トラベリング・ガールズ


ない。

「雅ー、あたしのオーバーオール知らない?」

あたしが叫ぶと、雅の答える声が聞こえた。

「あ、あたしが着てる」

   

しばらくして、志保子から誕生日を祝う手紙と小包が届いた。

『本当は帰った時、少し早いけどパーティーをしてあげようと思ってたの。

でも嬌子があんな状態だったからねー。そばで祝ってあげられなくて残念。

MAY12 IS SPECIAL DAY。誕生日おめでとう』

五月十二日は、あたしと志保子が出会った日だ。志保子が、初めてあたしを見て抱き上げた日。

本当の誕生日は分からないから、この日を誕生日にしている。

志保子が行ってから二度目の誕生日。

小包を開けて、プレゼントのジーンズに足を通していると、

雅があたしのオーバーオールを着たまま寛ぎつつ言った。

「ねえ、中国行こうよ」

あたしは、思わずこけそうになった。それから、ジーンズを引っ張り上げて雅を見る。

「中国ぅ?」

広がる山水画の世界。中国四千年の味。悠久の時の流れ。うーむ。

「面白そうだよ」

「あのね。そりゃ面白いかも知れんが。この間岡山行ったばっかりでしょ」

あたし、呆れる。あたし達は、春休みに二泊三日の旅行をしたばかりなのだ。

「そんなデカい旅行ばかり出来ないよ。行くにしても、もっと安く行けるとこにして」

「だって、志保子おばさん、パリ行ってんでしょ?あたしもお金あるし」

「…(何てこったい)」

あたしは、もう何も言わずに雅を無視して、鏡の前でジーンズの履き心地を確かめた。

「似合ってるよ。ねぇ、どっか行こ。だって、ゴールデンウィークもどこも行かなかったじゃない」

雅がしつこく話しかけてくる。あたしが返事をせずにいると、一人で続ける。

「じゃあ中国はやめるからさ。こんどの日曜に近場でどっか行こうよ」

「近場って」

「電車で行けるとこ」

ありゃ。何か急にランクが落ちたな。あたしは、ちょっと笑った。

ジーンズは履き心地も見た目も良くて、いい感じ。

あたし、振り返る。

「その話、乗った」

と言うわけで、次の日曜日、あたし達は遊びに出かけた。

街とは逆方向に電車で約一時間半。割りと有名な池と自然歩道がある。

雅が窓の景色を見てウキウキとはしゃぐ。

「だんだん田舎っぽくなって来たね。早く着かないかなぁ」

あたしも外の景色を見る。しばらく田畑が広がっていたと思ったら、

急に林の中へ入って木々の迫る景色しか見えなくなった。でも、新緑が瑞々しくて爽やかだ。

それから二十分ほどして、あたし達は目的地の駅へと降り立った。

駅から池へと続く道の脇には、ぽつんぽつんと売店がある。

雅は、呼びかけられる度に近寄って行ってお土産を見ている。

あまりお土産に興味のないあたしは、店の外で辺りの景色を見る。

見ていると、店のおじさんと喋っていた雅が、にこにこしながら出て来た。

「りんごもらっちゃった」

手にりんごを一つ持っている。

「良かったね」

「うん。ねぇ、嬌子のリュックに入れといてくれる?」

雅は、自分のポーチに入らないからと、あたしのリュックにりんごを入れた。

「えーっ、そんなぁ。いいの?じゃあもらうね。ありがとう」

次の店ではまんじゅうをもらう。それもリュックの中へ。

「えーっ、それくれるの?悪いなぁ」

その次の店では賞味期限が切れかかってるからと、クッキーを。

「あんたねぇ。それくらいでやめときなさいね」

あたしのリュックは、お弁当ともらい物で膨らんでいる。

それより何より、物をもらって無邪気に喜んでばかりいる雅が、だんだん恥ずかしくなって来た。

そうして、ようやく池に着くと一時をまわっていた。

カップルや親子連れが数組、木のベンチに座ってお弁当を食べている。

それにならって、あたし達もお弁当を広げた。

サンドウィッチを頬張りながら、辺りを見回すと、やけにカップルが目につく。

女の子の二人連れなんて、あたし達くらいだ。

あたしは、ちらっと雅を見たが、雅は全然気にしてる様子もなく唐揚げを食べている。

これでいいのだろうか。

あたしは、またそんな事を考えてしまって密かに溜息をつくと、池に目をやった。

だいたい調子に乗ってOKしてしまうなんて、あたしもいい加減頭に叩き込まなければ。

雅には、裕君がいるって事。いつも忘れてる。この間の事もあるんだし。

雅が、あたしのリュックを覗き込んで、りんごを取り出した。嬉しそうに、あたしを見る。

「半分ずつ食べようね」

「え、いいよ。雅がもらったんだから」

あたしが遠慮すると、雅はますます嬉しそうに言った。

「二人で食べると、おいしいよっ」

その笑顔に、一瞬釘づけになる。次いで、顔がかあっと火照った。

こっくり肯くと、雅はあたしが持って来たアーミーナイフで、りんごを半分にして渡してくれた。

「あ。ねぇ、あたし、ちょっとトイレの水道のとこでこれ洗って来る」

雅は、あたしにりんごを渡すと、ナイフを洗いにトイレへ行ってしまった。あたし、りんごをじっと見る。

しゃり。齧ると、実にいい音がした。

甘酸っぱい香りと味が、口中に広がる。

そのおいしいりんごを噛みながら、もう何度も胸をかすめた予感の事をぼんやり考える。

雅といると、何かと顔が火照って来る。まるで赤面症みたい。

そして最近、胸の奥が疼くような妙な気持ちになる。

…あたし。ひょっとして、雅が好きなのだろうか。友達以上に…?

そう考えると、頭がくらくらした。馬鹿な。そんなの異常だ。普通じゃない。

でも。あたしは雅が悪い子じゃないのを知ってる。どんな子か知ってる。

好きになってもおかしくないくらい優しくて素敵だって事、知ってる。

あたしは、池をじっと見て、りんごを食べながらぼんやり考え続けた。

   

あたしの顔の火照りが冷めた頃、雅が戻って来た。

それから、あたし達は自然歩道を精力的に歩いて、疲れて夜遅く家に帰った。

近くのファーストフードの店で夕食としてハンバーガーを食べる。

あたしの忠告を無視してたくさん頼みすぎた雅は、だんだんうんざりと言う感じの表情になって来た。

ほら見ろ。と思った瞬間、雅の手が目にも止まらぬ速さで動いた。

もういらなくなったハンバーガーを、あたしの口に押し込んだのだ。

あたしは、びっくりして雅をまじまじと見つめた。雅はいたずらな瞳であたしを見ている。

あたしは、もぐもぐと口を動かした。けど、急に泣きたくなって目をきつく閉じた。

それから、まだ残ってた自分のハンバーガーを雅の口に入れ返す。

どうしようっ。こんな気持ちになるなんてっ。嫌だっ。

雅は、あたしの気持ちなど全然知らずに、ハンバーガーを口に入れたまま無邪気に笑う。

その笑顔を見ていると、せつなさがこみ上げて来て思いきり殴ってやりたくなった。

それを必死に抑える。こんな想い、知られるわけにいかない。

   

その夜。

雅に、「あたしも雅の事をとても好きになった」と告げたらどうなるだろう。と考えていた。

雅は、あたしを裕君と同じくらい好きだと言った。

「裕君も雅を好き」で、「あたしも雅を好き」で、「雅は両方を好き」と言う事が分かったら、

その後、事態はどう動くのか?

そこまで考えて、そこから先あたしの考えは進まない。

自分でバカバカしくてその考えを嘲笑してしまう。

でもすぐに、それはバカバカしい事でも笑い事でもないと思い知らされる。

言えるわけがない。今のうちに…早く裕君に手渡してしまおう。

彼はもう結婚だって出来る歳だし雅と暮らすことも出来るだろう。それが正しい。

そう考えた途端、息が止まりそうに胸が締めつけられるから。

それが正しいのは本当の事だ。だけど、あたしの気持ちは本当はそうじゃない。

どうして離れなきゃならないの。そばにいたい。馬鹿げてる。馬鹿げてるけどっ。裕君に取られたくない。

…こんなこと、自分勝手だ。雅と裕君の事を考えるなら、離れるしかないのに。

「嬌子といる時みたいに笑っていたい」

雅の言葉が脳裏に浮かぶ。

「なんて事だ」

あたしは、布団にもぐり込んだ。疲れてる筈なのに、いつまでも眠れなかった。

いつもなら、眠れない夜は本を読むけれど、とてもそんな気にはなれなかった。

「志保子おばさんのキスだよ」

手で頬を擦る。ああ、本当に。本を読む気にも、なれないなんて。

布団の中で丸まって、目を閉じる。静かな夜なのに、騒がしい。心の中が、まるで嵐。

   

次の日。雅は、お土産を渡しに、自転車で裕君の所へ行った。

急に降り出した雨が土砂降りになっている。雅はまだ帰って来ない。

渡すだけだから、すぐ帰ると言っていた。そろそろ夕飯でも作るか。

そう思って、鍋に水を入れて、材料を入れようとした時、電話がかかって来た。

出てみると、雅からだった。開口一番、迎えに来てと言う。

「今どこにいるの」

「薬局。急に降って来て出られないの。傘ないし」

「そこから5分じゃない。走って来なさいよ。

帰るだけなんだから、濡れてもいいでしょ。着替え出しとくから」

「えーっ、酸性雨で溶けちゃうよっ」

あたしは、電話の前でポカンとした。それから、溜息をつく。あー、困った奴。

仕方なく料理を中断して、雅を迎えに行くことにする。

家を出ると、向かいの家の前に赤い車がとまっていた。

その赤いボンネットの上で、雨がしぶきになって飛び散っている。

そう言えば雅が、卒業したら車の免許を取るって言ってたなぁ。確かにこう言う時、車があると便利だな。

そんな事を考えながら鍵を閉めると、薬局に向かった。

そして、薬局に着く頃には雨は小降りになっていた。

雅を自転車の後ろに乗せて、あたしが漕いで帰る。

雅は右手で傘をさしかけ、左手をあたしの腰にまわしている。

「お腹減っちゃった」

後ろから声がする。

「まだご飯、出来てないから」

あたしが事実を告げると、雅は不満そうな声を挙げた。

「えーっ。まだ出来てないの!?」

「あんたが迎えに来いって言うからでしょっ!!無茶苦茶言わないでよねっ」

怒ると、静かになった。しばらくしんとした後、腰にまわした手に力がこもる。

あれっ、と思っていると、雅のおでこが背中に当たる。あたしは何か言おうとして、やめた。

ひたすら前を向いて、ペダルを漕いだ。

もう二度と、雅とどこかへ行くのはやめよう。叩き込まなければ。…叩き、込まなければ。

 

 

     

 

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