第二話 出会い2


 

 

 昼に、弁当を持ってきていないと言うので、

 売店の場所を教えるついでについて行った。

 詩生が、パンを二つとパックの牛乳を選んで購入する。

 「牛乳飲んでも、背が伸びるとは限らない、って知ってる?」

 教室に戻りながら聞くと、彼は、

 「うん。でも、僕、牛乳好きだから」

 とはにかんだ笑みを浮かべた。

 そうか。知ってるのか…。知ってるよな。

 と思うのと同時に、牛乳で背が伸びると聞かされて、

 浴びるほど飲んだ日々が思い出される。

 背が伸びないのを気にして、中三の頃、あまり好きじゃないそれを、

 俺は一生懸命飲んでいた。

 ところがある日、その言い伝え(?)には根拠がないと知った。

 ネットで、偶然そう書かれているのを読んだのだ。

 俺は愕然とし、その日以来、ピタリと牛乳を飲むのをやめた。

 そして、それに罪はないのだが、なんとなく今でも牛乳を見ると、

 「牛乳なんて…」というちょっと恨めしい気分になる。

 情報に踊らされた日々。あの日々はなんだったのだろう。

 結局、背は低いままだ。

 

 教室に戻って、詩生と一緒に昼を食べる。

 詩生がパンを食べる様子を横目に見ながら、俺も弁当を口に運ぶ。

 彼が途中で、パックの牛乳にストローをさし、そのストローをチュウと吸って、

 俺は弁当を食っていた手を止めた。

 詩生の口は、アヒルみたいな口で、上唇が少し上を向いていて、

 常に誘っているような感じがする。

 いや、そう思えるのは俺だけなのかも知れないが、上唇が上向いているのは確かで、

 すごくかわいい形をしている。

 そのかわいい口が、チュウとストローで吸ったのだ。

 「鏡くん?どうかした?」

 「ん、ど、どうもしないけど」

 見とれていると詩生が聞いてきて、俺は、ちょっと焦りつつ目を逸らした。

 が、またすぐにそこを見てしまう。

 「でも、箸止まってるよ」

 詩生は、理由は分からなくても何か変だと思っているようで、

 笑いつつ首を少し傾げている。

 その仕草もかわいくて、俺はまた目を奪われそうになったが、

 詩生が食べ終わろうとしているのに気づいて、

 慌てて箸を動かし再び弁当を食べ始めた。

 

 「なぁ、部活何に入るか決めてる?」

 弁当を食べ終わり、詩生に聞いてみたら、彼は「うん」と頷いて、

 「僕は、陸上部」

 と答えた。予想外の答えで、俺は思わず、

 「え、どうして」

 と聞いてしまった。

 「どうして、って…前の学校でもそうだったし、走るの、好きだから」

 陸上部だなんて、ちょっとイメージと違う。

 なんとなく文化部っぽくも見えるんだけど…

 でも、考えてみたら、そういう意外性のあるところも悪くないように思えてきて、

 「へぇ」

 俺は、感心したように相槌を打った。

 出来るなら俺と同じバスケ部に入って欲しかったけど、強要するわけにもいかない。

 

 詩生は、もう届けを出していたらしくて、その日の帰りからさっそく部活に参加していた。

 グラウンドでは、いろんな部が、それぞれに割り振られた場所で活動しているが、

 陸上部は端っこの方で、地味に練習している。

 俺はバスケの練習をしながら、時々詩生に目をやった。

 彼が先輩や同じ学年の背の高い奴らと喋っているのを離れた場所で見ていると、

 なんだかモヤモヤした気分になる。

 「鏡太郎っ!」

 詩生を見ていたら、俺と組んでいる練習相手の奴が叫んで、

 そっちを振り返ると俺を睨んでくる。

 「どこ見てんだよっ」

 世界で一番かわいいもん見てんだよ。

 …とは言えないので、心で思うだけにして「悪ィ」と笑って向き直り、練習を続けた。

 

 詩生が転校してきてから、初めての日曜日。

 俺は、彼を映画に誘った。

 詩生は快くOKしてくれて、俺は日曜日が来るのが楽しみでしょうがなかった。

 今まで、こんなに特定の日を楽しみに待ったことはない。

 何を着て行こうか、に始まって、金はどれくらい持っていこうか、とか、

 昼は何を食べようとか、映画のあとどう過ごそうとか、悩みどころはたくさんあって、

 実際のことを考えると緊張もするけど、その一方でものすごく楽しい気分も味わっている。

 なにしろ、学校と違って、知り合いはお互いだけという二人の時間を過ごせるのだ。

 

 

 当日。

 シネコンの入っているショッピングモールで待ち合わせた。

 かなり早く着いてしまった俺が、指定した場所で、

 じっともしていられなくてウロウロしていると、時間通りに詩生が姿を現した。

 彼に歩み寄って「おはよう」と声をかけると「おはよう」と返してきた。

 学生服姿の詩生もいいが、私服もかわいい。

 その後、二人してチケット売り場の方へとゆっくり歩き出す。

 「だいぶ待った?」

 詩生が聞いてくる。

 少し遅かったと思っているのか、申し訳なさそうにしているので、俺は首を横に振った。

 「全然。今来たとこ」

 笑って言うと、彼もほっとしたように、

 「良かった」

 笑顔を見せる。

 それから、チケットを購入し、何もいらないと言うので、

 食べ物や飲み物を買わず、そのまま映画館の中に入った。

 学校ではない場所で、大好きな詩生の隣に並んで座り、映画を見る。

 それだけで、すごく嬉しかった。

 映画は、アクションがメインだったが、ちょっと切なくなるような場面もあって、

 なかなかストーリーもしっかりしたいい映画だった。

 途中、ぐすっと鼻をすする音がして、そっちを見たら詩生が泣いていて驚いた。

 俺が見ていることに気づいて、詩生は俯いて「見ないで」と言った後、

 ハンカチを取り出して涙を拭いていた。

 映画を見て泣いている姿は、なんというか儚く見えて、

 俺はものすごく詩生の手を握りたくなった。

 でも、実際にそうすることは出来ずに、

 胸にチリチリと焦燥感のようなものを感じながら耐えた。

 詩生を好きだと思うほどに、膨らんでいく想いがある。

 だけど、思う通りに行動することはできない。

 俺は黙って、映画を見続けた。

 

 詩生の様子をチラチラと窺いながらの映画がやがて終わり、俺たちは映画館の外へ出た。

 明るい場所へ出ると、俺は涙なんか見なかったような顔で、詩生に聞いた。

 「面白かったな。昼、何食べる?」

 朝手に入れていたショッピングモールのパンフを広げて、飲食店の紹介部分を見せたら、

 こちらも泣いていたことなんか嘘みたいに、詩生がパッと目を輝かせて、ある店を指差した。

 「僕、ここ入ったことないんだけど、鏡くん、ある?」

 彼が指差したその店は、店舗の前に、眼鏡をかけた白ヒゲの太ったおっさんが立っている、

 チキンで有名なチェーン店だった。

 「あるけど…詩生はないの?」

 「うん。前から入ってみたくて。ここでもいい?」

 ワクワクしているのが伝わってくるような瞳で言うので、

 それもまたかわいくてトキめいてしまって、俺は頬が火照ってきてしまうのを感じながら頷いた。

 「もちろんいいよ」

 それから、ちょっとはしゃぎ気味の詩生と一緒に、途中雑貨屋などを冷やかしつつその店に行き、

 チキンとハンバーガーのセットを頼んで食べる。

 さっき見た映画の話をしていたら、元気にチキンにかぶりついている詩生の唇が、

 油でテカテカになっているのに気づいた。

 でも本人は知らずに、喋り続けている。

 俺は、なんかすごくいいものを見ている気分になって、彼に見とれながら話を聞いた。

 詩生は映画やドラマがすごく好きなようで、その興奮している様子から、

 入り込んでしまう性質なんだってことがよく分かった。

 「また一緒に映画見よう。誘ってもいい?」

 と聞いたら、「もちろん」と大きく頷いた。

 「でも、僕、涙もろくて、すぐに泣けてくるから、恥ずかしい」

 その後すぐ、詩生はちょっと赤くなりながら、決まりが悪そうに打ち明け、

 俺は、そんな詩生を見て、

 「いいじゃん。そういうの、全然悪くないと思う」

 笑いつつ、でも真面目に言った。

 俺は、人がそれなりの理由があって泣く事は、悪いことでも恥ずかしいことでもないと思う。

 それに、俺は詩生のいろんな顔を見てみたい。

 笑顔もいいけど、それ以外のさまざまな表情も。

 

 帰りに詩生の家の場所を教えてもらった。

 行ってみたら、立派な門構えのでっかい家で、俺はビックリした。

 「詩生んちって、金持ちなんだ…」

 家の前で、ちょっと唖然としている俺に詩生が笑う。

 「そんなことないよ」

 いや、あるだろう。

 普通の一戸建ての俺の家が、すごく貧弱に思える。

 「ここは、お祖父さんの家で、今まで離れて住んでたんだけど、

 事情があって一緒に住むことになったんだ」

 「ああ、それで引越して来たのか」

 俺は、納得して頷いた。

 『勅使河原』という表札が、妙に似合って見えるその重厚な雰囲気の家の前で、

 少し話して、別れる。

 「今日はすごく楽しかった。ありがとう」

 詩生がとびきりの笑顔を見せてくれて、俺は誘って良かったと心から思った。

 「俺もすっげぇ楽しかった。じゃ、また学校で」

 「うん」

 俺は、上機嫌でその場を離れた。

 

 

 外で詩生と会って、二人で過ごす。それは、とても幸せなことだけど。

 でも、それだけでは足りない。

 「鏡くん、僕の顔眺めてても宿題は終わらないよ」

 俺が、自分が持て余している感情を思いつつ詩生を見ていると、俺の目線に気づいた彼が、

 顔を上げて少し困ったようにして苦笑いを浮かべる。

 今日は、詩生を俺の家に呼んで、一緒に宿題を片していた。

 「あ、ああ」

 俺は慌てて頷いて、ノートに目を落とした。

 真面目に勉強するフリをしながら、やはり詩生のことを考える。

 俺は、一目見たときから詩生を好きになった。

 好きだという想いは溢れて、もう態度に出てしまって、

 気づかれていてもおかしくないくらいだと思うけど、どうも気づいている様子がない。

 向こうは、俺がそういう意味で好きでいるなんて全く思わず、

 ただ友達として気に入られていると思っているらしい。

 …まあ、それが普通の反応かも知れない。

 だとしたら、俺はどうしたらいいんだろう。

 誰かに相談できたらいいけど、男同士の恋愛相談なんて誰が聞いてくれるだろう。

 こっちも話しづらいし。

 友達の真樹に、相手が男だってことを伏せて話してみようかとも思った。

 あいつは奥手そうに見えて、結構モテるらしく恋愛経験があるのだ。

 だけど…

 「なんだよ。強気な鏡太郎らしくもない」

 なんて笑われてしまいそうで、それを思ったら癪に障る感じで、

 なんとなく言い出せなかった。

 本当に―。

 強気な俺らしくもない。

 俺は、この初めての恋に、自分がものすごく慎重になっているのを感じていた。

 

 

 それからも、休みには詩生を遊びに誘ったし、家に呼んだりもした。

 詩生といる時間が長くなるほどに、詩生のことを好きになる。

 学校でも外でも、彼の笑顔に魅せられてトキめくたびに、

 喉元までせり上がってくる言葉を、毎回飲み込んだ。

 この言葉を口に出せたら、どんなにいいだろう。

 口に出したら、どうなるだろう。

 もし詩生と恋人として付き合えたなら、どんなに幸せだろう。

 だけど、…駄目だったら?

 もう今までのようにそばにいることは、きっと出来なくなる。

 気持ち悪いと思われてしまうかも知れない。

 嫌われるかも知れない。

 詩生に嫌われるなんて、絶対に嫌だった。

 考えるだけでゾッとする。

 …って、本当になんで俺こんなにぐだぐだ思い悩んでいるんだろう。

 ずっとこんなことばっかり考えている。

 恋をするまで、好きな人に好きと言うことなんて簡単なことだと思っていた。

 ガンガン行けよ、と思っていた。

 告げずに後悔するより、告げて後悔する方がいいじゃないかと。

 だけど、いざ自分となると、全然違う。

 好きになればなるほど、告げるのが怖くて仕方ない。

 

 

 「鏡くん、鏡くんの番だよ」

 俺は言われて、「ああ」とゲームのコントローラーを操作する。

 詩生の家に遊びに来ていた。

 詩生の部屋は、きちんと片付いていて、なんだかいい匂いがする。

 家に上がったのは、二回目だ。

 「鏡くん。ひょっとしてこれ、面白くない?違うゲームにする?」

 俺が集中していないことを見抜いた詩生が、俺の顔を覗き込むようにして聞いた。

 詩生の顔が、唇が、間近に迫ってドキッとする。

 「いや、そんなことないけど…でも、そうだな。これはもうやめようか」

 彼がゲーム機からディスクを取り出して立ち上がると、どれにする?

 というように他のディスクの納まった入れ物を、上から手渡してきた。

 ゲームなんか、どうだって良かった。

 俺の頭の中は、詩生でいっぱいなのに、どうして詩生は気づかない。分からない。

 俺は詩生の差し出したそれを受け取り、けれどそのまま床に置いて、立ち上がった。

 ほとんど同じ高さの彼と、瞳を合わせる。

 もう、抑えられなかった。

 勝手に口が動いていた。

 「詩生、俺、お前のこと、好きなんだけど」

 「え」

 俺が告げると、詩生は驚いた顔をした。

 でも、すぐに笑う。

 「僕も好きだよ」

 なんだかすごくピュアな笑顔を向けられて、俺は、

 詩生が本当の意味を理解していないことに気づく。

 「違う…あの、友達として、とかじゃなくて…」

 「え…」

 訝しげな表情をする詩生に、思い切って告げる。

 「恋人として、付き合って欲しい」

 詩生が口をポカンと開けた。

 そんなことを言われるなんて、夢にも思っていなかったという顔だ。

 固まっている詩生に、

 「好きなんだ。詩生」

 言いながら一歩近づいたら、詩生が合わせるように一歩下がった。

 「鏡くん…。そんなこと…僕…」

 困ったように眉を寄せる詩生に、

 「俺じゃ、駄目?」

 じりじりと迫ってしまう。

 「鏡くん…ちょっと、待って」

 にじり寄っていくと、詩生は押しとどめようとするように、

 手の平を俺に向けながら少しずつ後ずさって、やがてベッドに行く手を阻まれて足が止まり、

 後ろを振り返った。

 俺が肩に手をかけたら、ハッとしてこちらに向き直る。

 「好きなんだ…詩生」

 「……」

 俺は、何も言わない詩生に、できるだけ優しく聞いた。

 「キスしても、いい?」

 その言葉に、詩生は大きく目を見開いて、首を必死にブンブンと横に振る。

 「駄目?」

 また聞くと、今度は詩生は、首をコクコクと縦に振って頷いた。

 「でも、俺、詩生とキスしたい…」

 そう言って俺がもう一歩近づくと、詩生はそれ以上下がることが出来ずに、

 でも後ろに下がろうとして、ベッドにしりもちをつくように、ストンと腰掛ける形になった。

 俺は、詩生を見下ろすと、その両肩に手をかけ、力を込めて後ろへと押し倒した。

 詩生は声も発せられないようで、体を硬直させて俺を怯えた目で見ている。

 「お願い。キスさせて」

 キス以上もしたくてたまらなかったが、詩生の顔を見ていたら、それしか言えなかった。

 だって、怯え方が尋常じゃない。

 怖がらせたくて言っているんじゃないことを、好きでたまらないんだってことを、

 分かってもらいたかったけど、上からじっと見つめていると、そのうち詩生は眉を寄せ、

 瞳にじわっと涙を浮かべた。

 すごく嫌がってる、っていうか、怖がってる。

 俺は詩生をじっと見た。

 そのまま、長いこと見つめる。

 たっぷりの沈黙の後、俺は目を閉じた。

 「…ごめん」

 一つ息を吐き、謝りながら詩生の上から退いて、手を離す。

 「やっぱ男なんて嫌だよな」

 詩生の目を見て問いかけるようにして言うけれど、

 詩生は変わらず固まったまま、何の返答も口にしてはくれない。

 目の前が真っ暗になる思いがした。

 詩生を離れるとクルリと踵を返して部屋を出、その勢いで家からも出ると、

 どこへともなく一心不乱に走り出す。

 

 自分は振られたのだ。

 と思ったら、居た堪れなかった。

 振られたのだ。

 応えて欲しかった、受け入れて欲しかった人に。

 初めて好きになった人に…

 詩生が怯えた目をしていたのを思い出して、

 もう立ち直れないかも知れないと思えるくらい気持ちが沈む。

 あんな顔をさせたかったわけじゃないのに。

 だいたいなんでキスなんか迫ったのか、自分でも分からなかった。

 好きだって事を、ただ伝えたかっただけだった。

 どうすれば良かったのか、何が正しいのか、分かる人がいたら教えて欲しかった。

 分からないことだらけで、自分がものすごい馬鹿に思えて、ますます、沈んだ。

 

 

 

 

 

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