上げるようにして、後ろに顔を寄せて、今度はそこに舌を差し入れてきた。

 舌先を挿入するような動きで舐め回されて、たまらない感覚に襲われる。

 「あっ、ああっ」

 そこが濡れて解れてきたのを見計らって、椎が顔を上げ、指を入れてくる。

 「玲二の中、熱い。こうして入れてるだけで、すぐに蕩けて来る」

 奴の言うように中がどんどん熱くなっていってる気がする。

 「ああ…椎…」

 感じて来て、中が椎の指を締めつける。

 椎が俺をじっと見つめる。

 なにかを呟くように口を動かした後、俺の唇を塞ぐ。

 何て言ったかは分からなかった。

 「ねぇ、呼んでみて。マサユキって」

 唇が離れると、椎がまた名前を呼ぶことを要求する。

 呼ばないって。

 俺が否定の意を込めて奴を見ると、やっぱり嬉しそうにほくそ笑む。

 なんだよ、気味が悪いな。

 椎が、後ろに入れていた指を動かし、出し入れを始めた。

 俺のそこは、椎の指をスムーズに飲み込んでいく。

 息遣いが自然に荒くなり、俺は入れて欲しくてたまらなくなった。

 俺の前から先走りが溢れて、シーツに染みを作っている。

 「雫がこぼれてる」

 椎は、後ろに入れた指を奥へ奥へと進めつつ、盛り上がってまた溢れそうになっている鈴口の露を、

 ペニスの先端だけを咥えるようにしてチュッと吸った。

 「ああ…椎…早く」

 そんな刺激を加えられたら、入れられる前にイってしまう。

 椎が後ろの指を抜いた。

 「入れるよ」

 優しく言って、自分のモノをあてがい、挿入してくる。

 「んっ」

 先端の部分が入ってくる。

 入って来て…入って来たけど…それ以上入って来ない。

 目を閉じていた俺は、目を開けて椎を見た。

 なんで動かない…?

 奴がにっと笑う。

 「玲二、呼んでみて。マ・サ・ユ・キ、って」

 後ろの入り口がじわじわと気持ちよくなってきて、もっと欲しがっているのに、

 椎は腰の動きをピタリと止めたまま、俺を余裕の表情で見下ろしている。

 「呼ばなきゃこのままだから」

 鬼っ。

 快感をこらえていると、椎が俺のモノを握った。

 「あっ」

 握る手に、グッと力を込められ我慢できなくなる。

 「ああっ、椎、欲しい…っ」

 「違うよ、玲二。マ・サ・ユ・キ」

 後ろが、感じてたまらない。

 握られたモノから、また露が溢れ出て、後ろが椎のモノを締めつける。

 体が震える。

 「マ…マサユキ、欲しい…」

 これ以上耐えられなくて呟くと、椎が笑った。

 「玲二って、セックスの最中なら言うこときくんだよなぁ」

 その後、またなにかを呟くように口を動かした。

 やっぱり何て言ったかは分からない。

 声に出さずに何かを言ってるようなんだけど…

 「んっ」

 椎が挿入を再開する。

 俺の中を押し開きながら入ってくる。

 「あっ、あっ、椎…」

 「マサユキだろ?」

 後ろが、突かれる度に奴のモノを飲み込んでいくのが分かる。

 そこがいやらしい音をたて始めて、快感が背中を駆け抜ける。

 「あっ、んっ、マサユキ、もう」

 椎が俺の体を折り曲げ、更に深く穿ちながら耳元に口を寄せた。

 「気持ちいい?玲二」

 聞いてくる奴の方が息を乱して、感じているようだ。

 「は…っ、気持ちいい、あっ、あっ」

 「俺も…すげ…気持ちいい」

 椎の感じている声が、俺の気持ちよさを倍増させる。

 「あっ、ああっ」

 「俺…さ、心の中でもう一万回くらい呟いてる言葉があるんだ」

 「あっあっ」

 「でも、これ口に出したら、玲二怒るから言わない」

 何?何を言ってる?

 椎が何か言ったけれど、絶頂を迎える寸前の俺は、もう何も耳に入らなかった。

 もう…何も考えられない…

 「はっ、ああっ!イくっ」

 俺は、椎のモノを強く締めつけながらイッた。

 気持ち良くて、体中満たされた感じでいっぱいになる。

 けどそれと同時に、霧が広がるように静かにやって来るのだろう眠気を思って、嫌悪感に襲われた。

 嫌だ。まだ寝たくない。椎を感じていたいのに…

 目を開けると、椎がいて俺の上に乗ったまま降りようとしない。

 俺はふいに、いつものセックスとの違和感を感じた。

 てっきり椎もイったものだと思っていたのに、奴はイかないまま、まだ大きく硬い状態で俺の中にいる。

 「椎…イかなかったのか?」

 ひょっとしてイけなかった? 良くなかったのか?

 不安になって椎を見ると、奴が安心したようにふうと息を吐いた。そして、苦笑しながら呟く。

 「危なかった。イくとこだった」

 どういうことなのかと思っていると、

 「玲二…もう一回イって欲しい」

 そう言って唇を重ね、舌を入れてくる。

 え、もう一回って…

 ひょっとしてその為に、イくのをこらえた…のか?

 椎が、舌で俺の舌を優しく絡めとりながら、手で俺のモノをそっと握る。

 「んっ」

 それから唇が離れると、今度は胸に顔を寄せ、乳首を口に含む。

 「あ…」

 それを吸ったり、軽く甘噛みをされて、後ろがまたじわじわと気持ちよくなってくる。

 「マサユキ…あっ、あっ」

 椎が、手を上下に動かしてしごき始めた。

 しごかれる刺激と胸からくる刺激との両方で、俺のモノはまた立ち上がってきた。

 入れられたままの後ろも、再びどんどん熱くなってくる。

 でもこうしている間にも、眠気が近づいてきている感じがする。

 椎は、俺のモノが復活すると、上体を起こして俺の足を持ち上げ、

 自分のモノを一度少し引き抜いてからグッと打ち付けてきた。

 「あっ」

 次第にリズムをつけて、スピードを上げ、打ち込んでくる。

 体がダルさを訴え始める。

 でもそれよりもまだ快感の方が強い。

 「あっ、ああっ、マサユキ…」

 気持ちよさの波が押し寄せる。

 「ああっ、また、イく…」

 「いいよ。イって」

 「お前も…」

 「ん、分かってる。一緒にイこう」

 唇が重なる。

 「あっ、ふっ」

 眠気がだんだん強くなり体中が包まれていく。

 唇が離れて、椎が突きながら俺の足をさらに高く上げ、一度動きを止めた。

 自身のモノを途中まで引き抜き、もう一度、俺の感じる箇所を擦り上げるようにしながら、

 最奥まで一気に貫く。

 「……!」

 目の前が真っ白になった。声も出ない。

 椎は、また同じように引き抜いて…同じようにして俺の中を貫き、奥までいっぱいにした。

 ビクッ、ビクッ。

 俺のモノが脈打って、白濁した液が勢いよく飛んだ。胸元の辺りまで飛び散る。

 それを見た椎が小さく呻いて、俺の中に出した。

 それから、自身のモノを引き抜き、俺の上から降りて横になる。

 「ああ…寝たく、ない…マサ…ユキ」

 なのに目が閉じていく。もうまぶたが上がらない。

 椎が俺の首の下に腕を通し、俺の頭をぎゅっと抱きしめた。

 「もうこのまま俺も寝る。ずっとここにいる。ずっと一緒にいるから」

 椎が夢に出てきてくれたらいいのに。夢だったら、何回でもできるのだろうか。

 ……。

 でもやっぱり、夢じゃ嫌だ。

 眠りに落ちる寸前、椎が耳元で呟くのが聞こえた。

 「玲二…かわいい」

 ……。

 か、かわいい言うなっ。

 俺は、起き上がって怒鳴りたかったが、もちろんそんな事が出来るわけもなく、

 次の瞬間にはすっと眠りに落ちていった。

 

 

 目が覚めると、外が明るくなっていた。

 隣にぬくもりを感じて、体をそちらに向ける。

 椎は横になってはいたものの、すでに起きていて目が合った。

 「起きたね。おはよう」

 「…おはよう。お前って、いつも俺が起きる前に起きてるよな」

 「うん。きっとショートスリーパーなんだよ」

 なんだ?その格好よさそうで実はそうでもなさそうな言葉。

 「知らない?睡眠時間が短時間でも大丈夫な人のこと」

 …知らなかった。そんな呼び方するんだ。

 じゃあ、俺はロングスリーパー?

 たくさん寝ないと駄目な人。

 なんか人生損してる気がするな。ヘタレっぽい…

 「玲二…」

 椎が言いながら俺の上に乗ってくる。

 「椎、もう朝からヤらないって」

 これ以上寝たら廃人になれそうだ。

 「違う」

 俺の腰に跨ぐようにして座った椎は、その気はないようで、真面目な顔で俺を見下ろしてきた。

 それから、こちらへ向かって両手を伸ばしてくる。

 何をするのかと思ったら、

 「死ぬほど好きなんだ」

 まるで絞めようとするかのように俺の首に手をかける。グッと力がこもり…

 え。

 「アハハハハハッ」

 俺はくすぐったくて笑った。思わず、首にかけられた手を払う。

 椎は眉間にしわを寄せてこっちを見る。

 「ここ、笑うところじゃない」

 「ご、ごめん。だってアハハ…我慢できない」

 まだ首筋の辺りにふわふわとくすぐったさの余韻が残っている。

 椎は呆れたように息を吐いて俺の上から降りた。

 「本当に首筋弱いよなぁ。そこ攻められたらイチコロじゃん」

 確かに。…って、誰が攻めるんだ。

 「お前以外、攻める奴なんていないよ。それに、死ぬほど好きって言ったけど、

 これじゃ、死ぬのは俺だろ」

 俺は、自分で手を首にあてて舌を出しつつ言った。

 「ああ」

 椎は相槌を打ってからちょっと考えるようにして首を傾げ、確信を持った瞳でこちらを見た。

 「でも、感覚的には間違ってないと思う。『死ぬほど好き』と『殺したいほど好き』は同義語だよ」

 俺は苦笑する。

 …そうかなぁ。

 椎がベッドを降りて服を身に着け、台所の方へ歩いていった。

 「喉が渇いた。俺、紅茶飲むけど、玲二も一緒でいい?」

 「ああ、うん」

 振り返って聞く椎にそう返して、俺も起きて服を着替える。

 洗面所で顔を洗ってから台所に行き、トースターにパンをセットして、卵を焼いた。

 椎の淹れてくれた紅茶を飲みながら、一緒に朝食を食べ始める。

 「この紅茶、うまいな」

 「だろ?葉がちょっといいやつなんだ」

 「へぇ」

 俺は紅茶のことは詳しくないけど、すごくいい香りがする。

 それを嗅いでいたら、ふと昔のことを思い出した。

 「首が弱いって言えばさ」

 向かいの椎が、カップを口に運びながら俺を見る。

 「うん」

 俺の頭の中に、雪の降りそうなどんよりと曇った空が思い浮かぶ。

 「小学生の頃、冬になるとおふくろがマフラーをするようにって渡してくれたんだけど、

 それを巻くとどうしてもくすぐったくて笑いが止まらなかった。だから、結局使わなかったんだ」

 俺が昔のエピソードを披露すると、椎が信じられないという表情で俺を見た。

 それから、大笑いする。

 「何だよそれ!そんな人いるんだっ。玲二、そこまで!?」

 「いや、あの、まぁ」

 それほどのリアクションが来るとは思ってなくて、こっちが驚く。

 「人じゃなくても駄目なのか」

 マフラーを巻いて笑う小学生の俺を想像して、それがツボにハマったらしく、

 椎がいつまでも笑っている。

 「笑い過ぎ」

 と言いながら、俺も笑う。

 こんな時間を、他人はどうやって過ごしてるんだろう。

 椎とこうなる前、俺はどうしてたんだっけ…

 「なぁ、近いうちに実家に帰る?」

 椎が笑いの余韻の残った表情で聞いてくる。

 「ん?…そうだなぁ。別に用事もないけど」

 昨日のメールのこともあるし、たまには帰ろうかな。

 「帰るんだったら頼みがあるんだけど」

 「頼み?」

 「玲二の高校の時の制服、あったら持ってきて欲しい」

 「え」

 「ブレザーだったよな」

 「そうだけど…いったい何に使うんだよ」

 俺はなんとなくいかがわしさを感じて、椎をじっと見たが、奴はいたって真面目な態度で話を続けた。

 「俺の高校、私立で私服登校だったんだ。詰襟は中学のとき着たことあるけど、

 ブレザーって着たことなくて…高校の制服を一回着てみたい」

 俺は、椎の気持ちが理解できなくてポカンとした。

 変なことに興味があるよなぁ。俺が椎だったら、そんなこと全く考えないと思う。

 「持って来てもいいけど、きっとサイズ合わないぞ」

 「いいよ。外に着ていくわけじゃないから。どんな感じかちょっと着て見てみたいだけ」

 わ、わっかんねぇ。自分の学校の制服でもないのに、それでいいのか?

 卒業したのに制服が着たいとは…

 主婦がセーラー服を着て似合うと言われたがるのに通じる感じがしないでもない。

 でも、ま、一回着て満足できるってんだから、いいか。

 俺は、テーブルの上の携帯を手にとって、おふくろに、近いうちに帰る旨のメールを返信した。

 

 

 喫茶店のドアが開き、そこに付けられたカウベルの音が響くと、

 俺は条件反射のようになっている「いらっしゃいませー」を発しつつ、そちらに目をやった。

 あれ。

 その客を見て、ちょっと驚く。

 入って来たのは椎だった。眼鏡の方の。

 俺は、もう一度「いらっしゃいませー」と声をかけつつ、奴に近づいた。

 「何しに来たんだ?」

 俺はちらっと壁の時計を見る。まだバイトが終わるまで小一時間ほどある。

 「用はないけど時間が空いたから、たまには玲二の店のコーヒー飲んでみようかと思って」

 言いながら、奴が俺を上から下までじっと見る。

 俺は、白いシャツに黒いパンツを履いて、ショートエプロンをつけている。

 この店のユニフォームだ。

 「お客様、煙草はお吸いになりますか?」

 「いや、吸わない。知ってるだろ」

 「知ってるよ」

 小声で返す。

 さっさと案内してしまおう。恥ずかしいことを言い出しそうで怖い。

 「こちらへどうぞ」

 俺は、外がよく見える窓際の禁煙席に椎を案内した。

 友達ならともかく、恋人が仕事場に来るって、緊張する。

 恋人って、椎だし。できれば仕事場には来ないで欲しい気もする。

 「玲二が終わるまでいるけど、気にしなくていいから」

 俺が水とおしぼりを運ぶと、コーヒーを注文して、奴がそう言った。

 それから、鞄から文庫本を取り出して読み始め、

 やがて外の景色をバックに喫茶店の空気に溶け込んだ。

 今日は菊池さんはいない。用事があるらしく、前から休むと言っていた。

 俺は、椎がこちらを例のごとくチラチラ見てくるんじゃないかと思ったが、そんなことはなかった。

 文庫本を集中して読んでいる。

 逆に、俺の方がなんか気になって、奴を見てしまう。

 椎が一人でいる佇まいは、なんかいい雰囲気を醸していた。

 眼鏡をかけていても。前髪で顔が見えなくても。

 どんなに隠しても、隠そうとしても漏れ出てしまう何かが見えるような気がする。

 綺麗だし、かっこよく思えてドキッとする。

 俺は、あの椎を『俺のもの』と思ってもいいのだろうか。

 ……なんて。

 『俺ビジョン』が思いっきり働いてしまっているのだろう。親の欲目ならぬ恋人の欲目。

 きっとそうなんだろうな。好きなんだからしょうがない。

 

 

 バイトが終わると、椎がうまい店を見つけたというので、一緒に食べに行った。

 ところがその場所に着いてみると、ものすごい行列が出来ていて、

 聞くと一時間以上待たないと食べられないという。

 「どうする?」

 「一時間以上も待ってられるか。他行こう」

 椎は、あっさりと諦めて、歩き始めた。

 しばらく行くと、ファーストフードの店があり、俺は足を止めた。

 「なぁ椎。俺、たまにはこういうのでもいいんだけど」

 「ん?」

 奴が顔を上げて、そのハンバーガー店の看板を見上げた。

 どこにでもあるチェーン店のそれだ。足を止めてじっと見つめている。

 そして自分の中で折り合いをつけたのか、俺を見て言う。

 「じゃあ、入ろうか」

 高校時代、よく友達とこういう店を利用していた。

 馴染み深い雰囲気で、馬鹿みたいに食う友達がいたことを思い出したりする。

 俺たちは店に入り、それぞれにハンバーガーのセットを頼み、トレーを持ってテーブルについた。

 話しながら食べていたら、椎の携帯のメールの着信音が鳴り、奴は携帯を手に取って開いた。

 その瞬間、

 「あっ」

 奴の手からそれが床に落ちて俺の方へ転がってきた。

 「ごめん。手が滑った」

 俺は、かがんでそれを拾った。何気なく画面を見る。

 えっ?

 ありえない待ち受けに固まる。

 これって…これって、足、だよな?

 じっと見入っていると、ハッとした椎が、俺の手から携帯を奪うようにして取って行った。

 唖然として奴を見たら、バレたか、という顔をする。

 「寝てる間に、足首に包帯巻いて写メ撮ったりなんか、してない」

 奴の表情は、お茶目さんを装えばなんでも許されると思ってる人のそれで、

 そういうのが逆に許せない俺は、頭にカーッと血がのぼった。

 「お前っ」

 しかも、危ない部分まで何気に写ってるし!

 「そんなのいつ撮ったんだよっ」

 「…二回目のエッチの後」

 「……それ渡せっ」

 「嫌だっ」

 「いいから渡せっつってるだろ!渡さないなら、今ここで自分で削除しろっ。他の変態データもだっ」

 「うっ」

 ギクッという感じで、今度は奴が固まる。

 「へ、変態じゃない。玲二が好きだから撮った写メで、

 誰に見せるわけでもないし、個人で楽しむのは自由だろ」

 「見せるわけでもないって、今みたいに見られる可能性だってあるし、

 自由っつっても被写体の俺が嫌がってるだろう?」

 渡す気も削除する気もないらしい椎の携帯に、手を伸ばす。

 さっ、とよけられた。もう一度手を伸ばす。またよけられる。

 こいつっ。

 ムキになって立ち上がった、そのとき。

 「椎先輩ですよね」

 俺たちの方に向かって歩いてきた男が、立ち止まって口をきいた。

 俺と同じぐらいの背で、年も近いようだ。

 座っている椎を見下ろしている。

 椎が俺から声のする方へと視線を移し、眼鏡と前髪越しに相手の顔を見た。

 「こんにちは。あの、俺覚えてます? 中垣内(なかがいと)です」

 知り合いのようだった。先輩と呼んでいるから、後輩なのだろう。

 高校の?

 彼は私服姿で、なかなかオシャレな格好をしている。

 そういえば奴の高校は制服がなかったんだっけ。

 俺も椎もどちらかと言えば地味目の格好をしていて、

 彼は明らかに違うタイプのグループに属する人間に見えた。

 「ああ。久しぶりだな」

 椎は笑みを浮かべると、携帯を閉じて、ポケットにしまった。

 中垣内と名乗ったその後輩は、自分のツレらしい仲間のいるテーブルに向かって、

 腕で大きく○のサインを出した。

 当たり、ということらしい。

 少し離れたそのテーブルにいた女の子三人が、なぜか嬌声をあげ、男二人がどよめいた。

 「こんなところで会えるなんて、嬉しいです。

 病気されたって聞いたんですけど、もういいんですか?」

 「…ああ」

 「突然学校も辞めちゃって、俺、心配したし、すっげぇ淋しかったんですよ」

 え…そうなんだ?

 「悪かったな」

 「いえ、もっと一緒にバスケしたかったんですけど、病気ならしょうがないですよね」

 「……」

 椎が黙り、ちょっと気まずい空気が流れた。

 バスケットボール部の後輩君か。

 すごく慕ってたっぽいのに、今の話だと、椎は突然学校を辞めたらしい。

 病気って…何の病気だろう。

 「先輩、今どこの大学に行ってるんですか?」

 彼が話題を現在の話に変えた。

 椎が、俺たちの通う大学名を答える。

 その返事を聞いて、彼は信じられないという顔をした。

 次いで不服そうな色が一瞬表情に浮かんだが、それを抑えるようにして

 「あそこは、交通の便が良くて、通いやすくていいですよね」

 どうやら無理に良いところをひねり出してくれたらしい。

 俺の第一志望校なんだけど。結構勉強して入ったんだけど。なんか文句あるのか?

 「ああ。それに、毎日楽しいしな」

 椎が、いつもの生活を思い出している顔で言うと、後輩君は意外そうに奴を見た。

 「へぇ。そうなんですか」

 「だろ?玲二」

 椎が、急に俺に振って来て、俺は慌てて頷いた。

 「あ、ああ」

 俺が口を開くと、初めて俺の存在に気づいたというように、後輩君が俺を見て話しかけてきた。

 「先輩の大学のお友達ですか?初めまして、中垣内と言います。部活の後輩です。

 …あの、椎先輩って、いつから眼鏡かけてるんですか?」

 いきなりの妙な質問に思えないでもなかったが、

 椎が自分で『高校の頃は違った』と前に言っていたのを思い出して、俺は答えた。

 「知らないよ。知り合ったときには、もうかけてた」

 「そうですか」

 「高校の頃は違ったみたいだけど」

 大学に入ってからは、外では顔を隠すように眼鏡をかけて前髪を垂らしている椎。

 高校時代しか知らない彼には、随分違って見えるのかも知れない。

 それゆえの質問なのだろう。

 「ええ。だからパッと見、椎先輩とは分かりませんでした」

 後輩君は、うんうんと深く頷いて、

 「あの、えーと」

 もどかしそうに俺を見て、「名前を…」と言った。名前が知りたいらしい。

 「ああ。服部」

 「服部さんは知らないかも知れないですけど、椎先輩はすごい人だったんですよ」

 「え?」

 彼は、そう前置くと、まるで自分のことのように誇らしげに話し始めた。

 「椎先輩は、うちの学校の生徒会長で、バスケットボール部のキャプテンだったんです」

 な……

 俺はびっくりして、後輩君の顔をじっと見た。彼が自慢げに続ける。

 「それだけじゃなくて、頼まれてたくさんの部のかけもちもしてましたし、

 後輩の面倒見もよくて、女子にもモテモテでした」

 「……」

 「それに先生からも信頼されてて、成績もトップクラスで頭の回転も速くて、

 先輩のアイデアが学校の行事に生かされることもたくさんあったんですよ」

 「……」

 「とにかくカッコよくて、俺の、いえ、みんなの憧れの先輩です」

 なんか物凄い人物像が、今俺の中の椎を吹き飛ばしていったんだけど。

 いや、女子にモテたってのは聞いたことがある。でも他は…

 生徒会長で、バスケットボール部のキャプテン?

 運動が出来て頭もいい?そして、人当たりも見た目も良かったり…?

 嘘だろ?

 俺は椎に目をやったが、奴は目を逸らしてしまって合わせようとしない。

 いつも見るなって言っても見てくるくせに。

 …信じられない。信じられないけど、この二人の態度からして事実に違いないようだ。

 今まで俺は、綺麗な顔してていろんなことをそつなくこなせる人がいると思っていた。

 「天は二物を与えた!!」と。

 どっちも与えられてない人間とは、人生の意味合いさえ違って思えるだろう。と。

 まさか、椎がそういう人だったと言うのだろうか。

 だけど、普段の椎と来たら、エロエロだし、バカだし……

 世話好きで、体を動かすことを苦にしない、何かやるなら完璧にやらないと気が済まない。

 そういう、後輩君が言うような人物の片鱗を見せるようなときもあるにはあるけど、

 でもやっぱりにわかには信じられない。

 「そりゃ、すごいな。知らなかった…」

 俺は、他に言いようもなくて、そう呟いた。

 「すごいでしょう」

 返して欲しかった反応を返してやったようで、後輩君はにこやかに笑った。

 彼は、言わずにいられないくらい、椎の後輩であることを心から誇らしく思っているようだ。

 「ファッションセンスも抜群で、先輩は本当に…俺の憧れでした」

 残念ながら、今の椎のファッションセンスは、俺と同レベルくらいのようだ。

 ……。

 「先輩は大学でもすごいんですか?」

 「いや、えーと」

 大学での椎って…別に普通だと思うけど。どっちかって言うと地味な学生…

 違う意味ですごい時もあるけど。って何思い出してんだ、俺。

 キャンパスで迫られ続けた日のことが一瞬脳内に浮かんで、俺は慌ててそれをかき消した。

 「バスケを続けてて、大活躍されてるとか」

 「バスケはもうやってないみたいだけど」

 「じゃあ、何かサークル活動で目立ってたり」

 「……いや、それも別に」

 後輩君の中では、椎はすごくないと駄目らしい。

 「そんなのは昔の話だよ」

 俺が対応に困っていると、椎がそう口を挟んで、

 驚く後輩君が見てる前でもくもくとポテトを口に運び、

 ハンバーガーの残りを食べ終えた。そして、包み紙をクシャッと丸めると、

 「玲二、もう行けるか?」

 まるで何事もなかったかのように言って、俺のトレーの上を見る。

 どうやら、後輩君と落ち着いた話をする気はないらしい。

 俺は残っていたコーラを手にとって座って飲んだ。

 椎が、後輩君を見上げる。

 「中垣内。じゃあな」

 そう声をかけられて、さっきの一言に囚われたようになっていた彼は、ハッとした。

 「あ、はい。あの、会えて嬉しかったです。お元気そうで、良かったです」

 椎が、はにかんだ笑みを浮かべて呟く。

 「……サンキュ」

 後輩君は、一礼して自分のテーブルに戻っていった。

 そんなのは昔の話だと、椎はそう言ったけど。

 椎にはそうでも、後輩君には奴は今も憧れの先輩で、これからもそうであり続けるのだろう。

 椎はなぜか今、後輩君の納得行かない大学に通い、

 さっきの武勇伝からはかけ離れた、普通の地味な学生になっている。

 『もう頑張らないことにしたから』

 椎のあの言葉が蘇える。あれと関係があるんだろうか。

 でも、後輩君には、それは認めてもらえそうにない。

 なんか…どっちもちょっと気の毒な感じ。

 そう思いながら、コーラを飲み終えて立ち上がると、椎も立ち上がって歩き出した。

 

 

 奴が黒くて太いフレームの眼鏡をかけ、前髪を長く垂らして顔を隠し、服も地味にして…

 どんなに隠しても、隠そうとしても、漏れ出てしまう何か。

 それがなんなのかが、分かったような気がした。

 そして、それは俺だけでなく、奴を知っている人になら、誰にでも見えるのだということも。

 

 

 

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