鬼と狼(ウルフ)と少年と4 後編
ロッシュが俺の顔を覗き込むようにして、「ん?」と聞いてくる。
「俺、ロッシュとこんなことする日が来るなんて、思わなかった」
俺の言葉に、ロッシュは笑うと「俺もだ」と返して頷いた。
「でも、なんだか、いつもしてることと同じとは思えない。…全然、別物な感じ」
「俺は、下手くそと思われたらどうしようかと正直思ってる。上手い奴と比べてくれるなよ?」
ロッシュが俺の経験の多さに対する不安を吐露して、その意外な言葉に驚いた後、俺は笑った。
「そんな心配いらないよ」
だって、俺はロッシュが好きなのだ。
彼の腕の中にいると思うだけで、すごく嬉しくなる。
こんな感情を持ちながら抱かれたことなんて、一度もない。
だから、きっと比べようもないと思う。
加えて言うと、俺は人間以外の種族ともしたことはあるが、狼男とは一度もない。
これが、初めてだ。
いろんな意味でドキドキしつつ、俺が椅子から立ち上がり、ベッドの端に腰かけると、
ロッシュも同じようにしてベッドに移った。
そうして視線を合わせたら、ロッシュが顔を寄せて来る。
俺はやっぱり、ちょっとだけ照れくさくて、思わず目を閉じた。
背中に腕が回され、唇が合わさるのを感じる。
ロッシュの唇と舌が、俺の唇の感触を確かめるように動き、俺も彼の背中に腕を回した。
舌が差し入れられ、俺もそれに応えて舌を絡めると、ロッシュがそのままゆっくりと俺を押し倒す。
一度唇が離れ、頬と耳の境辺りに、もう一度、改めてそれが触れるのを感じた。
軽く押し当てられ、何度か口づけを繰り返しながら、
それは、ゆっくりと俺の顎のラインを伝い降りて、やがて首筋に辿り着く。
ロッシュの熱い息がかかって、ゾクッとし、
「あ…っ」
だんだん気持ちよくなってくるのと同時に、うっとりした気分になりかけていると、
ロッシュが動きを止めた。
どうしたのかと思って、
「ロッシュ?」
目を開けて問うと、俺をじっと見つめて、感心したように大きく一つ息を吐く。
「イアン、白い肌が上気して、すごく綺麗だ」
首元を見ながらそんなことを言われて、かあっと顔が火照った。
「い、いいんだよ。そんな客みたいなこと言わなくても」
恥ずかしさから、ちょっとムッとしつつ言うけれど、
「いや…本当に、思い描いてたより、ずっと綺麗だ」
ロッシュは見惚れたみたいにいつまでも見つめている。
嬉しくないわけじゃなかったけど、俺はまだ始まったばかりのこの行為を、
先へ進めて欲しくて、促すように彼を見て言った。
「こういう俺を見るの、初めてってわけでもないだろ?」
伯爵との時だって、ロッシュは俺が抱かれているのを何度か見ているし、
見られながらするのが好きだと言った客の時も、見ているように言われて、見てた筈だ。
「そりゃそうなんだが…自分が、そうさせてるかと思うと…」
ロッシュが、感動しているらしい口調でそう言って、俺は思わず笑った。
そんな俺に、今度はロッシュが照れ臭そうにしながら、少しムッとする。
「笑うなよ」
俺は、「ごめん」と謝って、彼の首に腕を回した。
「ロッシュ。分かったから。続き、しよう?」
そう耳元で囁くと、彼が俺をじっと見てから、首筋に顔を埋めてきた。
ロッシュの手が動いて、俺のシャツのボタンを外し、前を開く。
そうしてまた離れて、胸全体を眺めて眩しそうにした後、外気に晒されたのと、
触れられることを思って立ち上がった突起に、唇を寄せた。
そのまま隆起したそれを舌を使って舐められて、ビクッとする。
下半身に疼きが走り、
「あ…んっ」
乳首を口に含まれ転がされて、硬くなったところを強く吸われたら、
「んんっ」
背筋を気持ち良さが駆け抜けた。
ロッシュが、布越しに俺の勃ち上がり始めたモノにそっと触れてきて、たまらなくなる。
ロッシュになら、何をされても構わない。
俺の全部に触れて欲しい。
ロッシュへの想いが胸に一気に溢れて、俺のモノはあっと言う間に硬く大きくなった。
ズボンの中ではちきれそうになって、痛いくらいだ。
その硬さを確かめるように外から触れていた手が、移動して、
腹とズボンの間に出来た隙間から下着の中へと差し入れられる。
「あっ」
他の誰のでもない、大好きなロッシュの手が、一番触れて欲しかった手が、
俺のモノを直に優しく包んで、その感触に、俺は反射的に彼に抱きついた。
ロッシュが胸から顔を上げて、俺の唇に唇を合わせる。
「んっ、んっ」
唇を吸いながら、俺のズボンのボタンを外して前を開いた後、下着と一緒に引き下ろして抜き取った。
それから、サオをつまむように持ち直して、そっとさするように上下に動かす。
すでに下着を濡らすくらいに溢れていた露が、感じるほどに、また盛り上がっては零れ落ちる。
「イアン、びしょ濡れだ」
恥ずかしいことを言われて、
「だって…っ」
かあっと熱くなる。
覗き込むようにして、
「後ろまで濡れてる」
そこの状態を口にされたら、ますます熱くなった。
感じまくってるんだからしょうがないじゃないか、と思い、
でも言えないままに彼の股間にチラと目をやると、彼のモノも、膨らんでいるのが分かる。
彼も感じているのだと思ったら、疼きが後ろのすぼまりに来た。
「ロッシュ、もう」
挿れて欲しくて俺が言うと、ロッシュは後ろまで伝っているらしい先走りを、
指に取って馴染ませるようにしてから、その指を俺の後ろに当てた。
触れられたすぼまりが、熱を帯びる。
「んっ」
ロッシュが指を沈め、ゆっくり奥へと進めつつ、俺のモノを口に咥えた。
「あっ」
愛撫を施しながら、俺のそこを解していく。
入っているのがロッシュの指だと思うだけで、入口がこれ以上ないほど熱くなり、
中がキュウッと締めつける。
本数が増やされ、何度か出し入れを繰り返されたら、
俺のそこはすぐにロッシュを受け入れられる状態になった。
気持ちよくて、先走りが半端なく溢れ、サオや後ろの谷間を伝い落ち続ける。
「ああ、ロッシュ…っ」
我慢できずに訴えるようにロッシュを見ると、彼が指を引き抜いて、
着ている服を全て脱ぎ、脇の椅子に置いた。
彼のモノも完全に勃ち上がっている。
裸になったロッシュが、手を伸ばして俺の足を持ち、十分過ぎるほどに濡れている俺の後ろを露わにした。
少し緊張しているような面持ちで、自分のモノを俺のすぼまりに押し当てる。
入口がロッシュの先端を感じた次の瞬間、そのままそれが押し込まれた。
「ああっ」
十分に解されたそこが、ロッシュのモノを一気に飲み込むのを感じる。
彼が一度少し引き抜いて、またググッと力を込めて進めると、
俺の中は、その一突きで最奥まで彼のモノを受け入れた。
根元まで飲み込んだ中が、ビクビクと蠢き、彼がきつそうに目を閉じて、呻きにも似た声をあげる。
そうして挿れた後、ロッシュは動きを止めた。
広げられた中が、感じてきてしょうがなく、早く動いて欲しいのにと思って彼と目を合わせたのと同時に、
「!?」
俺は異変を感じた。
俺の中のロッシュのモノが急に大きくなって、俺の中を圧迫したのだ。
それも、ただ容量を増しただけじゃない。
普通はモノ全体が大きくなるのだが、ロッシュのは、中で一部分だけ、風船のように丸く膨らんでいる。
「ロッシュ。ロッシュの、なんかおかしい」
こんな感覚は初めてで、思わずそんな言い方をしてしまう。
それを聞いて、ロッシュが苦笑いを浮かべた。
「俺のがおかしいって…どうおかしいんだ?」
「だって、中で丸く膨らんでる」
俺が、感じ取ったままを口にすると、
「なんだ。知らなかったのか」
ロッシュが、思いがけないことを言った。
「狼は交尾を完璧なものにする為に、しばらく外れないよう、ペニスの一部がコブのように膨らむんだ」
「……!」
俺が驚くと、屈辱を感じている口調で付け足した。
「ま、犬もそうだが…」
こともなげに説明してくれたけど、俺は驚いて開いた口が塞がらなかった。
犬の交尾なんて、マジマジと見たことも詳しく知ろうと思ったこともないし、
狼男もそうだなんて考えたこともなかった。
膨らみが入口の辺りを中から圧迫して、じわじわと快感を生み出している。
「狼って言っても、人間も半分入ってるんだろ。なんで性交に、そんなに狼の特徴が顕著に出るんだよっ」
「…さあ。俺に聞かれても、分からないな」
ロッシュが首を傾げてそう言った後、グッと奥を突いてきた。
「あっ」
そのまま、ゆっくりと抽挿を始める。
擦れあう摩擦による気持ちよさは少ないけれど、ロッシュが突き入れると、
膨らみがあるせいか、内壁全体が奥へと持っていかれる感じで、
今まで感じたことのない種類の快感が、背筋を駆け上がる。
「あっ、ロッシュ!…ああっ!」
ロッシュの青い瞳が、愛しげに俺を見下ろしていて、視線が絡むとますます気持ちよくなってくる。
駄目だ。こんなの…なにもかもがイレギュラー過ぎるっ。
俺が知ってるセックスとあまりにも違う。
「は…っ、あっ、んっ」
初めての感覚に、中がどんどん感じて来て、気持ち良さが募って来た。
すぐにイってしまいそうになる。
今まで経験したセックスが全部霞んでいく気がする。
「あっ、ああっ」
抽挿を繰り返されて、気持ちよさで、わけが分からなくなってきたところに、
「いいか?」
上から聞かれて、
「い…いいっ」
答えるのと一緒に腰が浮いた。
も、イくっ。我慢出来ないっ。
「ロッシュっ、俺、もう…出るっ!」
そう告げるのと、俺のモノが弾けるのはほとんど同時だった。
とてもこらえ切れなかった。
気持ち良すぎて、体がガクガクと震える。
「ロッシュ、も、もう抜いて…」
懇願するように言うと、ロッシュが困った顔をした。
「この状態、結構長く続くんだ」
「えっ」
「当分、離れられないと思う」
俺は愕然とした。
こ、こんな気持ちいいままで、いつまでも繋がっていろとっ!?
イったばかりの俺のモノが、また勃ってきている。
疼きが、おさまるどころかMAXのままで、腰がこんなに熱くていいのかと思うほど熱を持っている。
「イアン…」
ロッシュが顔を寄せ、
「え、ちょっ」
唇を重ねてくる。
避ける間もなく塞がれて、口腔内を舌で愛撫されたら、それだけで、
「んーっ!!」
中がものすごく感じて来て、またイきそうになった。
ロッシュの肩に手を置いて、押し離そうとしたら、彼が腰を前後させて突き入れ始める。
「んっ!んっ!ああっ」
感じ過ぎて、体の隅々まで気持ちよさが行き渡り、神経が焼き切れそうな快感に襲われる。
「ロッシュ、ロッシュ!」
ロッシュの名前を必死で呼んで、止めようとするが、止まる気配がない。
も、駄目だっ…イ、く…っ。
俺は、登りつめ、再び放出してしまった。
自分のことながら、信じられない…
呆然としていると、すぐにロッシュが今度は、俺のモノを握って扱き始める。
俺はびっくりして後ずさろうとしたが、結合部がしっかりとロックされていて、動けない。
いつもなかなかイけないのに、すでに二回イっていて、
体がついていけない感じでいる俺の状態を、知ってか知らずか、ロッシュが猛烈に攻めてくる。
俺の脚をもって引き寄せて、突き上げ、
「や、ああっ」
それに合わせて、手で俺のモノを扱きあげる。
「ああっ、待ってロッシュっ!離し…て…っ」
たまらなくて、俺はロッシュの顔を見ながら、再び彼の肩辺りをグイッと押し離すようにした。
でも、そんな行為などほとんど意味がなく、ロッシュは構わずどんどんスピードを上げる。
「た、頼むからっ。ペースを…落としてっ」
俺としては、やっと一つになれたのだし、
出来るならロッシュと抱き合い繋がっていることをもう少しじっくり感じて、
雰囲気に浸りたい気持ちだったが、それは無理のようだった。
ロッシュは俺が言うことも耳に入らないみたいで、一心不乱という感じで、
突き上げながら俺のモノを扱き続けている。
完全に理性を失っている目をしている。
「あっ、あっ」
またイきそうっ。
体が小刻みに震え、
「ロッシュ…、も、もうっ、俺っ!」
予兆を感じたロッシュが、扱き続けながら、俺の乳首に顔を寄せ、それを強く吸い上げた。
その途端、中がビクッビクッと痙攣し、
「あああっ!!」
俺は達して、ロッシュを強く締め付けた。
俺のモノから吐き出された精液が、勢いよく腹の上に飛散し、
続いて、ロッシュの熱い迸りが奥へと注がれるのを感じる。
「はあ…はあ…」
いったい何回イかされるのか。
簡単にはイけない筈の、自分の体の変わりようが、怖いくらいだ。
何より、ロッシュが意外すぎる。
どんだけ積極的なんだよ。
俺と同じように息遣いを荒くしていたロッシュが、
急に動きを緩めて、覆いかぶさるようにして俺を抱きしめてきた。
妙に静かになってしまったことを怪訝に思いながら、後ろに意識をやれば、
俺の中のロッシュの膨らみが、知らぬ間に萎んでいる。
「ロッシュ?」
俺の首筋に顔を埋めたまま、黙っているロッシュに呼びかけると、顔を上げた。
「悪い」
開口一番、謝ってくる。
さっきまでとは打って変わって、冷静さを取り戻した目で、申し訳なさそうな表情をしている。
「何が?」
「…止められなくて」
眉を寄せた表情で言ってきて、俺はその顔をじっと見つめた後、笑った。
だって、本能なんだろう。本能じゃあ、しょうがない。
雰囲気は味わえなかったけど、ロッシュと繋がることはできて、俺は満足だった。
「別に謝ることないよ。気持ちよかったし、一つになれて、俺は嬉しかった」
そう言葉にしたら、本当に心から嬉しくて、清々しいような気持ちになった。
「ロッシュは?」
「え」
「気持ちよかった?」
俺が下から聞くと、
「ああ」
ロッシュが笑って頷き、俺の唇に自分の唇を重ねた。
俺は、ロッシュの頭を抱えるようにして、彼の唇を貪る。
長く熱いキスを交わしながら、思う。
今まで俺がして来たことは、本当に、ただの儀式や仕事だったのだ、と。
「どうだった?」
翌朝。
伯爵が、邸の廊下ですれ違いざま、聞いてきた。
「何が」
「ロッシュとしたんだろ?」
ズバリ口にされて、顔がかあっと熱くなる。
どうやって知ったのか、伯爵は俺たちがヤったことを知っているようだった。
例のコウモリ達が報告でもしたのかも知れない。
それとも…
声が漏れてて聞こえてたのかも。
……。
「良かったか?」
感想を尋ねられ、今度は体全体が熱くなってくる。
「……」
伯爵が、ニヤニヤしながら感想を待っていて、
どうしようかと思ったが、伯爵から目を逸らして、本音を漏らす。
「良かったっちゃあ良かったけど…前途多難」
思っていたセックスとは全然違った。
でも、何というか、まだこれからなんだろう。きっと。
これまで一緒に暮らしてはいたけど、パートナーとしての俺とロッシュは、まだ始まったばかりなのだ。
「なんかロッシュが…、イメージとだいぶ違った。もっと控えめなイメージだったんだけど…」
それを聞いて、伯爵が笑う。
「狼と言っても、犬みたいなもんだからな。サカったら止まらないんだろう」
なんだかひどい言われようだけど、確かにそんな感じだったし…
と思ったら、最中のあの現象について、ちょっと聞いてみたくなった。
「伯爵は、その…あれのこと、知ってた?」
「ん?」
「ほら、あの、中で…その、膨らんで…」
俺が、あまり詳しく説明するのも生々しくて、なんとなくもごもご言っていると、
「ああ、ロッキングのことか?」
ピンと来たらしい伯爵が、はっきりと口にしてくれた。
ロッキング、というのかどうかは知らなかったが、でも、きっとそうだと思えた。
あの現象にぴったりのネーミングだ。
「知ってたんだ」
「…そりゃあな。何年生きてると思ってるんだ?」
そうか。…そうだよな。
伯爵は若く見えても、吸血鬼で、
もう人間の寿命なんて鼻で笑うくらい長く生きているのだから、知っていてもおかしくない。
「あれ、ああなってる間、ロッシュ、別人みたいだった」
俺の言葉に、伯爵は俺の表情を窺うようにして聞いてくる。
「あいつが嫌になったか?」
「そういうわけじゃないけど、ほんとに違ったから、…ただただ驚いてる」
驚きはした。
でも、別にそれで嫌になったりイメージが悪くなったか、と言うと、そういうわけじゃない。
「嫌になったときは言うんだな。いつでも相手してやる」
伯爵が言って、俺は呆れた。
アシュレイに心底愛されていて、伯爵だって愛しているんだろうに、
まだ俺ともヤる気でいるのだろうか。
俺が苦笑いを浮かべながら、
「伯爵には、アシュレイがいるだろ」
と言うと、伯爵はフッと笑って「そうだな」と頷いた。
どうも、アシュレイの想いを軽く考えているような感じで、
そんな伯爵を見ていたら、ハッキリ言っておこうという気になり、
「伯爵」
改めて呼びかけると、伯爵が顔を上げて俺を見る。
俺は、俺の決意を口にした。
「俺、もうこの先、伯爵とはヤらねぇ」
多分、これから、俺はウリ以外では、ロッシュとしか体を重ねない。重ねたくない。
精液はその後、アシュレイに渡せばいいから、儀式はもう必要ないし、戯れでも、伯爵とは、しない。
なにより、アシュレイが望んでいることだ。
俺はそう思ったのだが、伯爵は、それを聞いて、何故か少し戸惑ったような表情をした。
数秒の沈黙の後、
「…そうか」
と言って、小さく頷く。
その表情に、一瞬寂しげな色が浮かんだように見えたのは、気のせいだろうか。
伯爵は、少しの間の後、遠くを見るような目をしながら、
「そう言えば、もうずっとイアンの血を飲んでなかったな」
ポツリとそう呟いた。
「イアンの血は、どんな味だったか…」
首を傾げて、こちらを見てきて、俺も昔のことを思い出してみる。
邸に来たばかりの頃は、伯爵も俺の血を飲んでいた。
アシュレイが、俺の血を飲んで気に入ってしまってからは、もう伯爵がそうすることもなく、
俺の血はアシュレイ専用みたいになっているけれど。
「なんで急に、そんなこと言うんだよ」
伯爵は、普段、外で飲んでいるようで、俺の目の前で誰かの血を飲んでいる姿を、見せたりしない。
だから、なんとなく忘れかけていたようなところもあるが、
伯爵も確かに人の血を啜る、吸血鬼なのだった。
「アシュレイがそんなにも執着するイアンの血を、飲んでみたくなった。
儀式をこれきりにする区切りに、少しだけ飲ませてくれないか」
伯爵が、珍しく優しげな表情を浮かべて聞いてくる。
「そうしたら、その後は、私はもうイアンには触れない」
伯爵が真面目な口調で言って、俺は、伯爵の顔をじっと見た。
しばらく無言で見つめ合ってから、俺は視線を逸らし、俯いて、手を顎の下へと持って行った。
シャツのボタンを二つほど外す。
血を飲みやすいように、伯爵とは逆の側へ首を少し傾ける。
伯爵が俺に近づき、首筋に顔を寄せ、目を閉じて匂いを嗅ぐように、大きく息を吸った。
「いい香りだ」
うっとりと呟いてから、目を開けて、俺を見る。
長いこと続いてきた俺たちの関係が、変わろうとしているのを感じた。
伯爵が俺のシャツの襟元を開いて肌を露わにし、肩にかかる少量の髪を、指先でよける。
俺の背中に腕を回し、晒された首筋の、皮膚の柔らかい場所へと唇を押しつける。
その熱を感じた後、続いて犬歯の先が肌に当たるのを感じ、次に来る衝撃に備えて目を閉じた。
覚悟を決めた瞬間、プツリと食い込む感覚があり、
「…っ」
痛みが走って、眉根を寄せる。
俺がここに来たとき、伯爵は言った。
『お前のここでの主な仕事は、血液と精液の提供だ』と。
そして、それはこれからも変わらない。
たとえ二人の間に変化があり、仕事のやり方が変わったとしても。
俺は、血液と精液をアシュレイに提供し続ける。それだけだ。
伯爵がコクリと喉を鳴らす。
俺の中の赤い液体が、吸い上げられ、伯爵の体の中へと取り込まれていく。
少しして、
「伯爵、もう」
俺は、これ以上吸われたらマズいと感じて、伯爵を押し離そうとした。
すると、伯爵が抱きしめる腕に力を込める。
そのまま吸い続けようとするので、
「ちょっ、待てって。これ以上は…っ」
俺は、慌ててなんとか離れようとしたが、伯爵は離そうとしない。
どころか、さらに歯を深く突き立ててきて、
「う…っ」
俺は、ただならぬものを感じて、ありったけの力を込めて、伯爵から逃れようとした。
が、伯爵の力は強く、それは無理だった。
腕の中でもがくうちに、スッと頭から血の気が引く。
気持ち悪い。
吐き気を催し、顔を歪める。
冷や汗が出た。
もう一度、必死に伯爵の腕を逃れようとするが、体をしっかりとホールドされていて、動けない。
その間も、体から血が失われていく。
呼吸がしづらくなってくる。
手の力が抜ける。目が霞む。
やがて体全体からも力が抜けた。
崩れる俺の体を、伯爵が受け止める。
伯爵は何をしようとしているのか。
考えつく答えは一つだったが、信じられなかった。
どうして…?
問いかけたくても、もうそんなことが出来る状態ではなく。
『ロッシュ…』
心の中で、助けを求めるように、呟く。
やがて目の前が黒一色に塗りつぶされ、意識が途切れた。
目を開けると、俺はベッドに横になっていた。
脇にはロッシュがいて、心配そうに俺を覗き込んでいる。
「イアン、大丈夫か?」
その表情のまま聞いてきて、俺は彼の顔をじっと見つめ返した。
俺はどうなったんだろう。
確か、伯爵にかなりの量の血を吸われて…
「ロッシュ、俺…」
「危ないとこだった。でも、輸血して…命に別状はないそうだ」
ロッシュがそう口にし、俺はぼんやりと彼を見たあと、ゆっくりと周りを見回す。
ドアのところに伯爵が立っているのが視界に入って、目を止めた。
その姿をじっと見ると、向こうも見返してくる。
視線を合わせたまま見据えたら、伯爵がポツリと口にした。
「ちょっと飲み過ぎたようだ」
悪びれる様子もなく、まるで思いがけず失敗したかのように言い放つ伯爵を睨む。
何がちょっと、だよ。
あれは、明らかに意図的だっただろうが。
俺は吸われた本人だから、故意かそうでないかは、分かっていた。
怒っていないわけでもなかった。
でも―。
俺はそれ以上そのことについて、伯爵に言及することをしなかった。
そんな俺から視線を逸らした伯爵が、ロッシュに向かって言う。
「人間に恋をするなど愚かなことだ」
ロッシュが、黙ってその言葉を受け止め、俺はムッとして伯爵に強い口調で聞いた。
「何が言いたいんだよ」
すると、伯爵は鼻でフンと笑う。
「せいぜい愚かさを味わうがいい、と思ってな」
マジに言っているのか、それとも、わざと冷たい自分を演出する伯爵の優しさなのか。
判断し兼ねたが、上から見下すようなその態度を、
俺は雰囲気のまま受け止めてしまって、憎らしいと思う。
それで、憤りの意を込めて伯爵を見ていると、
「伯爵」
ロッシュが口を開き、伯爵に呼びかけた。
「なんだ」
伯爵がその偉そうな態度のまま応え、ロッシュが姿勢を正すようにする。
どうしたんだろうと思ったら、真面目な顔で、
「お慕い申し上げております」
おもむろにそう口にして、伯爵をじっと見た後、深々と頭を下げる。
伯爵は、少し驚いたようにして動きを止め、ロッシュを見ていた。
かなり長いことそうしていたが、そのうち、目を閉じて、一つ大きく息を吐くようにした。
その気配に呼応するように、ロッシュが顔を上げると、
信頼を置いているのが分かる口調で、彼に向かって伯爵が言う。
「ああ。これからも頼む」
通わせ合う視線と言葉から、伯爵とロッシュの間に、
俺と伯爵の間には存在しない何か大事なものがあるのを、知ったような気がした。
ふいに伯爵が、
「仲がいいのは結構だが、私の目につくところでイチャつくのはナシにしてくれ」
踵を返しながらそう言って、振り返ることなくドアを開けて、部屋を出て行った。
なんだか呆気に取られつつ、伯爵の言葉を思い返していると、
ロッシュが少し笑みを浮かべて、俺の肩に手をポンと置く。
何も心配することはないと言う感じで、俺はその仕草に安堵感を覚えた。
いつもそうだ。安心する、大きな手。
と、その時、バサバサと羽音がして、双子の吸血コウモリ達が窓から飛び込んできた。
びっくりしていると、ベッドの脇に舞い降りて、俺の顔を覗きこむようにする。
「イアン、無事?」
「イアン、大丈夫?」
心配してくれているのだろうか?
首を傾げながら聞いてきて、俺は笑った。
「ああ。大丈夫だ」
そう答えると、ホッとした様子を見せ、でもすぐに、
二匹して眉を寄せて難しそうな顔をして、体を揺らし始める。
「どうした?」
また何か問題でもあるのかと思って尋ねると、
「伝言」
声を揃えて言った。
そう言われて思いつく相手と言ったら、彼しかいない。
伯爵は出ていったばかりだし。
「伝言?アシュから?」
聞くと、二匹がコクコクと頷く。
そんな顔をしなきゃならないほど難しい伝言なのだろうか。
と思っていたら、フェスターがそれを口にした。
「『ごめんね』」
「え…」
俺が、その言葉に驚いていると、フェレスも伝える。
「『ありがとう』」
俺は、またも呆気に取られつつ、それを受け止める。
言葉数は少なくて、簡単な伝言だけど、二匹が難しい顔をした理由はなんとなく分かった気がした。
いろんな意味が含まれているよなぁ、その言葉には、きっと。
「アシュの奴…なんで伝言なんだよ。直接言ってくれればいいのに」
俺はそう呟きながら、彼のこれまでの行動を思い返した。
考えてみれば、ロッシュとこうなることが出来たのは、彼のおかげなんじゃないだろうか。
彼が、儀式について苦言を呈さなければ、今もまだ同じ関係を続けていたのだろう。
そう思ったら、なんだかどうしてもアシュレイと直接話したくなって、
「後で、アシュの部屋に行くから」
コウモリ達に言うと、二匹は頷いた。
帰ろうとしたのか、フェスターが羽を広げる。
でも、それを見たフェレスが、「兄ちゃん」と落ち着かない様子でフェスターをつついた。
そうされて、フェスターがハッとし、俺とロッシュを見る。
「伝言」
と思い出したようにまた言うので、
「なんだよ。まだあったのか?」
俺が苦笑すると、息を合わせて、二匹で一緒にその言葉を口にした。
「『おめでとう』」
どうやらそれで終わりらしく、二匹は恥ずかしそうに急いで羽を広げて、そのまま飛び去っていった。
俺とロッシュは、顔を見合わせる。
それから、笑ってそのまま顔を寄せ、唇を合わせてキスをした。
俺は、これからもこの邸で暮らしていく。
アシュレイとも仲良くやっていきたい。
そして、伯爵とも、もちろんロッシュとも。
そうやって、毎日、暮らしていけたら、いいと思う。
了
2011.10.24