ペアレント2 前編






 家に帰ると、まだ椎は戻っていなかった。

 鍵を開けて冷えた室内に入って行き、手袋を外してヒーターのスイッチを入れる。

 今日は、かなり冷え込んでいる。

 雪が降りそうな空模様だ。

 俺は、前回同様、おふくろから渡された紙袋の中身を、一つずつ取り出しては、しまうべき場所に収めていき、

 それが終わると上着を脱いで、点いたばかりのヒーターの前で、冷たい手を温めた。

 

 実家に行って、帰ってきたところだった。

 今日は元旦で、椎も実家に行っている。

 「玲二は正月、実家に帰る?」

 数日前、ソファに座ってゲームをしていたら、椎がふいに聞いてきて、俺は「うーん」と唸りつつ考えた。

 そんなに遠いわけじゃないから、正月だからって帰らなくてもいい気もするし、帰って何をするというわけでもない。

 友達に聞いても「俺は帰らないかな」という奴が多かったりする。

 それで、はっきりとは決めないまま、

 「どうしようかな。日帰りで行ってくるかも知れないけど…椎は、どうするんだ?」

 俺が聞き返すと、奴もちょっと考えるようにした。

 クリニックの年末年始の休みが明ければ、また毎日先生と会うのだし、

 どうしても会わなければならない理由があるわけでもなく、迷っていたようだが、しばらくして、

 「玲二が日帰りで行ってくるなら、俺も日帰りで行ってくるよ」

 と答えた。

 それで、今日は二人ともそれぞれの実家に行ったのだ。

 

 

 時計を見ると、四時少し前をさしていた。

 朝早くに出かけたので、まだ時間が早い。

 椎は、ゆっくりしてくるのかも知れないな。

 徐々に暖まってきた部屋で、ソファに腰を降ろして一息つく。

 昨夜、二人で年越しそばを作って食べた後、テレビを見ながらなんとなく夜更かしした上に、

 朝も早かったので、ほとんど寝ていない。

 だんだん眠くなってくる。

 ソファに浅く腰かけ直し、背もたれに体を預けた。

 目を閉じると、眠気がゆっくりと体を包み込んでいく。

 そうしてうつらうつらし始めて少し経った頃、ピンポンと呼び鈴が鳴って、目が覚めた。

 帰ってきたらしい。

 立ち上がり、玄関まで出て鍵をあける。

 カチャッという音がして、向こうからドアが開かれ、

 「ただいま」

 椎が顔を見せた。

 俺は「おかえり」と返したが、そのあと、椎の表情が固いのに気づいて眉を顰めた。

 いつもの帰宅時と何かが違う。

 ちょっとゲッソリしているし、抱きしめてこない。

 と思ったら、椎の後ろで人の気配がした。

 えっ、とそっちに視線を移すと、椎に隠れるようにしていた人が顔を出した。

 「服部君、こんにちは」

 一緒だなんて思ってもみなくて、ノンビリ気分でいた俺はビックリした。

 少し残っていた眠気も全部吹っ飛んで、思わず声をあげる。

 「先生っ」

 「久しぶりだね」

 相変わらず、物腰の柔らかな印象を与える雰囲気を醸しつつ、笑みを浮かべる先生に、驚いたまま、

 「こ、こんにちは」

 と返してから、椎の顔を見た。

 連れてくるなんて聞いてない。

 と目で訴えると、あからさまに嫌そうな顔をする。

 連れて来たくて、連れて来たわけじゃない。

 と奴も目で言っている。

 そんな無言の会話を交わしていると、先生が前に出て来て、俺は頭を下げて新年の挨拶をした。

 「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 すると、先生も、

 「あけましておめでとう。こちらこそよろしく」

 と返し、

 「いきなり来て悪かったね」

 と付け足した。

 それを聞いていた椎が、思いっきり不服そうにする。

 「ほんとだよ。帰ろうとしたら、勝手に車に乗り込んで来て

 『食事に行こう。服部君も一緒に』なんて言い出すんだから」

 どうやら、先生が帰り際に一方的に決めて、ついて来たらしい。

 ムッとしている奴に、先生が苦笑する。

 「そんな言い方しなくたっていいだろ。正月だし息子と食事したかったんだよ。服部君にも会いたかったし」

 「それならそうと、最初から言っといて欲しかったんだけど」

 「急に思いついたんだ」

 なんだか相変わらずなやりとりで、俺は笑みを浮かべて二人を見た。

 前に先生に会ってから、もう半年以上が経っている。

 あの時椎は、俺がからかわれているのを見て、焼きもちを焼いていたし、

 先生のことをすごく鬱陶しそうにしていた。

 で…。

 やっぱり今日も鬱陶しそうにしている。

 でも、そんな様子ではあるけれど、急に言われたとはいえ、またここまで連れてきているってことは…

 なんだかんだ言って仲がいいんだよな。

 口では憎まれ口を叩いていても。

 などと考えていたら、

 「もう傷はいいの?」

 ふいに先生に聞かれた。

 階段から落ちたときの傷のことらしい。

 今では頭の傷も腕の方の傷も、よく見ないと分からないくらいに治っている。

 「ええ。おかげさまでもうすっかり良くなりました」

 「お見舞いにも行けなくて、すまなかったね」

 先生が申し訳なさそうにして、俺は手を振った。

 「そんなこと、いいですよ。俺が病院にいたのって、ほんの数日だし…。それより先生、上がってください」

 いつまでも玄関にいても寒いばかりだし、居間に入ってもらおうと思って言うと、

 「じゃあ遠慮なく。上がらせてもらうよ」

 先生は嬉しそうにして靴を脱ぎ、中へと歩いていった。

 「椎も来いよ。寒かったろ?」

 椎に話しかけると、奴が小さく溜息をつく。

 「こんなつもり、全然なかったんだけど」

 先生に呆れたように、そして俺を見て申し訳なさそうに呟くので、

 「いいよ、別に。ちょっとビックリしたけど、正月っていろんな人と会うもんなんだし」

 それに、もう来てしまっているんだし。

 そう言って俺も居間に向かおうとしたら、後ろから腕を掴まれる。

 振り返って椎を見ると、奴が、

 「気を遣う必要、ないから」

 と言ってきた。真面目な顔でそう口にする椎に、

 「は?」

 俺は、意味が分からなくて眉間にしわを寄せる。

 「言いたいこと、言っていいから」

 続けた言葉に、さらに眉を寄せて、俺は考えた。

 もしかして、俺が先生に萎縮したり遠慮して、

 またいいようにからかわれるんじゃないかと心配しているのだろうか。

 何が言いたいのか、よくは分からなかったけど、そんなところだろうと思って

 「大丈夫だよ」と笑って頷くと、椎が俺の腕をグイと引き寄せる。

 そのまま抱きしめられ、キスをする時のように顔を寄せてくるので、

 「えっ、ちょっ」

 慌てると、そのまま奴の唇が俺の唇に合わさり、一瞬キュッと力がこもった後、離れた。

 いつものキスに比べたら、しなかったも同然のようなそれだったけど、

 焦ってすぐに居間の方を振り返る。

 先生に見られてなかったことを確認してから、椎に向き直って、

 「先生がいるのにっ」

 小声で少し怒り気味に言うと、

 「おかえりのキス、もらってないし。見られてない」

 何の問題もないというように見返してきて、俺は呆気にとられた。

 見られてなきゃいいってもんでもないだろう。

 それで、もう一言怒ってやろうと思ったが、

 「行こう」

 言う間もなく椎が俺の手を引っ張って歩き出す。

 二人して居間へと入っていったら、先生が台所の方にいて、

 シンクのそばに飾ってある写真を、腰をかがめるようにして、じっと見ていた。

 こっちを見て、写真立てを指差す。

 「この写真は?」

 「旅行行った時の。六月に神戸行ったんだ。話しただろ?土産も渡したし」

 先生の問いに椎が答え、先生はふーんと鼻を鳴らし、その後も、長いことそれを見つめていた。

 出来ればあんまり見ないで欲しいと思っていると、先生が顔を上げて俺を見る。

 写真について何か言われるのかと思ったら、そのまま俺に歩み寄りつつ、胸ポケットに手を入れた。

 そして、間近まで来ると、

 「はい、お年玉」

 先生がポチ袋を取り出して、俺の目の前に差し出す。

 「え」

 お年玉をもらえるなんて全く思っていなかった俺は、驚いて先生の顔をじっと見た。

 躊躇していると、先生が笑って、

 「学生のうちだけだよ」

 俺の手を取ってそれを乗せてきて、俺はお礼を言って受け取る。

 「ありがとうございます」

 うわー、家族や親戚以外の人にお年玉もらうなんて、初めてだ。

 と考えた後、喫茶店の店長にもらったことがあるのを思い出した。

 でも、あれとはまた違う感じがする。

 俺は、予想外の収入ということもあって、少なからず嬉しくなりながら、

 それをしばらく眺めた後、自分の鞄に入れた。

 戻って、お茶を淹れている椎に近づき、

 「なんか手伝うこと、あるか?」

 と聞くと、

 「いや。俺がやるから玲二は座ってていいよ」

 手を動かしつつ言うので、俺は椎に任せることにして、先生が座っているソファに近づいた。

 自分も座ろうとして、先生の横に、ふと紙袋が置かれているのに気づく。

 そう言えば、家に入ってきたときから持っていたような気がする。

 なんだろう?

 俺は、チラと中身を見た。

 白い紙袋に白いものが入っていて、何なのかよく分からない。

 服?毛布?ちょっとピンクがかった部分もあるようだけど。

 「気になる?」

 ふいに先生が顔を上げて、首を傾げながら聞いてきた。

 「え、ええ。なんかフワフワしたもんが入ってますね」

 覗き込みながら言うと、

 「ああ。ウサギの耳と尻尾だよ」

 先生が普通の顔で教えてくれる。

 それを聞いた途端、なんだか嫌な予感に襲われ、見なければ良かった、と少しの後悔の念にかられた。

 誰も詳しく見たいとも言ってないのに、先生が紙袋に手を入れて、中からそれを引っ張り出す。

 取り出されたそれは、カチューシャのように人の頭に取り付けることのできるウサギ耳をかたどったものと、

 フワフワと手触りのいい素材で作られていて何やら紐のついた、これまたウサギの尻尾だった。

 俺は、せっかく出してもらったのになんだか黙っているわけにもいかなくて、

 仕方なくそれを見ながら、先生に聞いた。

 「それは、体につけて使用する…んですよね」

 俺の問いに、先生が答える。

 「ん。まあそうだね」

 先生を見たら満面に笑みを浮かべていた。

 俺は苦笑する。

 「どうしたんですか、これ」

 「買ったんだよ。クリスマスの時のは知り合いに借りた」

 クリスマスの時の?

 それを聞いて、俺は、椎がサンタで自分がトナカイの格好をしていたことを思い出した。

 ふはは…

 思わず笑いがこみ上げる。

 何を考えてるんだ、この父子は。

 「マサが借りたいって言うから貸したんだけど、楽しんでもらえたかな」

 どこから調達したかと思っていたら…そうだったんだ。

 俺は、ちょっとばかばかしいとどこかで感じながらも、妙に納得して頷いた。

 「ええ。それはもう」

 楽しんだのは、ほとんど椎だけれど。

 「それについては、俺、借りたいなんて言ってないから」

 お茶を運んできた椎が、先生が持っているウサギ耳と尻尾に目をやりつつ、

 「親父が勝手に持って来ただけだから」

 俺に向かって弁明してきて、俺は笑う。

 ああ。別に、どうでもいいよ。俺、着けないから。…着けないからっ。

 

 

 その後、お茶を飲みながら少し話し、六時半をまわった頃、

 「じゃあ、そろそろ食事に行こうか。服部君は何が食べたい?やっぱり肉かな。

 しゃぶしゃぶかステーキ、どっちがいい?」

 先生が、自分が楽しみでしょうがないというように聞いてきた。

 そんなご馳走じゃなくてもいいのに。

 と思ったところで、椎が俺についての注意事項を口にした。

 「玲二は、あんまりいい肉をたくさんは食べられないんだ」

 「え、どうして」

 先生が不思議そうにする。

 「頭、痛くなるんだって」

 その説明に、驚きと哀れみを含んだ表情で俺を見た。

 「そうなんだ」

 すいませんね。なんか貧乏体質で。

 「でも、たくさん食べなければ大丈夫です」

 というわけで、ほどほどに食べることにして、ステーキとハンバーグの店に行くことに決まる。

 

 

 上着を着て、ヒーターを切ってから外に出、エレベーターで下まで降りて駐車場に行くと、

 ちょっと前から降り始めていたらしく、雪があちこちにうっすらと積もっていて、

 今もひっきりなしに舞い降り続けていた。

 「結構降ってるな」

 椎が両の手の平を上に向けて、空を見上げる。

 奴は、今日も例のマフラーを巻いていた。

 プレゼントした俺が言うのもナンだけど、それは、雪の降る中、椎にすごく似合っているように見えて、

 「ほんと、降ってきたな」

 俺も見上げて、降り具合を確認しながら、なんとなく嬉しくなる。

 「すごく寒いね」

 横で先生が、両肩を持ち上げて首を竦めてみせ、俺は頷いた。

 「冷えますね」

 先生を見ると、ロングコートを着ていて、背が高いので、こちらもよく似合っていた。

 年よりもずっと若く見えるし、相変わらずカッコいい。

 なんだって父子して、そんなにカッコいいのかと、俺は間でちょっと憎らしく思ったりもする。

 

 

 車に乗り込んで椎の運転で店に向かい、三人で食事をしている間に、雪はどんどん激しくなって、

 食事を終えて店を出る頃には、外は完全に白い世界になってしまっていた。

 「椎は晴れ男の筈なのにな」

 椎に言ってやると、

 「俺のは雨にしか効かないんだ」

 まるで本当にそんな力があるかのように言って、続けた。

 「予想外の外出だったし、誰かさんが雨男なんだろ」

 後ろで先生が、笑う。

 「俺のせいにするなよ」

 短時間でのあまりの風景の変わりように、なんだか唖然としながら、また車に乗り込むと、

 「初詣、まだ行ってないって聞いたけど、寄って行こうか」

 先生がそんなことを言い出して、確かにまだ初詣を済ませていなかった俺たちは、

 そうすることにして、帰りに神社に寄った。

 でも、そのころには雪の激しさはさらに増していて、俺たちは傘も持っていなかったので、

 手早くお参りを済ませ、長居することなく神社をあとにした。

 天候が悪すぎるせいか、境内は空いていて、その点は良かったけど、

 車を降りてから数分で戻ってきてしまって、あんなお参りの仕方で、

 神様もびっくりしたんじゃないだろうかと思う。

 「なんか慌ただしかったな」

 「しょうがないよ。雪激しすぎ。今度また、ゆっくり来よう」

 運転席の椎がワイパーを調節しつつ答える。

 確かに。前も見えないくらいの雪で、ちょっと外を歩いただけなのに、

 髪が洗った後のように濡れてしまった。

 

 

 マンションの駐車場に帰り着く頃には、雪がまた厚みを増していた。

 ただ、降り方は小降りになっていて、視界を遮るほどではない。

 「さっきこれくらいだったら、まだ良かったのにな」

 言いながら車から降りて、フェンスの雪を手に取ってみる。

 すごい。こんなに積もるなんて、この地方ではなかなかないことだ。

 キュッと握ると、雪玉ができた。

 ふと見ると、椎も同じことをしていて、その手には玉になった雪が握られている。

 目が合って、そのまま見合っていると奴がニッと笑い、

 次の瞬間、俺に向かって雪玉が飛んできて、俺は慌ててよけた。

 体勢を立て直し、間髪入れず投げ返してやったら、俺の雪玉は椎の額をかすめて飛んでいき、

 奴の前髪に少し白い雪がついた。

 「うわっ、なんだよ、上手いじゃん」

 椎がちょっと驚いたようにして笑って、次の雪玉を作り始める。

 駐車場は帰省している人が多くて、とまっている車も少なく、

 雪合戦をするにはいい具合に適した場所になっていた。

 ところどころに設けられたライトの光に頼りながら、俺は、急いで近くの雪をかき集めた。

 元野球部、なめんなよ。

 心で呟きつつ、雪を握って投げていると、どこで作っていたのか、

 先生が手にいくつか雪玉を持って現れ、俺に渡してくれる。

 「ありがとうございます」

 遠慮なく受け取って、椎に向かって投げる。

 「あっ、なんでそっちの味方なんだよっ」

 椎が喚いて、先生にも投げつけると、

 「うわっ」

 見事に命中して、先生のコートが雪まみれになってしまった。

 その様子に目を奪われていたら、俺も喰らって肩の辺りが白くなる。

 ムキになって投げ返していると、先生も参戦し始め、

 それぞれ必死に雪を投げているうちに、だんだん汗だくになって来た。

 かなり投げたような気がしたが、手ごたえのない時間が続き、なんとか椎にもう一発当てたくて、

 奴の注意が先生に向いた隙に、狙って投げてみた。

 そしたら、思いっきりさっきと同じ、額の少し上くらいに当たってしまい、奴も雪だらけになり、

 「ちょっと待ったっ」

 眼鏡に雪がついて前が見えなくなった椎のタイムの声で、雪合戦は中断され、そのまま終了となった。

 みんな、汗だくでハァハァ言っている。

 俺たち、なんでこんなことしてるんだろう。

 「二対一とか、ズルい」

 椎が眼鏡を外し、濡れた顔を手の甲で拭いつつ恨めしそうに、でも笑いながら俺と先生を見て言うと、

 「お、俺なんか、年なんだし、戦力に入らないだろ」

 先生がゲホゲホ咳き込みながら言い返す。

 俺が車止めに座って、

 「あー、汗かいてて気持ち悪」

 胸元を開けて熱を逃がすようにしていたら、

 「風邪引くから、部屋に帰ろう」

 椎が声をかけて、マンションのエントランスに向かって歩き出した。

 俺が立ち上がって奴について行くと、先生も一緒に歩き出す。  

 

 

                              後編へ続く…                                     

 2012.02.03

 

 

 

 BACK    一人きりじゃ飛べない2目次   

  HOME     NOVELS