ふいに夜中に目が覚めた。

　トイレに行きたくて目が覚めることはたまにあるけれど、別にそういうわけじゃなかった。

　夢を見て、そのせいで起きたというわけでもなく…

　とにかくなんでもないのに、ただ目が覚めて、目を開けたら、目の前に椎の寝顔があった。

　少し驚いて、でもそのまま見つめる。

　部屋の隅の小さな灯りだけでは見えにくかったけれど、じっと目を凝らしていたら、

　その小さな光が照らして陰影を作り出す、奴の寝顔がハッキリと見えてきた。

　考えてみれば、こんなふうに寝顔を間近で見るなんて、俺からドライなキスをしたとき以来だ。

　といっても、あのときはキスをすることに意識が行っていて、

　見てたのは唇ばかりで、寝顔をちゃんと見た覚えがない。

　『ただ見つめるだけ』なんて、もしかすると、これが初めてのことかも知れない。

　椎は、いつも俺より後に寝て先に起きるし、眠りも浅くて、俺が起きて動くと、すぐに目を覚ます。

　だから、寝顔をこうしてまともに見る機会なんて、本当にないのだ。

　加えて言うなら、俺が椎の方を向いて寝ていることも、超珍しい。

　椎が俺の方を向いて横向きに寝るのはいつものことだけど、

　俺は、眠っているときは大抵仰向けで寝ていて、小さい頃からばあちゃんに、

　「玲ちゃんは寝相が本当にいいねぇ。いつ見ても上を向いてまっすぐに寝てて、仏様みたいだねぇ」

　と言われてきたのだ。

　起きたらこんなふうに向き合っていて、

　しかも突然目が覚めて寝顔を真正面から見るなんて状況になる確率は、

　限りなくゼロに等しいに違いなかった。

　俺は、椎が起きないように、息をひそめて、そのまま見つめ続けた。

　……。

　憎らしいくらい綺麗な寝顔だ。

　やっぱ、どう考えてもイケメンだよな。

　整った顔立ちだし、肌も綺麗だし、唇も鼻も眉も睫毛も、全部がなんだか「いい具合」なのだ。

　あんまり綺麗で、閉じられた目蓋に、額に、頬に思わず触れたくなるけど、その気持ちをグッと抑える。

　動いたら、起きてしまう。今もし口付けたりしたら、絶対起きるんだろうな。

　いったいどんな夢を見てるんだろう。

　そんなふうに思いつつ、椎のたてる軽い寝息に耳をそばだてながら見ていたら、

　その安らかな寝顔に、こっちまで安らかな気分になってきた。

　人の寝顔って、こんな気分にさせられるものなんだ。

　―かわいい。

　え。

　自分が思ったことに、自分で動揺した。

　ちょっと待て。

　いやいやいや、かわいいじゃないだろ、俺。

　戸惑って、自分にツッコミを入れる。

　いつもあれだけ『かわいい』は男に使う言葉じゃないって、椎に文句言ってんのに。

　なんか焦って熱くなってきたとき、椎の唇が一瞬動いて、起きるんじゃないかと心臓が跳ねた。

　でも、奴が起きた気配はなくて、ホッとする。

　その後、今動いた唇に目がいって、またそこに視線が釘付けになってしまった。

　起きているときのイキイキとした表情ではない椎の、静の顔が新鮮ってこともあるし、

　唇が柔らかそうでやっぱりおいしそうで、そこから目が離せなくなる。

　なんか、唾も飲み込めない。

　心臓が早鐘を打つ。

　ああ、ヤバイ。ドキドキしてきた。

　どうしよう。心臓の音、聞こえそうだ。

　と、思っていたら、椎がパッと目を開けた。

　……。

　あーあ。起きちゃったよ。もう少し見ていたかったのに。

　俺はがっかりして、頭の隅で、チラッとそんなことを思う。

　椎は、目の前に俺の顔があったことに驚いたらしく、じっとこっちを見ている。

　と思ったら、

　「玲二」

　俺の名前を呼んで、嬉しそうに笑った。

　今まで眠っていて、何の感情も色も浮かべていなかった椎の顔が、パアッと華やかな雰囲気を纏う。

　ドキドキが続いていたところに、そんな笑顔を見せられて、なんかすっげぇトキめいた。

　照れ臭くなって、それをごまかすように声をあげる。

　「なんで目ぇ覚ますんだよっ」

　「玲二の視線、感じた」

　「寝てんのにっ！？」

　「うん」

　椎が頷いて、時計に目をやる。

　時計の針は夜中の二時を指していた。

　「玲二は、なんで起きたの？」

　椎が寝起きの、眠気の少し残ったトロンとした目で俺を見て、不思議そうに聞いてくる。

　「なんか知らないけど目が覚めて…」

　そう答えると、椎は俺を見つめて、ちょっと面白がってる口調で言った。

　「起きたとき、玲二がこっちを向いてるなんて珍しい」

　それを聞いて、俺も椎を見ながら、

　「確かに珍しいよな。なんか今日はこっち向きで寝てた。お前の寝顔、初めて見た」

　と言うと、奴が意外そうな顔をする。

　「そうなんだ？」

　「うん。だってお前、俺が起きてるときは一緒に起きてるだろ。

　寝てても、俺が起きて動くとすぐ目ぇ覚ますし」

　俺が説明すると、

　「ああ…そうか」

　納得したように頷いた。

　椎はその後少し黙って、それから嬉しそうに俺に顔を寄せる。

　「目が覚めたら玲二の顔が目の前にあるって、幸せな気分。なんかいいことあるかも」

　またちょっと大げさに思えるようなことを口にする奴に、俺は苦笑した。

　相変わらずそういうことをスラッと、言うよな。

　と思っていたら、椎がそのまま俺の額に自分の額をくっつけて、囁いた。

　「せっかく起きたんだから、しよう」

　「せっかく、ってなんだよ」

　目線が近くて、なんだか笑えるのと同時に熱くなってくる。

　椎が手を伸ばしてきて抱き寄せ、俺はまだするなんて言ってないのに、

　「一回分、得した」

　嬉しそうに呟いて、元々触れそうに近くにあった唇を、重ねてくる。

　それに応えながら思う。

　また今度椎の寝顔を見られるのは、いつだろう。

　……。

　睡眠薬でも飲ませなきゃ無理かも。なんて。

　キスしながらそう考えたら、思わず笑いが漏れてしまった。

　「何？」

　唇が離れて、椎が聞く。

　「いや…なんでも」

　「なんだよー。キスしてる最中に笑ったりして」

　他事を考えてると思ったのだろう。眉を寄せて不満げな顔をする。

　「ごめん。椎の寝顔、新鮮だったな、と思ったら、つい」

　そう言ったら、椎がキョトンとした。

　そして、すぐに少し体重をかけるようにして俺の上に乗ってくると、

　上から見つめながら言う。

　「ずっと一緒にいたら、また見られるよ」

　寝顔を見るための大前提。

　まず一緒にいなければ、寝顔を見る確率は上がらない。

　俺は、椎の言葉に笑って「そうだな」と呟くと、奴の背中に手を回し、

　今度は自分から、また唇を合わせた。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　了　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　2010.10.27 　　番外編「Ring A Bell」へ