第三話 大きな友達と小さな恋人4


 

 

 「このまま、戻らずにいることは出来ないの?」

 詩生が表情に不安の色を浮かべながら、真剣な口調で鏡太郎に聞く。

 「一緒に…生霊でもいいから、一緒にいて。ずっと。ずっと…」

 焦燥感を感じているらしい詩生に、鏡太郎が苦笑する。

 「そうしたいんだけど…。そういうわけにもいかないみたいなんだ。

 昨日もある程度時間が経ったら、勝手に戻ったし」

 その説明を聞いた詩生が、ガッカリした様子で、

 「こんなの…こんな形で一度だけ話せて終わりだなんて…また元通りだなんて…ひどいよ」

 そう言って項垂れた後、もう一度顔を上げて、縋るような表情で鏡太郎を見る。

 「鏡くん、絶対また会えるよねっ」

 「詩生…」

 肯定の答えを欲しがる詩生を、鏡太郎が困った顔をして見返す。

 言いたくなる気持ちが分かるだけに、僕は何も口を挟めずに、

 黙って二人の会話に耳を傾けていた。

 「詩生。大事な話があるんだ」

 鏡太郎が、ふいに話題を切り替えるようにして言い、僕は奴に目をやる。

 詩生も鏡太郎が何を言うかと奴の顔を見つめる。

 「これはもう、出入りが何度でも可能か、そうでないかに関わらず、

 前から決めてたことなんだけど…」

 鏡太郎はそこまで言って、僅かに迷うような気配を見せたが、

 でもすぐにその決意の固さを示すように、真剣な表情で、詩生の顔を見据えてハッキリと口にした。

 「詩生。俺たち、別れよう」

 それを聞いた詩生が動きを止めた。

 その横で、僕は呆然とする。

 まさか、鏡太郎がそんなことを言い出すとは思ってもみなかった。

 もちろん詩生も同じだろう。

 固まったまま、鏡太郎を見つめ続けている。

 やがて、動けずにいるようだった詩生の体が、ゆらりと揺れて傾(かし)いだ。

 僕は、倒れそうになった詩生の体を慌てて支えた。

 そうしてから、さすがに黙っていられなくて、

 「鏡太郎っ」

 思わず怒鳴る。

 非難するように奴を見れば、奴は、ベッドの上に横たわる本体に目をやって、

 諦めの表情で薄く笑った。

 「だって、仕方ないだろ。俺は、こんなんで詩生を守れないし、詩生を泣かせてばっかだから…」

 そう言って、鏡太郎は、もう一度視線をこちらに向ける。

 「俺は、いつ目覚めるのか、ヤバくなるかも分からない。詩生と何かを約束することさえ出来ないんだ」

 それから目を伏せ気味にして、視線を床に落とした。

 「詩生には、幸せになって欲しい」

 言外に「自分ではない人と」という臭いを漂わせた言い方に、詩生が首を横に振る。

 壊れてしまったように首を振り続ける詩生の瞳から、また大粒の涙がこぼれ始める。

 そんな詩生を見て、僕は、鏡太郎を睨んだ。

 「鏡太郎。お前、言ったよな。俺と詩生がデキたりするのは嫌だって。

 だったら諦めんなよ。なんで、今になってそんなこと言うんだよ」

 僕は言ったが、奴は、視線を合わせようとしない。

 そんな鏡太郎に、憤りを感じ、

 「他の誰かと幸せになれ、みたいな、いい人みたいな、お前らしくないこと、

 なんで言ってんだよっ」

 次第に感情が高ぶってきて、僕が思わずキツい口調になって言うと、

 鏡太郎が目を逸らしたまま、ぼそっと呟く。

 「しょうがないじゃないか。詩生に幸せになって欲しいのは、本当なんだから。

 …俺がそうしてやれないなら…」

 その、奴らしくない弱気な言葉に、ムカついた。

 さらに大きな声をあげる。

 「そうしてやれないって、なんで決めつけんだよっ。

 さっさと良くなって、お前が幸せにしてやりゃいいだろうがっ」

 すると、向こうもカッとなったのか、顔を上げて僕を見ると、

 普段から優しげとは言い難いその目を吊り上げて、同じような口調で言い返してきた。

 「出来るもんなら、そうしてるだろっ!!出来ねぇから、言ってんだっ!!」

 ちょっと怖いと感じられるくらいの目つきだったが、でも、怯むわけにいかない。

 僕は、二人が別れるなんて、大反対だ。

 「まだ、どうなるか分からないことに、負けてんじゃねぇよっ!

 詩生が頑張ってここまでついて来てんのに、お前がそんなんでどうすんだよっ!」

 僕の言葉を聞いて、鏡太郎が怒りの形相で僕に近づき、胸倉を掴んだ。

 小さい体の筈なのに、それを忘れるくらいの、ものすごい気迫を感じさせて迫ってくる。

 「お前に何が分かんだよっ!!俺の身になってみたこともねぇくせにっ!!」

 鏡太郎が怒鳴って、殴られるかも知れない、と僕が思ったその時。

 「もうやめて」

 小さな声が聞こえた。

 僕の腕に支えられて立っている、詩生の発した、悲しげで静かな声だった。

 鏡太郎の動きがピタリと止まり、その視線がゆっくりと俺から詩生へ移る。

 奴が詩生を見つめると、詩生が、涙に濡れた青ざめた顔で見返して、

 「鏡くん」

 静かに呼びかける。

 「僕、どれだけだって待てるよ。だから…」

 そこまで言って、詩生の体が、小さく震えた。

 「好きだった、って、僕を過去形にしないで」

 怯えるような詩生の言葉に、鏡太郎の顔から一切の表情が消える。

 それから奴は、おもむろに僕の胸倉を掴んでいた手を離し、また視線を下に向けて、俯いた。

 僕と詩生から顔を背け、後ろを向く。

 そのまま、しばらく何かに耐えるようにした後、観念したように息を吐き、上を向いた。

 奴が手を口に持って行き、

 「やっぱ駄目だ。詩生を突き放す覚悟でいたのに…」

 震える声で言うのが聞こえる。

 それから、こちらを振り返り、詩生に近づくと、腕を伸ばし、彼を抱きしめた。

 「ごめん…詩生。詩生が好きだ。諦めるなんて…出来ない」

 鏡太郎が苦しそうに口にしたその言葉に、詩生が嗚咽を漏らし、

 やがて大声をあげて号泣し始めて、思わず僕までもらい泣きしそうになった。

 抱きしめられた詩生が、泣きながら腕を鏡太郎の背中に回し、お互いに強く抱きしめ合う。

 その姿に、僕は、なんとも切ない気持ちになった。

 こんなに想い合っているのに、どうして別れを切り出さなきゃならないんだろう。

 なんでこんな状況になっているのだろう。

 選りによって何故、僕の友達である鏡太郎の身に、不幸が降りかかったのだろう。

 それが『運命』なんていうものだとしたら。

 そんなもの、糞食らえだ。

 この二人が別れるなんて、少なくとも僕の中では、あり得ない。

 例えこの先に悲しい出来事が待っていたとしても、いや、待ってなどいないと信じているけれど、

 もし、そうだったとしても、二人は、今、ここで別れるべきじゃない、と本当に強く思うし、

 鏡太郎が思い直してくれたことに、僕は心から良かったと思う。

 運命になど、負けてやらなくていい。

 「鏡太郎」

 詩生が少し落ち着いた頃合いを見計らって、僕は鏡太郎に呼びかけた。

 奴が顔を上げる。

 「絶対目を覚ませ。戻ってこい」

 僕は鏡太郎と目を合わせ、言い聞かせるようにそう口にした。

 奴が、僕を見つめ返す。

 「分かったな」

 念を押すように言うと、そのままじっと僕を見つめた後、無言で頷いた。

 「それと…お前の力のこと、詩生に教えるから」

 それを聞いて、奴は驚いた顔をした後、こっちを睨むようにして見て来た。

 まるで脅されているような、強い視線を向けられて、思わず気が引けそうになる。

 でも。

 僕は、そうした方がいいと思った自分の感覚を信じて、翻すことはしなかった。

 「例え、絶交されても。俺は、言う」

 固い決意を持って、同じように強い視線を返す。

 鏡太郎の気持ちを覆させたのは、ほとんどは詩生の言葉のおかげだろう。

 でも、僕も、あんな風に絡んだからには、無責任でいるわけにいかない。

 あんなに熱くなって別れることに反対してしまった。

 今日、別れを選んでおけば良かったと思う未来も、100パーセントないとは言い切れないし、

 それに、突き詰めれば、これは二人の問題であって、僕は外野に他ならない。

 …それでも。

 これからも僕に出来ることがあるなら、余計なお世話と思われようと、僕はそれをする。

 なんのことか分からない詩生が、訝しげに僕たちを交互に見たが、

 ただならぬ雰囲気に、なにか言葉を口にすることはなかった。

 『もう生霊として出てこられなくなるんだとしたら、尚更その方がいいと思う。

 ただただ待ち続ける詩生の気持ち、考えてみろよ』

 僕は、心で話しかけてみたが、返事はなかった。

 構わず、確信を持ってさらに続ける。

 『詩生は、絶対気持ち悪がったりしないよ』

 数秒の間そうして見合った後、僕を睨んでいた鏡太郎の視線の力が緩んで、

 奴がふいっと顔を背けた。

 「…勝手にしろ」

 投げやりにも聞こえる言葉だったが、それは了承に近い響きを含んでいた。

 緊張が解けて、僕が肩に入っていた力を抜くと、

 「あの…」

 会話の流れに耳を傾けていた詩生が、もう一度僕と鏡太郎に視線を向けてから、

 僕に向かって問いかける。

 「聞いてもいい?何の話?」

 遠慮がちに尋ねてきた詩生に、

 僕が、説明するならどう説明するのが一番だろうかと考えつつ口を開こうとした、その矢先、

 「待った」

 鏡太郎が割って入ってきた。

 「やっぱ俺が自分で言う」

 「え…ほんとに?」

 僕が驚いて奴の顔を見ると、「ああ」とハッキリ返事をして頷く。

 僕が言うよりは、鏡太郎が自分で言った方がいい気はしたが、なにしろ奴は、

 自分の力のことを他人に打ち明けるのを、他人に知られるのを、物凄く恐れている。

 詩生が、少し不思議そうな表情で鏡太郎の方を見て、

 僕は大丈夫だろうかと心配になりながら成り行きを見守った。

 ちょっと強張った表情をした鏡太郎が、自分を落ち着かせるようにして一息ついてから瞳を上げ、

 「詩生」

 と呼びかけた。

 その空気が伝染した感じで、詩生が改まった様子で背筋を伸ばして

 「はい」と答え、鏡太郎が薄く苦笑いを浮かべる。

 そうして、切り出した。

 「こんなことが出来るなんて知ったら、気持ち悪がるかも知れないと思って、

 今まで黙ってたけど…」

 そう言った後、ちょっとだけ躊躇するような気配が見えたが、でもすぐに続ける。

 「俺、テレパシーが使えるんだ」

 「え」

 それを聞いて、詩生が、驚いた顔をした。

 「テレパシー?」

 「…うん。つまり…声を出さなくても、詩生の頭に直接話しかけて、会話が出来る」

 そう言われて、詩生は眉を寄せた。

 意味が掴みきれないという表情だ。

 そりゃそうだ、と思う。

 あれは、実際に体験してみなければ分からない。

 鏡太郎が、チラッとこっちを見た。それで、僕は頷く。

 考えていることは、一緒だろう。

 「やってみるから」

 鏡太郎が、そう言い置いて、詩生を見つめた。

 次の瞬間、詩生の表情が、変わる。

 大丈夫だと信じてはいるけれど、心から願う。

 頼むから、受け入れて欲しい。

 「鏡くん、え…」

 詩生が鏡太郎の口元に目をやり、動いていないのを確認して、声を漏らした。

 目をパチパチさせる。

 「これは…どうして、こんなことが…?」

 詩生が戸惑い気味に、途切れ途切れに言葉を発し、

 「分からないけど…小さい頃から、出来たんだ」

 鏡太郎が説明すると、詩生は、呆気に取られた顔で鏡太郎を見た。

 「鏡くんの…力…なの?」

 「ああ…そうらしい」

 鏡太郎の答えに、詩生は口を噤んで、何か考えるようにする。

 そんな詩生に向かって、

 「…驚いたよな。黙っててゴメン」

 自嘲するように鏡太郎が呟く。

 「今まで言えなかった。もし詩生に気持ち悪いと思われたら…嫌だから…。

 詩生にそう思われるくらいなら、俺…」

 そこで、一度言葉を切ってから、辛そうに絞り出すように、続ける。

 「死んだ方がましだと思ったから」

 その言葉に、詩生が、「鏡くん…」と呟いて、眉を寄せた。

 「ビックリはしたけど、気持ち悪いなんて思わない」

 首を横に振りつつ否定の言葉を告げると、

 「ただ…」

 僕に視線を向ける。

 「真樹君は知ってたんだよね」

 なんだか責めるような目で見られて、ドキッとし、

 「え、ああ、まあ」

 少し焦りつつ頷くと、詩生が、

 「僕だけ知らなかったんだ」

 ちょっと拗ねたように言って、僕は、後ろめたいような気持ちになり、

 小さく「…ごめん」と付け加えた。

 とりあえず、受け入れてもらえたらしいことを悟って、

 「詩生…」

 鏡太郎の顔に嬉しそうな色が浮かんだ。

 「言えなくて、ゴメン。何度か話しかけようと思ったこともあったんだけど…嫌だったんだ。

 話しかけたところで、体は動かせない。なんか惨めだろ。

 …そんな気持ちもあって、今までどうしても言えなかった」

 詩生がそれを聞いて、再び首を振る。

 「そんな…そんなことないよ。そんなふうに思ったりしないから、なんでも言ってよ」

 言いながら、慈しむように見る詩生を、愛しげに見返した鏡太郎が、

 ふいに何かに気づいた体で視線を下に落とし、ちょっとだけ落胆した表情で呟いた。

 「どうやら時間みたいだ」

 え…。

 鏡太郎の言葉に、奴の視線を辿って足元を見ると、確かに少し透けて来ている。

 もう?

 僕は眉を顰めた。

 「もう、戻らないといけないのか?」

 「そうみたいだな」

 鏡太郎が、仕方ないと言いたげに苦笑して、それから詩生と向き合い、

 「詩生」

 優しく彼の名前を呼んだ。

 彼をまっすぐ見つめながら言う。

 「弱そうに見えて、いつも俺のことしっかり受け止めてくれる詩生が好きだ。

 ずっと、今も、これからも。俺の中に、ちゃんと、詩生はいるから」

 鏡太郎の言葉に、詩生が少し笑みを浮かべて「うん」と頷く。

 「それから…俺、チキン食べてる時の幸せそうな詩生を見るのが大好きだ。

 良くなったら、クリスマス、一緒に過ごそう。約束だったよな」

 続く鏡太郎の言葉に、詩生がちょっと驚いたようにして、

 そのあと瞳を潤ませて、嬉しそうに「うん」と再び頷いた。

 「それから…」

 鏡太郎が、暖かく包むような眼差しを詩生に向ける。

 「愛してる」

 そう口にして、笑うと、詩生が潤んだ瞳のまま、頷いた。

 「僕も」

 同じように笑みを浮かべ、

 「僕も愛してる」

 応えるその頬の上を、涙がポロリと転がり落ち、

 それを見た鏡太郎が、手を伸ばして親指の腹で涙の痕を拭う。

 そのあと、奴は詩生に顔を近づけると、自分の額を詩生の額に寄せて合わせ、目を閉じた。

 詩生も、同様に目を閉じる。

 どんどん鏡太郎の姿が薄らいでいっている。

 奴が手を差し伸べ、詩生の手を握る。

 繋いだ手と手。

 その片方が、質感を失いながら、ゆっくりと消えていく。ゆっくりと―。

 やがてそれは、完全に消え去り、存在を失くした。

 その行方を探るような詩生の手だけが残る。

 不安げな彼が、

 「鏡くん…」

 小さく囁いた後、目を開けて、ベッドの鏡太郎へと視線を向けた。

 そのすぐ後に、体をピクッと揺らす。

 そして、まるでヘッドホンをつけるかのような仕草で、両耳の横に手を持って行った。

 彼が瞳を上げて、

 「真樹君」

 僕を振り返る。

 「鏡くんの声が聞こえる」

 詩生の表情に笑みが浮かぶ。

 僕が大きく頷くと、

 「嬉しい…鏡くんが生きてるって、すごく感じる」

 詩生が言って、視線を鏡太郎に戻す。

 さんざん泣いた彼だったけど、その目にもう涙はなく、

 「僕、本当に、いつまでだって待てるよ」

 そう言うと、赤くなっている目元を、嬉しそうに綻ばせた。

 

 

                第三話「大きな友達と小さな恋人」          了

 

 

 

 

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