いらない生命(いのち)


いつだったか雅が聞いた。

「本当の親に会いたいと思ったことってないの?」

あたしはきっぱり「ない」と答えた。志保子がいればいいのだ、と。

だけど。それははっきり言って嘘だ。会いたいと思ったことはある。

でも、相手はあたしを「捨てた」人間なのだ。

何か事情があったのだろうと推測する。でも、子供より大切な事情をあたしは思いつけない。

そして、子供を捨てる事の出来る冷たさを、あたしも継いでいるのだろうと思う事は、あたしをいつも悲しくさせる。

それでも。あたしは幸せだ。

志保子のくれるキスは、本当のお母さんのくれるキスよりきっと温かいに違いないと思えるし、雅もいる。

こうして生きているから。

   

雅が、近くのデパートでカメをもらって来た。

道端に立っていた「カメプレゼント」の看板にときめいてもらいに行ったのだ。

本当は小学生以下しかもらえないのだが、笑顔を強行手段にもらったと言う。

カメを大きなタッパに入れて喜んでいる。ちゃんと世話が続けばいいけど。

雅はもらい癖があって、出かけるといろんな物をもらって来る。

ティッシュや試供品などの粗品はもちろん、八百屋や菓子屋へ行けばおまけがつくし、

人の家の花にみとれてるとそこの人が切ってくれたり。

大抵、相手はおじさんだと言う話だが。

何しろ、かわいいのだから得だよなぁ。彼女を見ると、頬の肉がゆるむらしい。

それにしても、生き物をもらって来たのは初めてだ。生き物は、厄介だなぁ。

いろいろ。まぁ、カメくらいならいいけど。

小石を入れて水を入れてエサをやって、せっせと世話をしている雅の横から覗き込んでカメを見る。

小さなミドリガメ。

手や足をぎこちなく動かしている。思わずつつきたくなる。かわいい。

「かわいいでしょう」

雅が自分の子供のように言う。あたしは肯いた。しばらく見ていたが、見飽きない。

「名前は?」

何気なく聞くと「ガメラ」と即答した。

「だって、カメと言えばガメラでしょ」

そ、そうかなー。あたしは、首を傾げたがもう決まってしまったらしいので、何も言わなかった。

それから数日間。ガメラは雅の愛情のおかげか、すこぶる元気だった。

いつも手足を動かして歩き回っている。首を伸ばしたり縮めたり、転がるとじたばた慌てる。

生き物が家にいるのといないのとでは、前者の方がとても刺激的だった。

たかがカメでも、彼(雄か分かんないけど)がただの『亀の置き物』でなく、生命がある事はとても意味があった。

雅は世話をする喜びを知って、まめにタッパの掃除をし。そして、ある日。事は起きた。

学校から帰って、タッパの置いてある庭の方に行った雅が叫び声を挙げた。

「あーっ!ガメラがいないっ」

その言葉に庭へ行って見ると、そこにあったのは空のタッパだった。

大きな石が入ってるから、そこから逃げようと思えば逃げられないこともない。

あれだけ愛情を注いだにも関わらず、逃げられたのだ。

雅はしばらく呆然としていたが、その後ムッとして一言「カメなんか嫌いだ」と言った。

嫌いだ、と言った割りには未練があるようで、デパートのペットショップに行くとカメの水槽を覗いている。

あたしが笑って「買ったら?」と言うと「カメなんか嫌いだもん」と意地を張る。笑える。

そうして、それ以来雅はカメの事を口にしなかった。ペットのいない家に戻った。

短い間だったが、なかなか面白い試みではあった。

   

カメ事件から数ヶ月がたつ。今は四月、仲春の候。日曜日に、あたしは一人で図書館へ行った。

図書館には高校の後輩が来ていた。彼女も本が好きなようで、よく会う。

「こんにちは」と声をかけられて、「こんにちは」と返す。

初めて声をかけられたのは、半年ほど前の事だ。

あたしは彼女がよく来ている事は知っていたが、同じ高校だとは知らなかった。

でも、彼女はあたしの事をよく知っていた。

「体育祭の時、リレーに出てましたよね」

「ああ。うん。出てたけど。見てたの?」

「はい。速い人だなぁ、と思って。本が好きなんですか?いつも難しい本を読んでるんですね」

えっ、いつも?あたしは、それを聞いてちょっとギョッとした。

知らないうちに「いつも」見られてたと言うのは、あまりいい気がしない。

でも、いい子ではあるのでそれ以来、積極的に話す事はないけれど会うと挨拶を交わしている。

借りていた本を返し、適当な本を見繕って借りて、昼頃。

図書館を出ると怪しい空模様。今にも雨が降りそうな空の下を歩いて家に帰ると、玄関に雅の靴があった。

あれ。今日は裕君のとこ行かないのかな。

そう思って、居間の方へ行くと様子が変だ。

いつも一人でいる時は、居間でテレビを見てる筈なのに、居間にいない。

それに、この「ミーミー」言ってるのは何だ?

嫌な予感を抑えつつ、雅の部屋をノックした。明るい返事が聞こえて、ドアを開ける。

予感は的中した。それを見た瞬間、眉間に手をやる。

あたしの気持ちを知ってか知らずか、雅はにこやかに微笑んであたしを見た。

「猫拾ったの。ほら、かわいいでしょ?」

雅は言いながら、小さなダンボール箱の中身を見せた。

箱の中には灰色とトラ縞の、まだ産まれて間もない仔猫が二匹いた。

まだ歩けないので、底に貼りついている。二匹して、ミーミーミーミー絶え間なく鳴き続けている。

雅は、灰色の方を抱き上げて、そっと抱きしめた。猫は小さくて柔らかくふにゃふにゃしている。

腕の中、抱いている人を見る目さえ開いていない。ただただ鳴き続けるだけ。

「赤ちゃんの時たくさん抱きしめてやらないと、欲求不満で大きくなってから非行に走るんだって」

母性本能を発揮して、雅が猫を優しく撫でる。言葉は受け売りだ。

以前、芸能人が人間の赤ちゃんについてそう言ってたのをあたしも覚えている。

「それはいいけどさぁ」

黙って見ていたあたしは、初めて言葉を口にした。

「それ、飼えないよ」

「えーっ。どうして?」

雅が顔を上げる。

「またカメ買ってくれるって言ったじゃないっ」

「カメと猫は違う。猫なんて、絶対駄目」

「どうしてよ」

「だって、どうやって世話するの?学校行ってる間は?

大きくなって子供を産んだら、その子たちはどうするの?第一、ここは志保子のうちなんだよ」

雅が、猫を撫でながらうつむく。

「どっかのお母さんみたい」

ぐっ。するどい指摘に絶句する。でも、はっきり言わなければ。たとえ、どっかのお母さんのようだって。

「どこで拾ったの」

「竹薮」

「そこに戻しておいで」

冷たいかも知れないけど生き物を、しかも猫くらいになるとそう簡単に飼うわけにはいかない。

あたしは、自分の部屋へ行こうと背を向けた。

「でもっ」

雅が引き止めるように叫ぶ。

「今、手を放したら消えちゃうのっ。嬌子、いつも言ってるじゃない。

志保子おばさんにもらわれなかったら、自分はどうなってたか分からない、って」

痛いところを突かれて、あたしは言葉に詰まった。

雅は、猫を手の平に乗せてあたしをすがるように見る。心が揺らぐ。

けど、目を背けて「飼えないよ」ともう一度はっきり言って雅の部屋を出た。

産まれたての仔猫なんて、育て方も分からないし、ひょっとすると死んでしまうかも知れない。

その時の雅の落ち込みようは容易に想像できた。

それに、家への影響が大きいだけに、現実問題としてやっぱり飼えないと思う。

あたしが自分の部屋へ行ってしばらくすると、雅が電話をかける気配がした。

いったい何軒にかけているのか、切ってはかけ、かけては切って、いつまでも喋っている。

どうやら、もらってくれる人を探しているようだ。

「どうしても?どうしても駄目?…そう。ううん。いいの。じゃ」

「えっ。どんな種類…って、灰色のとトラ縞で…え。それは、分かんない。駄目?」

その間も、猫たちはひっきりなしに鳴いている。あたしが帰ってから一度も泣き止んでない。

声の大きさが、小さい体のくせに半端じゃないから、だんだんイライラして来た。

そのうち、雅が箱を持ってあたしの部屋へ来た。

「戻して来る」

もらい手があったのかと思ったら、暗い表情でぽつりとそう呟いて玄関へ出て行った。

駄目だったらしい。やっぱりどこの家でも、そう簡単には飼えないのだ。

雅は、出ていって十分ほどで戻って来た。急に家の中がしんとなった。

あたしは自分の部屋で引き続き本を読む。雅は居間にいる筈だけど、落ち込んでいるのかテレビの音はしない。

外はどんよりと暗い。

家の中も暗い雰囲気に満ちた午後がゆっくりと過ぎ、

夕方になったので、あたしは夕飯の支度をする為に台所へ行った。

居間の雅をちらっと見ると、テーブルに突っ伏している。放っておこう。

野菜を切ってサラダを作る。野菜を刻む音。作っておいたハンバーグを焼く。その焼ける音だけが響く。

しばらくして、台所の窓から雨が降って来たのが見えた。

「雅、猫は雨の凌げる所に置いて来た?」

あたしは味噌汁に卵を落としながら聞いた。が、返事がない。

おかしいな、落ち込んでいて喋りたくないのかな。と思って居間を見ると、雅の姿がない。玄関に行くと靴もない。

あたしは、ふーっと溜息をついた。

菜箸を置いて、エプロンをはずす。料理を途中でやめて玄関を出た。

傘をさして竹薮のある場所へ向かう。家からそう遠くない場所だ。

しょうがない。飼うか。でも、あれだけ小さいと上手く育たない可能性も大きいよなぁ。

今まで動物を飼った事がないから、どうやって育てるか分からないし、死んだらショックだろうなぁ。

学校行ってる間はどうしよう。だけど…まぁ、やるだけやってみよう。

志保子だって、頑張ったんだ。あたし、夜泣きしなかったかなぁ。

そんな事を考えていると、竹薮が見えて来た。雅も。でも何故か、猫の鳴き声が聞こえない。

暗い中、目を凝らして見るとダンボール自体がない。雅は傘もささずに立ち尽くしている。

あたしは、後ろから近寄って傘をさしかけた。雅が振り返って、泣きそうな表情で言った。

「来たら、なかったの」

「誰かに拾われたんだよ」

「…もっとひどい事になったんだとしたら?」

雅の言葉に、ダンボールが置いてあったらしい場所に目をやる。

本で読んだ事がある。世の中には、生まれた仔猫を埋めたり川に流したりする人がいるって。

捨て猫がうるさいって保健所に電話する人も。

雅が、うなだれる。あたしは、彼女の濡れた頭を撫でた。

「拾われたんだよ」

彼女がゆっくり顔を上げて、やっぱり泣きそうにだけど、笑った。

「そうだよね」

「行こう。風邪ひくよ」

雅の背中を押して歩き出す。雅は、一度振り返って、それきり黙って歩いた。

「あたし、もっと早く飼っていいって言えばよかった」

 あたしが今の気持ちをそのまま口に出すと、雅が首を振った。

「…ちがう」

立ち止まって、あたしを見る。

「どうして拾ったほうばっかり罪悪感にうちひしがれなきゃならないの?

あたし、目の前に捨てた奴がいたら言ってやるわ。『あんたなんか、いらない』って」

あんまりきつい口調なんでちょっと驚いて、それから彼女を思いきり抱きしめたくなった。

その気持ちを必死で抑える。

あんたなんか、いらない。泣きたくなるね。それ、言われた者としては泣きたくなるよ。うん。

   

雅は、ペットショップで猫を見ている。笑いかけているようなその表情に、

「買う?」

と聞くと、首を振って値札を指差した。その額を見て、あんまり高いので驚いた。

「ひえーっ」と声を挙げると、

「あはは。さ、行こ」

と、笑ってあたしの腕を引っ張る。引っ張られながら、後ろを振り返る。

ペットショップが遠ざかる。あたしは複雑な気持ちになりながら、猫たちを見送った。

 

 

     

 

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