第二話 出会い3


 

 

 翌朝。

 登校したところで、真樹に会った。

 「おはよう」

 挨拶を投げてきた奴が、俺の顔を見て眉を顰め、

 「…なんかあったのか?むちゃくちゃやつれて見えるけど」

 苦笑いを浮かべる。

 俺はよっぽどひどい顔をしているらしい。

 「別に」

 目を合わせずに、ポツリと返す。

 「別に…って、何もなくてそんな顔にならないだろう」

 「こんな顔なんだよ。元々」

 口を開くのも億劫だったが、渋々重い口を開けてそれだけ言うと、俺は黙り込んだ。

 真樹には、詩生に積極的に近づいていたことは話してない。

 クラスも離れてるし、転校生の話も詩生が転入したあの日にしたきりで、

 真樹は彼の存在さえ知らないかも知れない。

 自分がやつれている理由を、今そこから説明する気にはなれなかった。

 そのまま歩いていると、

 『最近、何も話してくれないんだな』

 頭の中に直接声が入ってきて、足を止める。

 隣にいる真樹を見上げたら、奴も止まって、俺の顔を見た。

 『前んときも、落ち込んでる理由聞いても、別に、って言ってたし』

 少し淋しげな表情をしている。

 言葉の端々からは、心配してくれている気持ちも窺えて、

 俺は奴の顔をじっと見つめた後、一つ溜息をついた。

 「直接話しかけんなって言っただろ」

 「だって、そうでもしないと話してくれないだろ」

 「……」

 俺が再び黙って目を逸らし、視線を宙に這わせていると、真樹は、

 「力になりたいんだよっ」

 と言いながら、ちょっとふざけた感じで横から抱きついて来て、

 「おわっ、やめろって」

 俺は驚いて喚いた。

 「やめて欲しかったら、何を悩んでるのか言えっ!」

 真樹が言いながらわき腹をくすぐって来て、くすぐったさにと言うよりは、

 その行為自体がおかしくて、思わず少し笑ってしまう。

 すると、そんな俺を見て、奴も笑った。

 してやったりという表情をしている真樹を、なんとも言えない気分で眺める。

 奴とは、昔、ある出来事をきっかけに友達になった。

 多分、俺に能力がなかったら、俺達は友達になっていなかっただろう。

 最初は、能力が縁で付き合うようになった奴となんて、きっと長続きしないと思っていた。

 でもそれは、俺の見当違いで…

 今では、一番親しい友達だ。

 俺は、真樹を離れて、

 「気持ちは有難いけどさ。…悪い。今はまだ話せない。もう少し落ち着いたら話すよ」

 奴を安心させるように言った。

 でも、奴はまだ納得できないという表情をしている。

 眉間にしわを寄せて、

 「だって、ただごとじゃない顔してるぞ?」

 と言うので、俺は、

 「大丈夫だから」

 真樹の腕をポンと叩いて、そのまま奴と別れ、自分の教室へと向かった。

 

 

 大丈夫なんかじゃあ全然ない。

 だけど、今すぐ元気になるなんて無理で、

 これはもう日にちが経つのを待つしかないように思えたし、ああ言うしかなかった。

 幸か不幸か、先週席替えがあって、俺と詩生は今は隣同士の席じゃない。

 席替えの当日は離れて悲しかったけど、今は、あのとき離れて良かったとも思う。

 こんな気持ちで、とても隣で授業なんて受けられない。

 詩生が教室に入ってきたのは気づいていたが、俺は目を合わせないようにしていた。

 ただの友達だと思っていたとしたら、告白なんかした俺は、

 詩生にとってきっと気持ち悪い奴に違いない。

 一日中、詩生の近くに行かないようにして、放課は、ずっと机に突っ伏してやり過ごした。

 昼に詩生が、伏せている俺のところにやって来て、

 「鏡くん」

 と小さく呼んだが、俺はその体勢のまま黙っていた。

 すると、いつまでもそうしてそばにいるので、

 「話しかけないで欲しい」

 ボソッと言ったら、やがて離れていった。

 気持ち悪いだろう俺に、話しかけてくれたのに。

 皆が周りにいる中で、思い切って声をかけてくれたに違いないのに。

 勝手に好きになって近づいておいて、振られたらこんな態度取って…

 俺って本当に、どうしようもない奴。

 「はあ…」

 もう、このまま机と同化してしまえたらどんなにいいだろうか、と思った。

 

 

 今日は、学校側の都合で、部活なしの一斉下校の日だった。

 部活があっても、同じグラウンドに詩生がいたら集中出来なかっただろうし、

 部活自体する気になれなかったので、

 ちょうどいいと思いながら靴箱のところまで来て外を見ると、雨が降っていた。

 普通の傘も、折りたたみ傘も持っていない。

 霧雨のような雨だ。走って帰ろうか。

 などと考えていたら、後ろから

 「鏡くんっ!」

 名前を呼ばれ、心臓がドキッとした。

 胸に突き刺さる、彼だけが呼ぶ特別な呼び名。

 振り返ると、雨が降っているのを知っていたのか、

 詩生が手に折りたたみ傘を持って、駆け寄ってこようとしていた。

 それを見て、足が勝手に動き出す。

 俺は、まるで逃げるように雨の中へ飛び出していた。

 なんで逃げなきゃいけないのか自分でもよく分からず、

 でも足は止まらなくて、家へ向かって一目散に走り出す。

 「鏡くん!待ってっ!」

 詩生に呼び止められたが、もちろん止まらなかった。

 好きじゃないなら、名前を呼んで欲しくなかった。

 好きじゃないなら、もう放っておいて欲しかった。

 すると、彼も雨の中へ飛び出して、俺を追ってくる。

 俺は驚いたが、そのまま走り続けた。

 「待って!」

 詩生が後ろで大声をあげる。

 「鏡くん!話を聞いてっ」

 嫌だ。

 俺は、今まで通り普通に友達としてなんて、そんな目で、詩生を見られない。

 きっとそういう話なのだと思って、そんな話聞きたくなくて、走り続けた。

 すると、詩生がやおらスピードを上げて、追いついて来た。

 ギョッとして、俺も全速力で走ったが、詩生はすぐに間近まで迫って来て、

 やがて学生服の背中を掴まれた。

 後ろからグッと引っ張られて、仕方なくスピードを緩め、足を止める。

 なんなんだよ。なんでそんなに速ぇんだよ。

 「ごめんなさい。僕、足だけは速くて」

 別に謝らなくてもいいのに、俺の前に回って、詩生が申し訳なさそうな口調で言う。

 どんな表情をしているのかは分からない。

 俺は、顔を上げることが出来ずに、俯いていた。

 なんで俺、こんなふうになってるんだろう。

 こんなの俺らしくなくてすごく嫌だけど、初めて失恋して、

 なんだか臆病になって自分に全く自信が持てなくなっていた。

 下に視線を落としたまま、

 「なんで雨ん中、来るんだよ。…ビショビショじゃんか」

 ぼそぼそ言うと、詩生の笑いを含んだ声が聞こえた。

 「鏡くんもだよ」

 そうして、その後、二人とも無言になる。

 話を聞いてと言った割りには、詩生は切り出すタイミングを計っているのか、

 何も言おうとせず、その間にも霧雨が髪や顔や学生服をどんどん濡らしていく。

 周りの全ての物を濡らす霧雨の、サーッと降る音を少しの間聞いた後、

 俺は、恐る恐るという感じで顔を上げた。

 すると、それを待っていたように、詩生が俺と目を合わせる。

 それから持っていた折りたたみ傘を開くと、俺に差しかけた。

 差しかけられたそれを、グイッと押し返す。

 「頼むから、優しくしないで欲しい」

 なんだか、自分がどんどん惨めになる気がした。

 俺とじっと視線を合わせていた詩生が、目を伏せ気味にして、

 「昨日は僕、あんまり急でビックリしたの」

 そう切り出して、俺は何が言いたいのかと、眉を寄せる。

 「だって、ただの友達なんだって思い込んでたから」

 詩生は言いながら、薄い笑みを浮かべた。

 その表情のまま、視線を下に落として地面を見ていたが、

 「でも、よく考えたら…」

 そのうち、顔を上げてまた俺と視線を合わせた。

 そして、ハッキリと告げる。

 「僕も鏡くんが好き」

 俺は、詩生の言った言葉の意味が、すぐには理解できなくて、

 「え…」

 彼の顔をじっと見た。

 今、詩生は「好き」と言ったのだろうか。…俺のことを?

 だけど、俺は昨日振られたはず…

 固まっている俺を、詩生が困ったように笑いながら見る。

 「鏡くん?聞いてる?」

 ちゃんと聞いていた。

 けど、頭が働かない。

 「…聞いてる。けど…俺、もう駄目なんじゃないの…?ひょっとして気を遣ってる…?」

 信じられないでいる俺に、詩生がちょっと笑って、でもすぐに真面目な口調になって言う。

 「僕、あれからずっと考えてみたんだけど…鏡くんの気持ちを断って、

 鏡くんが離れていくことを思ったら、すごく胸が苦しくなって、泣けてきそうになって…

 それで、気づいた。僕も鏡くんが好きだって」

 俺は、詩生の顔をひたすら見つめた。

 そうして黙って顔を見つめ続けていたら、彼は少し恥ずかしそうにして、

 「なんか言ってよ」

 と小さな声で呟いた。言われて言葉を探す。

 そして、口を突いて出た言葉は、

 「いいよ…。無理しなくて」

 だった。

 魂が抜けたようなぼんやり口調で、冴えない感じで…

 本当に俺は詩生のこととなると、すごくかっこ悪くなってしまう気がする。

 思えば、出会った日からそうだった。

 だけど他に言いようもない。

 詩生は真っ直ぐで綺麗な目で打ち明けてくれたけれど、

 それでも俺はやっぱり信じられなかったのだ。

 信じられない…というよりは、自分に自信を取り戻すことができなくて、

 容易には受け入れることができなくなっていた。

 詩生が首を横に振って、俺の腕を掴んで揺する。

 「無理なんてしてないっ」

 大声をあげる。

 「無理して言ってるわけじゃないっ。無理して言ったりしないっ。

 僕は、本当に…本当に鏡くんのことが好きなのにっ」

 詩生が必死に叫ぶように言って、それから眉を寄せた。

 彼の顔に、ひっきりなしに雨がかかっている。

 なんだか夢の中にいるようだった。

 これは俺の妄想で、俺がいいように自分でストーリーを作り上げているのだろうか。

 だって、こんな展開、都合が良すぎる。

 俺は、俺に差しかけられている傘を押して、詩生に差しかけた。

 「詩生…もう十分だから」

 俺が力なく笑うと、詩生が急に顔を寄せてきた。

 次の瞬間、柔らかな唇が自分の唇に当たる感触があって、俺はビックリした。

 あんまりビックリし過ぎて腰を抜かしそうになり、その場にしゃがみこむ。

 「し、詩生」

 口を手の甲で押さえて、焦りつつ詩生を見上げたら、

 彼がちょっと怒ったように見つめ返してくる。

 その表情を見て、そして、唇に残る感触を感じて、

 やっと、詩生の言ってることは本当で、現実なんだと実感した。

 本当に、本当に、俺は詩生を好きになってもいいんだ?

 「俺、諦めなくても…?」

 詩生の気持ちを窺うようにして聞くと、彼が怒ったような表情を崩して笑い、コクンと頷く。

 目が覚めた感じがした。

 喜びが湧き上がってきて、体中に溢れていく。

 これは現実で、俺は、詩生を、思いっきり好きになっても、いいんだ。

 詩生は、俺を受け入れてくれる。

 「詩生っ」

 立ち上がって、詩生の名前を叫んで、思わずきつく抱きしめると、彼の手から傘が落ちた。

 「詩生っ、大好きだ」

 かき抱くようにしながら言うと、詩生の手がそっと背中に回り、ギュッと抱きしめ返してくる。

 「僕も」

 詩生の控えめな返事が聞こえてきて、嬉しくて顔を上げて見つめ、今度は俺からキスをした。

 やっぱ、詩生、かわいい。

 こんなに愛しい人を、俺は、知らない。

 詩生を、俺はずっと大事にする。ずっと…

 雨の中、離れたくなくて、俺は詩生を、いつまでもいつまでも抱きしめ続けた。

 

 

 

 詩生と両想いになれた。

 詩生とキスをした。

 もうそれだけで、すごく幸せだったし、満足するべきなのかも知れないとも思った。

 …けど。

 そうなったらなったで、そのもっと先へ進みたくなるのが、恋をした人間の性で。

 

 俺は今日も、ネットでそれ系のサイトばかりを巡っていた。

 誰に聞くことも出来ず、一人で男同士のセックスについて調べては悶々とする。

 初めは「男同士のセックスって、どうすればいいんだ?」レベルだったのが、

 今では「いつそういう事態になっても大丈夫」レベルくらいにまでなっている。

 と言っても知識だけで、経験が全然伴っていないが。

 知識を頭に詰め込めば詰め込むほど、実践したくてたまらなくなるけれど、

 実際詩生を前にすると、何も出来なかった。

 実はあれから、もう何回かデートを重ねていたが、

 セックスはおろか、キスさえあの雨の中でして以来、一度もしていない。

 とにかく大事にしたくて、と言うと聞こえはいいが、

 本当の本当は拒絶される可能性を思って、それが怖かったりするのであって…

 自分、どんだけビビりなのかと、心から凹む。

 俺、恋愛以外ではこんなことないのに。

 前世でよっぽど苦い恋愛体験でもしているのだろうか。

 ……。

 それはともかく、たとえ怖かろうと、なるべく早くこの気持ちを伝えておかないと、

 俺はまた告白したときのように、突然抑え切れなくなって、

 暴走してしまうかも知れない。

 その方が確実に悲惨なことになるのは目に見えているので、俺は、次の日曜日、

 デートの後に、詩生に思い切って自分の気持ちを素直に話してみようと心に決めた。

 

 

 

 

 

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