鬼と狼(ウルフ)と少年と4 前編


 

 一日の仕事を終え、自分の部屋で過ごしていたら、天井裏で何やらガタガタと音がした。

 見上げると、双子の吸血コウモリ、フェスターとフェレスが天井の一画から顔をのぞかせている。

 この邸は、各部屋が天井裏で繋がっているようで、こいつらは自由に行き来して、

 たまにこうして俺の部屋にも現れたりするのだ。

 「なんだよ」

 問いかけると、二匹は部屋の中を見回してから、首を傾げた。

 「ロッシュ、いない」

 フェスターが、不思議そうに呟く。

 それを聞いて、苦笑した。

 「ロッシュがいるわけないだろ。ここは俺の部屋なんだから」

 部屋を間違えているのか、それともまたからかいに来たのかと思ってそう言うと、

 フェレスが聞いてくる。

 「ロッシュ、どこ?」

 「知らねぇよ。なんで俺がロッシュの居場所を…」

 そこまで言いかけて、二匹がそわそわしているのに気づいた。

 それに、困っている表情だ。どうも真剣にロッシュを探しているらしい。

 「なんだ、マジに探してるのか。その辺にいないのか?」

 それが分かって、俺もロッシュが行きそうな場所を一緒に考えてみた。

 行きそうな場所ったって、邸の中だったら知れている。

 考えているうちに、いつだったか、ロッシュがバルコニーで、

 身を乗り出すようにして空を見上げていたのを思い出した。

 それで、

 「もしかすると、二階のバルコニーにいるかも知れない」

 二匹に目をやってそう言うと、それを聞いた二匹は、半信半疑という目で俺を見返しつつも、

 慌ただしくバサバサと窓から飛び去って行った。

 確か、もうそろそろ満月の筈だ。

 俺は、出て行った二匹に導かれるようにして、窓際に寄り、外を見た。

 銀色の毛並をなびかせて、ロッシュが月に照らされていた情景を覚えている。

 彼の、獣を思わせるしなやかな姿に、あの時、俺はなんだか魅せられてしまい、視線が釘づけになった。

 気づいたロッシュが振り返り、見惚れていたことを知られるのが気恥ずかしかった俺が、

 「何してんだよ」

 それをごまかすように声をかけると、ロッシュは、

 「月光浴をしているんだ」

 と教えてくれた。

 月の光を浴びると、体中に力がみなぎってくる感じがして気持ちがいいのだそうだ。

 多分今日もそうなのだろう。

 今朝見たロッシュは、濃い被毛に包まれて、かなりワイルドな見た目になっていた。

 

 俺は、手すりにもたれて空を見上げた。

 満月ではないが、ほとんど満月と呼んでもおかしくないくらいの、丸く明るい月が出ている。

 それを見ながら、ロッシュの姿を思い浮かべたら、同時に、アシュレイの姿も頭に思い浮かんだ。

 

 あれから。

 儀式の時、俺がイった後でアシュレイに部屋に入ってもらうという方法を試してみた。

 でも、どうもかえって彼を不機嫌、と言うか惨めにさせてしまっている気がする。

 …当然と言えば、当然だ。

 だって、根本的には何も変わっちゃいない。

 きっかけは、やっぱり伯爵が遊び過ぎるせいだったんじゃないかと俺は推測するのだけど、

 今となっては、もう二人が交わる行為自体に、アシュレイは嫌悪を抱いてしまっている。

 少しくらいやり方を変えたところで、

 俺が、アシュレイの好きな伯爵とヤっているってことに、何の変りもない。

 そして、その儀式の日の後くらいから、アシュレイは、俺と口をきかなくなってしまった。

 声をかけても、黙ったまま、ふらっとその場を立ち去ってしまう。

 

 俺の血もずっと飲んでいない。

 しかも、誰の血も飲んでいないのか、ひどい顔色で邸内を歩いている。

 そんなふうなので、会ったときには、

 「アシュ…飲まなくていいのか?」

 と、つい聞いてしまうのだが、彼はまるで俺なんか見えないみたいに、シカトして脇を通り過ぎる。

 「……」

 いったいアシュレイは、いつまであの態度を続けるつもりだろう。

 彼が暗いと、邸内の雰囲気も沈む。

 それに、あのままでは体がもたないんじゃないだろうか。

 

 俺は、ふーっと息を吐いた。

 考えても、何もいい案を思いつけずに、

 「どうすりゃいいんだよ」

 口に出して呟いたら、伯爵の例の言葉、

 『お前、ロッシュとヤらないか?』

 が頭をよぎって、かあっと顔が熱くなった。

 慌ててそれをかき消す。

 「ヤ、ヤらないっつの」

 そんなに簡単にヤれるんだったら、こんなに悩んだりしない。

 なにより、ロッシュの気持ちも分からないのに、どうやってヤれと言うのか。

 俺の気持ちは、もうみんなが知っていて、多分、ロッシュだって知っている。

 思い切って、本人に聞けばいいのかも知れないけど、でもいまさらロッシュに面と向かって、

 俺のことをどう思っているか、なんてこと、とても聞けそうにない。

 キスをしてくれたってことは、ちょっとは好きでいてくれるんだろうか。

 だけど、あれは伯爵がしろと言ったから、しただけとも思えるし。

 儀式の最中だったし…

 「……」

 それに、想いがあるとかないとか関係なしに、ロッシュとのそのことについて考えると、

 それだけでムチャクチャ恥ずかしくてしょうがなくなる。

 伯爵は、俺がロッシュとヤって、とにかく精液を提供してくれればそれでいい、

 みたいに簡単に考えてるようだけど、俺にとってはもちろん、そんなに単純な話じゃない。

 伯爵に抱かれていたのは、儀式だと割り切っていたからで、好きという感情もなかった。

 だけど、ロッシュとは、そうじゃない。

 俺はロッシュが好きだし、好きな人とのセックスって初めてだし…

 なにしろ、考えるだけで恥ずかしくってたまらなくなって、自信もなくなる。

 こんなんで、ロッシュと出来るわけがない。

 そして、それだって、やっぱりロッシュの気持ちがなければ出来ないことだし…

 思考が堂々巡りを繰り返し、解決できそうにないこの問題に、

 「はああ…」

 深い溜息が出る。

 アシュレイと、気まずくなんかなりたくないのに。

 そう思いながら、月をじっと見た。

 頭上で輝くそれは、綺麗ではあるけれど、別に照らされたからって、力がみなぎってくる感じはしない。

 そう考えてから、ちょっと笑う。

 当たり前か。人間なんだから。

 

 それにしても、月光でパワーを得られるなんて、不思議な体だよなぁ。

 なんだか羨ましい気もする。

 本当にバルコニーにいたのか、それとも他の場所で見つかったのか、

 その夜、コウモリ達が再び俺の部屋にやって来ることはなかった。

 

 

 「ロッシュ、もう仕事に行くとき、ついて来なくていいよ」

 翌日。

 ウリの仕事が入って、いつものように同行しようとしたロッシュに、俺は言った。

 それを聞いた彼が、驚いた顔をする。

 「どうして」

 「ん…なんとなく。ロッシュも忙しいだろ?」

 そう説明したが、納得出来ないらしく、怪訝な表情をして俺を見た。

 「でも、足がないだろう。どうやって行くんだ?」

 「車拾うよ」

 「今日の相手の家は、結構遠いぞ。それに、帰りはどうするんだよ」

 「…だから、車呼んでもらう」

 具体的なことなど考えていなかった俺が、思い浮かんだままに歯切れ悪くそう口にすると、

 ロッシュは、少し考え込むようにしてから、首を横に振った。

 「その場で商談をし直すときもあるし、金の絡むことだから、やっぱり一人では行かせられない。

 今日は他にこれといって用事もないし、俺は全然構わない」

 ロッシュにキッパリと言われてしまい、それ以上彼を説得出来そうにもなくて、口を噤む。

 妙にロッシュを意識してしまっていた。

 いまさら、ウリの現場に彼に来て欲しくないなんて、おかしなことを言っていると、自分でも思う。

 でも、言わずにいられなかった。

 仕方なく、いつもと同じようにロッシュと一緒に出かけ、いつもと同じように、仕事をこなす。

 

 

 仕事が終わると、客の家を出て、車の置いてある場所までロッシュと歩いた。

 ロッシュから少し離れて歩きながら、彼の揺れる手を見つめる。

 繋いでみたいと思いつつも、繋ぐことが出来ず、

 本当に繋ぐことを考えると、恥ずかしくてたまらなくなる右手。

 それを見ながら、俺は自分の、今仕事をしてきたばかりの手に意識をやった。

 仕事だと割り切れば、手を繋ぐことなど簡単なのに。

 

 ……。

 なんだって俺は、こんなにロッシュのことばっか考えてるんだろう。

 「伯爵のせいだ」

 恨みがましく小さく呟いたら、歩く俺の横に、黒い車が添うように静かに近づいてきた。

 窓越しには中が見えない仕様になっている。

 なんだ?

 と思うのと同時に、窓が開いて、後部座席の奥側に座っていたおっさんが話しかけてきた。

 「イアン君、久しぶりだね」

 見たことのある顔だった。口にした台詞もよみがえる。

 『君は色が白くて目が大きいね。お人形さんのようだ』

 そこにいたのは、俺に女装三点セットを身につけさせた、あの偽おにいちゃんだった。

 何の用かと訝しく思いながら見つめると、おっさんは、嬉しそうに、

 「今日も、かわいいよ」

 と言った後、ニッと何かを企んでいる笑みを浮かべた。

 車が停止してドアが開き、黒眼鏡をかけた、用心棒らしいガタイのいい男が出てくる。

 俺は不穏な気配を感じて身を引いたが、男に素早い動きで腕を掴まれてしまった。

 ハッとして相手の顔を見上げるのと同時に、ロッシュが二人の間に割って入り、

 「何の用だ?」

 俺の手を掴む男の手を払って、尋ねる。

 その問いに、男は何も答えないままロッシュに目をやると、いきなりロッシュに殴りかかった。

 ロッシュが、それをギリギリでかわして、男に向かってパンチを繰り出し返す。

 彼の拳は男の頬にヒットし、男がふらついて後ろに下がる。

 でも、すぐに体勢を立て直し、男はロッシュに掴みかかっていった。

 そのまま殴り合いになって、俺は見ていてハラハラした。

 ロッシュがけんかが強いなんて聞いたことがなかったし、見るからに温厚そうで、

 ボコボコにやられるんじゃないかと思ったのだ。

 俺も加勢しようかと思って、何か殴るものでもないかと探したが周りには何もない。

 ちょっと焦ったが、でも、心配したほどロッシュは弱くなくて、いい勝負をしている。

 どころか、見ているうちに、だんだん優勢になってきた。

 そして、押され気味の男が、悔し紛れに、

 「この犬畜生がっ!」

 と喚いたのを境に、ロッシュの目つきが変わった。

 ガツッと痛そうな音がし、ひときわ重そうなパンチが入って、

 黒眼鏡の男が低い呻き声をあげた後、地面に倒れこむ。

 そのまま動かなくなった。

 「すげ…」

 思わず感心したようにそう呟いてから、俺はロッシュに駆け寄ろうとした。

 すると、後ろから腕を掴まれ、引き止められる。

 「動くな」

 おっさんの声がして、後頭部に何か固い物をグッと押し付けられるのを感じ、俺は動きを止めた。

 いつの間に車から降りたのか、おっさんは俺の後ろに立っていて、

 後ろから俺を引き寄せて、首に腕を回した。

 「こんなことして…どうなるか分かってんのか?」

 後ろを振り返りつつ聞くと、

 「動くなと言っただろう。頭に穴が開いてもいいのか?」

 おっさんは、優位に立つ者の声色でそう返した。

 さすがに、あの時のふざけた感じは、今はない。

 きっぱり断ったのに、俺のどこがいいのか、まだ諦めていなかったらしい。

 どうやら本気で拉致る気でいる。

 前かがみになり膝に手をついて呼吸を荒げていたロッシュが、

 唇の血を手の甲で拭って体を起こし、顔を上げてこちらを見た。

 おっさんが、ロッシュに向かって大声をあげる。

 「まさか、そいつを伸(の)すとはな。健闘したことは認めてやる」

 偉そうに言ってから、

 「だが、残念だったな」

 ニッと笑って、俺の頭に突き付けた拳銃を見せつけるようにしながら、目的を告げた。

 「こいつはいただいていく」

 その態度に、ロッシュが血走った目で、こちらを睨んでくる。

 ものすごい形相で睨んできて、その噛み殺されそうな雰囲気に、おっさんがちょっと怯んだ様子を見せた。

 「ち、近づくなよ。近づいたら撃つからな」

 言葉に合わせて、改めて俺の頭に銃口が押し付け直され、俺は思わず目を閉じる。

 それから、目を開けると、ロッシュと視線を合わせて、小さく首を横に振った。

 助けなくていい。

 おっさんの目的は俺だ。

 二人が抵抗しなければ、多分、おっさんは発砲しない。

 俺を攫って、どうする気かなんて考えたくもないけど、

 発砲に寄って二人に何かが起こるよりは、その方がまだましな気がした。

 なのに。

 あろうことか、ロッシュは俺たちの方へと足を踏み出して来た。

 「お、お前っ」

 おっさんが、慌てて銃口をロッシュに向ける。

 でも、ロッシュは足を止めることなく、近づいてくる。

 ビビッて焦ったおっさんの、引き金にかかった指に力がこもるのを感じて、

 俺は咄嗟に、その腕を掴んで下に向けた。

 パンッと乾いた破裂音が響いて、地面に向かって弾が発射される。

 その瞬間、小走りで近づいていたロッシュが、まるで本当の狼のように、

 地面を踏み切り、おっさんに飛びかかった。

 おっさんとロッシュが、ゴロゴロと地面を転がる。

 おっさんはロッシュに喉笛に噛みつかれ、首元を次第に赤く染めながらも、拳銃を離さず、

 二人はそれを奪い合っているようだったが、動きが激しくてどうなっているのか、よく分からない。

 しばらく揉み合ううちに、再びパンッと銃声が鳴って、二人の動きが止まった。

 俺が、身じろぎもせず立ち尽くしていると、そのうち、おっさんがゴソゴソと動き出して、

 自分の喉に噛みついたまま固まっているロッシュを押し離した。

 ロッシュが、力なくゴロリと転がる。

 おっさんが地面に仰向けになって、

 「ふ…ふはは…」

 血塗れの喉仏を上下させて笑い、その後、気を失ったのか静かになった。

 ロッシュを見ると、彼の服の、左脇腹辺りが赤く染まっている。

 撃たれたのは、ロッシュだった。

 「ロッシュ…」

 そろそろと近づき、呼びかけるが、返事がない。

 目を閉じてぐったりと横たわっている。

 目の前で起こっていることが、夢の中の出来事のようで、信じられなかった。

 「ロッシュ?」

 もう一度呼びかけながら、彼の脇にしゃがんで、体を揺する。

 「嘘だろ…?」

 揺すり続けるけれど、何の反応も返って来ない。

 「なんで、こんなことになってんだよ」

 ロッシュがこうなる必要なんて、これっぽっちもなかった。

 俺がいなくなったって、伯爵がまた俺のような子供を連れてくれば、それで事足りたのに…

 それに。

 「俺…まだ、好きだって言ってない」

 そう口に出したら、泣けてきた。

 涙が、頬を零れ落ちる。

 それは、次から次へと溢れてきて、ロッシュの顔の上に落ち、彼の頬を濡らした。

 泣きながら、濡れたロッシュの顔を見る。

 と、ふとある変化に気づいて、

 「……あれ…?」

 俺は急いで涙を拭って、もう一度じっとロッシュの顔を見直した。

 さっき黒眼鏡に殴られて腫れていた箇所の、腫れが引いている。

 殴られた痕が綺麗に…というか、どんどん治って来てる気がする。

 唇も切れてるみたいだった。のに、その痕もなくなった。

 そして、ふいに金属質なものが落ちた音がして、どうもロッシュのシャツの下から聞こえたようなので、

 恐る恐るめくってみたら、撃たれたと思しき場所の皮膚は塞がっていて、近くに銃弾が転がっていた。

 「……」

 もしかして。

 俺は、予感がして、

 「ロッシュ!!」

 大声で名前を呼び、彼の肩を激しく揺さぶった。

 すると、

 「ん…」

 ロッシュの眉間にしわが寄り、声が漏れる。

 生きてるっ!!

 それが分かったら、嬉しくて、今度は嬉し涙が出た。

 「ロッシュ!ロッシュ!」

 さらに呼びかけると、ロッシュの目が開いて、

 「ん…、ああ、イアン…無事か?」

 開口一番、俺の安否を尋ねてくる彼に思わず抱きつく。

 かじりつくように首に手を回したら、ロッシュは少し驚いたようだったが、

 そのうち、俺の背中に手を回し、そっと抱きしめ返した。

 

 

 誰かが通報したらしく、ほどなくして警察が現れた。

 あと救急車もやって来て、おっさんが運ばれていく。

 俺とロッシュは、警察で事情聴取を受けたが、やがて解放された。

 建物を出て、ロッシュと歩く。

 ロッシュは撃たれたなんて嘘みたいに、いつもと変わらない様子で歩いている。

 

 そう言えば、昔伯爵にちらっと聞いたことがある。

 「狼男は、満月の頃には、ほとんど不死身と言っていいくらいまで生命力が高まって、

 ちょっとやそっとじゃくたばらないらしい」

 聞いたことはあったが、聞いたのはずっと前だったし、

 それを実証するような出来事に今まで出くわしたことがなくて、もう忘れてしまっていた。

 今回のことで、ロッシュが『その』狼男だったと、改めて認識している。

 あのとき伯爵が話に乗じて、

 「私も滅多なことではくたばらないがな」

 とかなんとか、自分の強さを誇示していたような気がするが、伯爵が強い話はどうでもいい。

 知ってるし、イメージにギャップもない。

 

 でも、ロッシュについては、想像もしていなかった分、インパクトも強くて、俺はとても驚いている。

 パンチも相当重そうだったし、撃たれても大丈夫とかって、信じられない。

 確かに満月が近づくと、いつも毛艶が良くなって、イキイキとして元気になっている感じはしていた。

 でも、そこまで体が変化しているとは思わなかった。

 「…それにしたって強すぎだろ。すげぇな…狼男」

 俺がポツリと呟くと、ロッシュが苦笑する。

 「期間限定だけどな。新月の頃には、笑えるくらい弱くなってる」

 それを聞いて、

 「そうなんだ」

 俺も笑うと、ロッシュが、横からじっと見つめて来て、

 俺はさっき自分から彼に抱きついてしまったのを思い出した。

 「なんだよ」

 顔が熱くなるのを感じながら、目を逸らすと、

 「今日が、満月で良かった。イアンを守れた」

 ロッシュが満足そうに言う。

 俺は、照れ臭くなって何も返さず、俯き加減で歩いていたが、

 ちょっと気になったので、顔を上げずに聞いてみた。

 「今日が、新月だったら、どうしたんだよ」

 「新月でも、同じようにしたさ」

 間を置くことなくロッシュが答えて、俺の頭の中に、生命力も回復力も弱いままに、

 そのまま息絶えてしまうロッシュが思い浮かんだ。

 そうしたら、なんだかムチャクチャ悲しくなった。

 「俺を守って死ぬとか、…嫌だからな」

 そんなくらいなら、助けなくて構わない。

 俺が呟くと、ロッシュが無言で横からスッと手を伸ばし、俺の手を握ってきた。

 びっくりして顔を上げ、

 「な、何すんだよっ」

 思わず非難するように大声で喚くと、俺の顔を見返して、ロッシュが聞く。

 「嫌か?」

 う。

 俺の気持ちを窺うように聞かれて、言葉に詰まる。

 ロッシュの手と俺の手が繋がっている。

 どれほど、こうなりたいと思っただろう。

 だけど、すごく嬉しいのに、すごく恥ずかしくて、

 どんな顔をしていいのか分からず、俺は思わず目を瞑った。

 つい、彼の手を振り払いそうになるが、ギュッと握られていて、それは出来なかった。

 かあっと顔が熱くなる。

 「い、嫌じゃ、ない」

 観念するように本音を告げると、言えたことで気が楽になったからなのか、自然に手から力が抜けた。

 

 短い距離だったが手を繋いだまま歩き、車が停めてある場所に着くと、手が離れ二人して車に乗り込んだ。

 車中では何も話さず、お互いに黙ったまま邸へ帰り、俺が自分の部屋へ行こうとしたら、

 ロッシュが、その前に彼の部屋に寄るように言った。

 ちょっとドキッとする。

 「なんで」

 と聞いたら、

 「話があるから」

 と返して来て、拒む理由もない俺は、ロッシュについて、彼の部屋へと行った。

 「かけて」

 部屋の中の椅子を指さしてロッシュが言い、言われるままに腰かける。

 ロッシュは、血に汚れて穴もあいてしまったシャツを脱いで、別の服に着替えた。

 それが終わると、俺の向かいに置かれた椅子に座る。

 そして、少し躊躇するような様子を見せた後、意を決したという感じで、話し出した。

 「昨夜、伯爵に呼ばれて話をしたんだが…アシュレイが、かなりまずい状態らしい。

 その、意地になってるらしくて」

 ロッシュが、青い瞳に憂いと困惑の色を浮かべて眉を寄せ、俺は昨夜のコウモリ達の様子を思いだす。

 やけにそわそわして落ち着かない感じだったけど、そのせいだったんだ。

 アシュレイのことが大好きな二匹の気持ちを考えると、納得がいった。

 「知ってるよ。アシュが意地を張って、すごい顔色でフラフラ歩いてるのは」

 俺がそう口にすると、ロッシュはちょっと笑って、でも一瞬後には真面目な顔になって続けた。

 「それで、伯爵に頼まれた。その…イアンを抱いてやってくれないかと」

 それを聞いて、俺は驚いてロッシュを見つめる。

 ロッシュの口から、それを聞くとは思わなかった。

 伯爵の奴、言わないかと思っていたのに…言ったんだ。

 よっぽど切羽詰っているらしいと感じるのと同時に、俺はさっきのロッシュの態度を思い出す。

 そして、彼の取った行動の真意が分かった気がして、ロッシュを見つめたまま呟いた。

 「…伯爵に頼まれたから、手を繋いだりしたのか?」

 言いながら、気持ちがゆっくりと沈んでいくのを感じる。

 俺の言葉に、今度はロッシュが驚いた顔をした。

 「え…」

 「手を繋いだのは、伯爵に頼まれたからだったんだ?俺を抱かないといけなくなったから」

 気落ちした様子の俺を見て、

 「違う。イアン、そうじゃない」

 ロッシュが慌てたようにする。

 「何が違うんだよ。どうりで…今までそんな素振り、見せたこともなかったのに、おかしいと思った」

 笑うつもりが、泣きそうになって、奥歯にグッと力を込めた。

 手を繋がれて、喜んで、もしかしてロッシュも俺を…なんて思ったりして…俺、バカみたいだ。

 「あれは、イアンを本当に愛しいと思ったからああしたんであって、

 下心や思惑があって繋いだわけじゃない」

 ロッシュが強い口調で、キッパリと言った。

 でも、信じられなくて、俺も合わせるように強く返す。

 「だけど、今までなら、絶対あんなことしなかったっ。

 俺の気持ち分かってるはずなのに、応えてくれたことなんてなかったっ…それが急に…おかしいだろっ」

 すごく恥ずかしいことを言ってるように思えたのと悲しいのとで、そのあと俯いて黙ると、

 「イアン、ちゃんと話を聞いて」

 そんな俺に言い聞かせるようにして、ロッシュが話し出した。

 「俺は、例えどれだけイアンを好きでも、伯爵に黙ってイアンに想いを打ち明けたり、

 態度に出したりすることは出来ない身だった」

 それを聞いて、眉を寄せる。

 それって、どういう…

 「伯爵がイアンを気に入っているのを知っていたから、そういう真似をすることは出来なかったんだ」

 ……。

 俺は、これまでロッシュの立場と彼の気持ちを同時に考えてみたことがなかった。

 だって、俺とロッシュの恋愛に伯爵は関係ないと思っていたのだ。

 ロッシュの告白に、初めて考えを巡らしてみる。

 ロッシュは、伯爵に仕えている身で、もし伯爵が気に入っている俺と気持ちを通わせたら、どうなるんだろう。

 伯爵と、気まずくなるのだろうか。

 もしかして、邸にいられなくなったり…とか?

 考えてみると、頭の中に、邸を出ていくロッシュのイメージが浮かんだ。

 「だけど、伯爵がああ言った今なら、それをしてもいいんじゃないかと思う」

 ロッシュは話し続ける。

 「だから、手を繋いだ。伯爵に言われたからって、ただそれを受け入れたわけでも、

 好きな振りをしたわけでもない」

 そこで、ロッシュの話は途切れた。

 部屋が沈黙に包まれ、俺は、ゴクリと唾を飲みこんだ。

 すると、俯いたままの俺の頬にロッシュが手を添えてきて、俺はビクッとして顔を上げた。

 「イアンが伯爵や不特定多数の男たちと交わることだって、

 儀式だからと、仕事だからと割り切って考えるようにはしていたけれど、平気なわけじゃなかった」

 ロッシュが、なんだか苦しそうに想いを吐露し、視線が絡むと、体が熱くなった。

 ふいに、あのおっさんとの仕事を終えて帰るとき交わした会話の中で、

 ロッシュが言っていたことを思い出す。

 「もう、こんな仕事をしなくて済むぞ」

 あの時は、何がいいたいのかよく分からなかったけど、ひょっとして、その気持ちの表れだったのだろうか。

 ちょっと呆然としていると、彼が続ける。

 「心のどこかでは嫌だと思っている自分がいた」

 頬に置かれたロッシュの手が、滑るように動いて、顎の下へと移動した。

 その指先に力が入って、顔を固定される。

 ロッシュに見つめられると、その瞳に吸い込まれそうな感覚に襲われた。

 「伯爵に言われたことが、きっかけではあるかも知れないけれど、

 言われた『から』じゃなく、俺は前からずっと…」

 言いながらロッシュの顔が近づいてきて、俺は、ふいに我に返った。

 「ちょっ、待ったっ」

 叫ぶように言うと、ロッシュが近づくのを止めて、眉間にしわを寄せた。

 「どうした?まだ分かってもらうのに言葉が要るか?」

 「いや、あの、分かった。分かった。けど、俺、まだ心の準備が」

 「それは、どれくらいで出来る?」

 真面目に聞いて来て、

 「え」

 俺は、口を開けたまま動きを止めた。

 思わず言ってしまったけど、そんなの、いつになっても出来そうにない。

 「わ、分からない」

 と答えたら、

 「じゃあ、抱かれながらするといい」

 ロッシュが言って、また顔が近づいてくる。

 「ふわ…んっ」

 そのまま唇を塞がれ、上唇の裏を舌で舐められて、ゾクッとして目を閉じた。

 舌が差し入れられ、その舌が俺の舌を吸った後、ちゅっと音がして唇が離れ、

 いつの間にか背中に回されていたロッシュの手が、下へと降り始める。

 「待って!待って!ロッシュっ!」

 俺は、あまりの恥ずかしさに、頭がほとんどパニックのようになった。

 「ロッシュ!お願いだから…っ」

 ロッシュの手が、服の上から腰や太腿に触れるだけで、たまらない恥ずかしさが湧いてくる。

 心臓がバクバク言って、ロッシュの顔をまともに見られない。

 俺が落ち着きなく焦っていると、そのあまりのテンパりように、

 ロッシュが手を止めて、苦笑いを浮かべ不思議そうにした。

 「なんだか、いつものイアンと随分違うみたいだ…

 イアンは、どんな相手にも、変わらない強気な態度で臨んでいくのに」

 ロッシュの言葉に、今までのことを思い出す。

 確かに、ウリの相手と向き合うときはそうだった。

 だけど、そんなことを言われたって、相手がロッシュだというだけで、

 なぜかこうなってしまうんだから、どうしようもない。

 ロッシュが見つめている。俺も、熱い頬のまま、彼と視線を合わせる。

 ずっと、ロッシュが好きだった。

 嫌なことがあっても、同じ屋根の下にロッシュがいて、

 一緒に頑張っていると思えば、また元気になれた。

 「す、好きなんだ。ロッシュが」

 そう口にしたら、かあっと頭のてっぺんまで熱くなった。

 本当に、爆発しそう。

 例えじゃなく、頭から湯気が見えるんじゃないだろうかと思う。

 思うと、ますます恥ずかしくなる。

 すると、そんな状態に陥っている俺を、ロッシュが優しく包むように抱きしめてきた。

 「俺もだ」

 そうして、ギュッと腕に力を込められたら、手を握られた時のように、

 一瞬抵抗するみたいに体に力が入ったが、その後、強張っていた体から力が抜けていった。

 「大丈夫だから。落ち着いて」

 ロッシュが耳元で囁き、うるさいほどバクバク言っていた心臓の鼓動が、次第におさまってくる。

 

 もう、俺は気持ちを隠す必要も、恥ずかしがることもないのだ。

 俺の気持ちなど、とっくに全部知られていて、そして、ロッシュも好きでいてくれる。

 改めてそう思ったら、なんだかホッとして、俺はロッシュの背中に腕を回した。

 好きでたまらなくて、額を彼の首筋にグイッと押しつける。

 それから、目を閉じて、

 「ロッシュ」

 俺は、ロッシュの胸元で、小さく彼の名前を呼んだ。

 

 

 

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2011.10.07

                          

 

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