ペアレント2 後編






 部屋に入って暖房を点け、それぞれに濡れてしまった上着を脱いで、

 それを拭いたり乾かしたり、汗だくになった服を着替えたりする。

 先生は、どうしても風呂に入りたかったようで、椎に風呂を沸かしてくれるよう頼んでいた。

 「服部君、一緒に入ろうか」

 沸くのを待っている間、先生が話しかけて来て、それを聞いていた椎が即座に口を挟む。

 「入らなくていいから」

 俺が何か思考する間もないくらいの、早業だ。

 えーと…

 どうしようかと思っていると、

 「じゃあ、マサ、一緒に入ろうか」

 先生が、今度は椎に向かって言って、椎はゲッという感じで嫌そうに顔を歪めた。

 「入らねぇよ」

 キッパリ断られてしまった先生が、もう一度俺に視線を向け、続けてひとり言のように呟く。

 「服部君に、一緒に入って、背中流してもらいたいなぁ」

 「一人で入れっ」

 間髪入れず椎が返した。

 俺は、なんだかちょっとだけ先生が可哀想に思えてくる。

 しばらくして、風呂が沸いたのを知らせる電子音が鳴ると、

 「しょうがない。一人で入ってくるか」

 先生は、心持ち淋しそうにそう言って風呂に向かった。

 その姿がドアの向こうに消えるのと同時に、椎が溜息をついた。

 それから、疲れた感じでソファに腰を降ろして、俺をじとっとした目で見上げてくる。

 「俺が言わなかったら、風呂、一緒に入ってただろ」

 椎の言葉に、その場合、自分がどうしていたか考えようとしたら、

 「絶対入ってたっ」

 俺が答えるより先に、決め付けて言ってきて、熱くなっているらしいその様子に、思わず笑う。

 「入ってたかも知れないけど…駄目なのか?」

 「当たり前だろっ」

 …駄目なんだ。

 確かに、俺が椎の彼女だったら、それはちょっと…駄目だろうと思う。

 でも、俺、女じゃないし、ただ背中を流すくらいなら、いいような気もする。

 まさか、いくらなんでも、そういう目で見て来たりしないだろうし。

 俺は、自分たちが男同士のカップルだということを踏まえて、その場合どうするべきなのか、

 考えを巡らせてみたが、正解と思える答えに辿り着けず、そのうちよく分からなくなってきた。

 まぁ、椎の気持ちも分からないでもないから、たぶん入らないに越したことはないのだろう。

 そして、実際一緒には入らなかったんだから、これ以上文句を言われる筋合いもない。

 俺は、そう思いながら椎の隣に腰掛けた。

 すると、奴がいつものように俺の手に触れてくる。

 「親父のこと、何回カッコいいと思った?」

 椎が俺を見て、突然意味不明の質問をしてきて、思わず「は?」と眉を寄せた。

 「見てただろ?『カッコいい』って思ってる目で」

 俺は、なんだよそれ、と思いつつも、先生をカッコいいと思う瞬間があったかどうか、

 思い出そうとしてみた。

 でも、駐車場に降りたときの一回しか思い当たらない。

 「一回…見てたけど」

 「いや、もっと見てた」

 椎の再びの断定的な口調に、口を噤む。

 それ以外で見てたとしたら、それは無意識だ。

 しょうがないじゃないか。カッコいいものはカッコいいんだし、勝手に目がいってしまうんだから。

 俺は、椎が前と同じように焼きもちを焼いているらしいのを感じて、苦笑いを浮かべて奴を見た。

 「そんなこと白状させて、どうしようってんだよ。

 俺は確かに先生のことカッコいいと思うけど、それだけのことで、それ以上は何も思ってない」

 それに、見てたのは先生だけじゃないし。

 「先生より椎の方がずっとカッコいいと思ってるし、

 だいたい、なんで親父さんに焼きもち焼くんだよ。それ、おかしいだろ」

 俺は言い聞かせるようにして言ったけど、椎は納得出来ないらしく、切なげな瞳になって見てくる。

 「だから、お前の焼きもちの方向は、ちょっとおかしいって」

 もうどうしたらいいんだよっ、と思っていると、奴が重ねた俺の手をギュッと握った。

 「だったら、玲二からキスしてよ」

 「え。今、ここで?」

 「うん」

 俺は、戸惑った。

 だったら、ってやっぱりおかしい。とちょっと思うけど、何もなしでは椎の気持ちは治まりそうにない。

 「先生が出てきたらどうすんだよ」

 「まだ出て来ないよ」

 「……」

 椎の急かすような表情に、俺は少しためらいつつも顔を寄せ、唇を合わせた。

 椎の下唇と上唇の感触を、自分の唇で確かめるようにしてなぞった後、

 舌を差し入れて絡ませると、椎が抱きしめてきて、俺も奴の背中に手を回す。

 「んっ」

 今先生が出てきたらどうしようとドキドキしながら、でも軽いキスでは椎は納得しないだろうと思ったので、

 少ししつこく唇を重ねていたら、ちょっと感じてきてしまった。

 「ん、ふっ」

 先生が近くにいる所で、こんなことしてるこのシチュエーションに、どんどん体も熱くなってくる。

 どうも興奮しているらしい自分に呆れるけれど、高まっていくのを抑えられない。

 離れると椎が、驚いたように、

 「なんか、すごくいいキスだった。このまま押し倒していい?」

 などと言うので、俺は慌てて押し留めた。

 「ダ、メ、だってっ」

 迫ってくる椎の体を、渾身の力を込めて押し離す。すると、

 「こういう感じ、好きなんだ?」

 と聞くので、俺は小さく「バカッ」と返した。

 頬も火照っているのを感じ、手を当てて、必死に火照りをおさめようとしていると、

 椎が面白そうに笑って俺を見る。

 どうやら、機嫌の方はなおったらしく、

 「それにしても、よく降ったよな」

 奴が言いながら立ち上がり、ゆっくりと俺を離れて、窓に寄ってカーテンを開けた。

 窓の曇りを指先で拭って外に目をやっている。

 「まだ降ってるか?」

 「いや、もう止んだみたいだ」

 俺の問いに答えてから、何かを思い出したような顔をして、ふっと笑った。

 「なんだよ」

 と聞くと、

 「ん…まさか雪合戦をやることになるとは思わなかったな」

 椎がおかしそうにし、それを聞いた俺も笑う。

 「ああ。楽しかったな」

 夢中になっていたあの瞬間を思い出して、また楽しい気分になった。

 「先生も、楽しそうだったし」

 俺の脳裏に、年がどうのと言いながらも、はしゃいでいた先生の姿が思い浮かぶ。

 そこに、一人で風呂に向かったときの淋しそうな背中が重なった。

 それで何げなく、

 「先生の背中、流してきたら。したことないんだろ」

 と言ってみたら、椎が「え」と俺を見る。

 その図を頭に思い描いているのか上目使いをして、それからすぐに「やだよ」と答えた。

 ちょっと照れ臭そうな表情だ。

 抵抗があるのだろうか。

 息子に背中流してもらったら、嬉しいと思うんだけどなぁ。

 椎は、そのことについては、それ以上何も言わず、話題を変えた。

 「おふくろさんは元気だった?」

 と聞かれて、

 「ああ元気だった。またいろいろくれるもんだから、帰りは大荷物」

 相変わらずであることを告げる。

 そう言えば、おふくろが椎に会いたいと言っていたことを思い出し、

 「椎に会ってお礼がしたいって言ってたな。いつも世話になってるし、病院でのこともあるから、って」

 俺が続けてそう伝えると、椎が笑って瞳を伏し目がちにし「お礼なんていいのに」と呟いた。

 そうしてから、もう一度、窓の外を見る。

 「でも、病院で会ったきりだし、一度ちゃんと話もしたいし、今度会いに行こうかな」

 「え…」

 俺は、椎の言い出したことにドキッとして、椎の顔をまじまじと見た。

 「ちゃんと話、って…?」

 俄かに緊張する俺とは裏腹に、

 「俺たちのこと。いつまでも黙ってはいられないだろ?これからも、ずっと一緒にいるんだから」

 椎が少し首を傾げながら、普通のことのようにそう口にする。

 俺は、自分たちのことをおふくろに打ち明けることを考えたら、心臓がドキドキしてくるのを感じた。

 視線を逸らして、床に落とす。

 …よく考えてみれば、確かにいつまでも黙ってはいられない。

 俺は、椎のそばにずっといると約束したのだ。

 それならば、いつかは話さなければならないだろう。

 いつまでも隠し通せるものじゃない。

 ……。

 って。隠し通すって何だよ。それじゃあ、まるで悪いことをしてるみたいじゃないか。

 自分で自分の考えたことにツッコミを入れてから、「でも」と思う。

 やっぱり抵抗がないと言えば、嘘になる。

 俺が俯き加減で黙っていると、椎が窓辺を離れて歩み寄り、そのまま再び俺の隣に腰かけた。

 「ひょっとして、言うの、怖い?」

 俺の気持ちを窺うように、顔を覗きこむようにして聞かれたけど、

 答えられずにいたら、奴が俺の手に自分の手を重ねて来る。

 「ずっとそばにいるって言ってくれた、あの言葉は嘘じゃないよね」

 「それは、嘘じゃない」

 その問いには、即答出来た。

 椎のことを好きなのは本当で、ずっと一緒にいると心に決めていることも変わりない。

 俺の言葉を聞いて、

 「良かった」

 椎が、ホッとしたように息を吐いた。

 そして、俺の手を握る。

 「焦らなくてもいいよ。まだ先だっていいんだし。

 玲二の心の準備が出来たら…玲二がいいと思ったときに、そう言ってくれればいいから」

 俺を気遣ってくれているのを感じたけれど、俺は今の気持ちをどう伝えたらいいのか分からず、

 上手く言葉にも出来なくて、何も言えずにまた黙った。

 部屋がしんとする。

 沈黙が二人を包み、空気がちょっと重くなりかけたとき、

 「玲二は俺にとって宝物だけどさ、きっと、おふくろさんにとっても同じだよな」

 急に椎が言ってきて、俺は驚いた。

 そんなふうに考えたことがなかったけど、でも、そうなのかも知れない。

 …そうなのだろう。

 俺は一人っ子で、おふくろは、女手ひとつで(まぁ、ばあちゃんもいたけど)俺を育ててくれたわけで、

 それは俺が思うよりも、ずっと大変だったに違いない。

 ……。

 そう考えたら、なんだか胸が痛くなってくる。

 「それを俺が持っていこうとしてるんだから、もしかすると、認めてもらえないかも知れない」

 椎が俺の手を握る手に、ギュッと力を込める。

 「でも、俺は玲二の家族にも納得してもらって、玲二と一緒にいたい」

 椎が思いのこもった強い口調で言って、俺はゆっくりと顔を上げた。

 「もし認めてもらえなかったとしても、俺は認めてもらえるまで、

 何度でもちゃんとおふくろさんと話し合うつもりだよ」

 椎が俺と視線を合わせて言い切り、俺の脳裏に以前先生に言われたことが蘇る。

 「君が傷つくことがあるかも知れないけど、

 それでも、勝手かも知れないけど、出来ればそばにいてやって欲しい」

 傷つく…とは、少し違う気がするけど、でも、俺に求められているのは、

 椎と付き合うことによってもたらされる、様々なことに対する覚悟なのだ。

 「様々なこと」には、それこそいろんな事が含まれていて…

 その時、カチャッとドアの開く音がして、先生が風呂から出る気配がした。

 その音を聞き、俺は、椎に握られた手を、自分の側へとスッと引く。

 しばらくして、着替え終えた先生が、満足げな表情で、居間に入って来た。

 「ありがとう。おかげでサッパリしたよ。温まったし」

 俺たちの交わしていた会話を知らないのだからしょうがないけど、

 呑気とも思える雰囲気を醸しつつ俺たちにそう言うと、窓辺に寄ってカーテンを開ける。

 椎がしたのと同じように、指先で曇りを拭って外に目をやり、

 「降ってはいないみたいだな」

 一人言のように呟いてから、部屋の隅に向かった。

 置いてあった上着を手にして袖を通す。

 帰り支度をしているらしい先生に、

 「もう帰るのか?」

 椎が聞くと、

 「そうだな。そろそろ帰るかな。道が凍る前に」

 言いながら、先生がこちらに向き直った。

 その返事に、椎がソファから立ち上がり、俺もつられるようにして立ち上がる。

 「主要な道路には雪はないと思うけど、気をつけて帰れよ」

 椎が珍しく、優しい感じに声をかけ、

 「ああ」

 先生が嬉しそうにする。

 「長居したね。もう邪魔しないから、安心して。仲良くね」

 先生が、ニッと笑いつつ俺に向かって言って来て、俺が苦笑すると、

 「余計なことは言わなくていいんだ、よっ」

 椎が、玄関側へ追い出すみたいに、また前来た時のように、先生に軽く蹴りを繰り出した。

 先生が笑いながら、逃げるように玄関へ行って、靴を履く。

 「そうだ。服部君、今度うちにおいでよ」

 先生が顔を上げて言ったその言葉に、俺より先に椎が「え」と反応した。

 それから、その意見には賛同したらしく、俺を見て大きく頷く。

 「うん。そうするといいよ。花代さんの料理、美味いんだ。一緒に食べよう」

 二人共なんかすごい歓迎ムードで、俺はちょっと圧倒されながら、お礼を口にした。

 「ありがとうございます。そのうち、お邪魔させてもらいます」

 それを聞いて、先生が「絶対だよ」と念を押してから、

 「じゃあね」と手を振りつつ外に出てドアを閉める。

 笑って手を振り返し、ドアが完全に閉まった、と思ったその瞬間、

 横にいた椎が、俺を抱き寄せた。

 「わっ、ちょっ」

 俺が驚くのと同時に、耳元で声がする。

 「俺は、玲二を離さない」

 背中に回された腕に力がこもる。

 「玲二じゃなきゃ駄目だから」

 今までにも、何度も聞いた言葉だけれど、

 今、その言葉の意味がもっと深く感じられた。

 「椎…」

 俺は、なんだか切ない気持ちになった。

 腹を括る。

 どんなことも、二人で一緒に乗り越えていく。

 先に好きになったのは椎だけど、ずっと一緒にいると決めたのは俺で、

 他の誰でもない俺が、他の誰でもない椎を選んだのだ。

 目を閉じて、俺も椎の背中に手を回す。

 強い気持ちが必要な場面は、これからもやってくる。

 その度に、俺は戸惑ったり、不安になったりしてしまうだろう。

 でも、椎となら…

 「玲二…」

 椎が、俺の首に顔を埋めたまま、名前を呼ぶ。

 「ん?」

 と聞いたら、

 「愛してる」

 と言ってくるので、

 「うん」

 俺は頷いた。

 椎が顔を上げて、甘えたような切羽詰ったような声で、もう一度繰り返す。

 「愛してる」

 俺は笑う。

 分かってる。

 「俺も、愛してる」

 そう答えると、椎が俺を見つめ、そのまま顔を寄せた。

 唇が重なり、目を閉じる。

 「今年も、これからもよろしく」

 年を越した時にも言ったけど、唇が離れてから俺が改めてそう口にすると、

 「今年も、来年も、再来年も。ずっと、晩年までよろしく」

 椎がそう返して、俺は笑った。

 

 

 

                                      了                                                                    

 2012.02.03

 

 

 

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