優しくしないで2 後編
みちるがクルリと踵を返すのが見え、
すぐにドタドタと階段を降りてくる音が聞こえて、荒々しく玄関のドアが開いた。
彼女が姿を現す。
「あんたたち…何してんのっ!?」
叱責の感情を含んだその言葉と表情に、
「姉ちゃん…」
ミノが、驚いた顔をしてから、ハッとして青ざめた。すぐに、
「カ、カズは悪くないよっ。僕が誘ったんだっ」
俺を庇うようにして、自分の胸に手を当てて告げる。
それを聞いたみちるは呆気にとられた顔でしばらく固まった後、
眉間にしわを寄せてミノに聞いた。
「ミノル、あんた、和樹のこと好きなの?」
信じたくないというか、嫌なものを見たと思っている感じがアリアリだったが、
でも、性格的に真実を知らずにはいられないらしく、ハッキリと聞いてきた。
ミノがみちるを見ながら頷き、彼女が確認するようにミノの顔を覗き込む。
「そういう意味で?」
その問いに、再びミノが強く頷く。
「それは、和樹に言ったの?」
さらに質問は続き、ミノがまた頷いた。
みちるがじっとミノの顔を見つめ、その後、視線が移動する。
「で、あんたはどうなのよ」
現場を見られて、驚きのあまり身動きできないでいる俺に、矛先が向けられた。
「ど、どうなのよって…お、俺は…」
なんと言っていいか、言葉が出ずに気だけ焦っていると、
「好きなの?嫌いなの?」
みちるが、急かすようにして答えを迫ってくる。
ミノは好きだと告げた。でも、俺は曖昧に誤魔化してしまっている。
それを、みちるにどう説明すればいいんだろう。
…できれば言いたくない。
どうしようか迷って黙っていたら、
「もしかして、はっきり返事もしないまま、これまでもこういうことしてるの?」
探るようにして聞いてきた。
「いや…そんなことは、いやいやいや」
俺は半笑いの表情を浮かべながら、顔の前で手をブンブンと振った。
その通りだし、それ以上もしてるけど…
なんて言ったら、ぶっ殺されそうだ。
でも、真面目な話、ミノとエッチはしてるけど、俺はミノ自身をそういう意味で、
そういうことをしたいくらいすごく好きなのか、って聞かれたら、やっぱりよく分からないのだ。
流れでしてしまって、それが今も続いている。
薄情かも知れなくても、実際そうなのだから、仕方ない。
でも今の剣幕のみちるにそんなことを言っても、
到底分かってもらえないだろうし、この場もおさまらない気がする。
「なんで、答えられないの?もしかして、ミノルを弄んでるだけなの?」
「違うっ、俺は」
「俺は?」
う…。
言葉に詰まると、そんな俺を、ギンと音がしそうな、鋭さの増した視線で睨みつけてくる。
ミノが心配そうな表情で、二人の間で、おろおろと成り行きを見守っている。
俺は追い詰められて、何か言わなければと焦り、気づいたら怒鳴っていた。
「う、うるさいっ。みちるに関係ないだろっ。これは俺とミノの問題なんだからっ。
なんでお前に言わなきゃなんねぇんだよっ」
その態度が、みちるの逆鱗に触れたらしく、彼女の眉が吊り上る。
「あんた、誰に向かってモノ言ってんのっ!?」
やべっ、と思ったが、もう遅い。
「人の大事な弟に手ぇ出しといて、何その言い草はぁっ!!」
みちるが大声で怒鳴り返し、俺は思わずその勢いに押されてしまう。
その迫力は凄まじく、マジで、背後に雷(いかづち)が見えた気がした。
たかが一つ年上なだけの、友達の姉貴ではあるけれど、
小さい頃ミノと一緒にいろいろ面倒見てもらったり、世話になったりしてるので、
気持ち的に頭が上がらない。
怒鳴られると、二人とも条件反射的に、弱くなってしまうところがある。
「あんたもあんたでしょっ。
告白の返事もちゃんと聞かせてくれないようないい加減男のどこがいいわけ!?
こんなのと付き合わなくても、お姉ちゃんがいい子紹介してあげるわよ!」
それを聞いて、ミノの顔が引きつった。
「姉ちゃん、待って。ちょっと待ってよっ。僕、カズじゃなきゃ駄目なんだ。
カズは好きって言ってくれないけど、…そりゃ、カズが僕を好きになってくれたら嬉しいけど、
でもそうでなくても、それでもいいんだ」
ミノが訴えるように自分の気持ちを吐露し、
みちるがますますもって信じられないというように目を見開いて、それから、バッとミノの手を掴む。
グイッと引っ張って俺のそばから引き離し、
「あんたの為にならないから、とうぶん会わせない」
低い声でそうミノに告げると、そのまま手を引いて歩きだした。
「そんなっ」
ミノが悲痛な声をあげて、振り返って俺を見る。
「カズッ」
叫ぶ声が聞こえたけれど、俺はその場から動けなかった。
だって、みちるの言うことは、間違っていない。
俺は、自分の気持ちも告げないまま、ミノが望むのをいいことに、
抱きたいだけミノを抱いていたのだ。
ミノは、みちるに引きずられるようにして、
家に入っていき、玄関のドアがバタンと閉じられた。
俺は、なんだか急に遠くなったように感じられたミノの家の前で、
しばらく佇んだ後、自分の家に向かってゆっくりと歩き出した。
ミノと会えなくなってから、二週間が過ぎた。
メールも禁止されているのか、全く送られて来ない。
「ふぅ」
ミノとのエッチで抜いていたのが、ミノと会えなくなって溜まるようになってしまった。
しょうがないから、自分で抜く。
その時のオカズは、別に誰だっていいのに、やっぱりミノが思い浮かんだ。
こんなときに不謹慎かも知れなくても、
ミノのすっげぇやらしいとことか想像して、そうすると、すぐにイけた。
体液を受けたティッシュをゴミ箱に投げ入れながら、俺はやるせなく思う。
なんでこんなふうに出来てんだろうなぁ。男の体って。
はっきり言って、持て余し気味だ。
ベッドに横になったまま、溜息をついて、天井を見上げる。
ミノとエッチする関係になる前だって、ミノとは一週間に一度は会っていた。
それが、全く会えないと思うと、なんか淋しいっつうか、胸にポッカリ穴が空いたようなっつうか。
顔を見ないと、落ち着かない。
生活の中にミノが全くいないのは、ミノ成分が不足してるって気がする。
…なんだよ、ミノ成分って。
自分で考えておいて、その思考に苦笑した。
それから、ふーっと大きく溜息をつく。
とにかくすごい喪失感に襲われているのは、確かだった。
……。
ミノと馬が合うってことは、分かってる。
ミノが俺を好きだってことも分かってる。
だけど、俺は、ミノに好きだとは言っていない。
自分がミノを好きかどうかも、自分ではよく分からない。
でも、嫌いだったら手ぇ出してないだろうし…
ふいに、高校に上がるとき、ミノと同じ学校を受けようとしたことを思い出す。
結局、ミノがレベルの高い高校を選んでしまって受けられなかったが、
出来るなら俺は同じところに行きたかったのだ。
「ミノ…」
また溜息が出た。
ついで、みちるの言葉が、脳裏によみがえる。
「告白の返事もちゃんと聞かせてくれないようないい加減男のどこがいいわけ!?」
みちるの気持ちも分かる。
もし、自分にも兄弟がいて、そういう扱いを受けていたら、俺もそう思うだろう。
ふざけんなって話だ。
ましてや、本当は、あんなことをしてるんだから。
などと、つらつらと考えていたら、ピンポンと呼び鈴が鳴った。
誰だろうと思いつつ起き上がって、階下に降りて玄関に行き、
「どちらさまですか」
とドアを開けずに聞いた。
が、返事がない。
セールスマンか何かか?
名乗らない場合は、ドアを開けないと決めているので、
今回も俺はいつもの場合と同じように背を向け、自分の部屋に戻ろうとした。
でも、足を踏み出したところで予感がして、俺はもう一度振り返り、ドアに歩み寄った。
ガチャッ。
ドアを開けると、そこにはやっぱりミノが立っていて、
「ミノっ」
俺が驚いて固まったら、眉を寄せてちょっと泣きそうにも見える顔で、じっと俺の顔を見つめた。
「みちるに黙ってきたのか?会うなって言われてるんだろ」
そう問いかけると、中に入ってくる。
「いいんだよ、あんな姉ちゃんなんかっ」
ミノが悪態をつき、俺はその意外な言葉に、ちょっと呆気に取られた。
ミノがみちるに歯向かうなんて、超珍しい。
珍しいというか、…初めてなんじゃないか?
ビックリだ。
それから、その言葉の内容に思わず笑う。
俺は、みちるがどれほどミノを好きで、かわいく誇らしく思っているかってことを、
いつもしつこいほどの弟自慢を聞かされて、知っている。
だから、ミノと同じ熱さで憤りを感じることは出来なかった。
ミノの肩に手を乗せて、
「あんなって言うけどさ」
みちるがミノのことを話すときの表情を思い出しながら、言う。
「みちるはミノのことすごく大事に思ってると思うよ」
ミノが、その言葉に驚いたように顔を上げる。
俺を見て、それからちょっとしゅんとしたように俯き、でもすぐに不満げな顔をした。
「だけど、このままじゃ、カズとずっと会えないし」
俺は、それを聞いて笑う。
分かってもらえるかどうか分からないけど、ミノと離れてみて感じたことを、
みちるに話してみようという気になっていた。
俺は、安心させるようにミノの背中を軽くポンポンと叩く。
「俺がもう一度、みちるとちゃんと話すよ。悪いのは俺なんだから」
「でも…」
ミノが不安そうにして、続けて何か言おうとしたとき、俺の携帯が鳴った。
ポケットから取り出して画面表示を見る。
みちるだ。
「もしもし」
出ると、
『和樹?そっちにミノルいる?』
と聞いてきた。
「ああ」
と返事をしたら、みちるは、
『やっぱり。すぐに行くから』
と怒りの色を含んだ低い声で呟いた後、電話を切った。
聞こえていたのか、ミノが「どうしよう」と不安そうに俺を見たが、
どうする暇もなく呼び鈴が鳴って、二人してビクッとする。
まさか、と思っていたら、こちらからの返事を待つ気配もなしに、バッとドアが開けられた。
開け放たれたドアの向こうに、みちるが立っている。
俺の家とミノの家は歩いて五分程度の距離だから、
近いのは確かだが、こんなに早く着くことは出来ない。
どうやら、こっちに向かって歩きながら電話をかけてきていたようだ。
「みちる…」
「姉ちゃん…」
俺と、俺に寄り添うようにしているミノを眺めるようにしてから、
みちるは額に手を当てて、大きく一つ息を吐いた。
それから顔を上げ、
「ミノル」
とミノに呼びかけて、おもむろに切り出した。
「私はね、男同士なんて絶対駄目って言うような固い人間じゃないのよ。
ちゃんと想い合ってて、ミノルが幸せだってんなら、認めるし、文句はないの」
そう言った後、次いで俺に射抜くような鋭い視線を向ける。
「ただ、自分の気持ちも口にしないまま、
いいように付き合おうなんてズルい考えの奴にあんたを」
「ハッキリすればいいんだろ」
俺は、続けようとするみちるの言葉を遮った。
割り込まれて続けられなくなったみちるが、
一瞬口を噤んでからたじろいだように「そ、そうよ」と頷く。
俺は、二週間ミノと離れてみて、特にここ二、三日の間に感じ始めた気持ちを思い出した。
それから、みちるを真正面から見つめる。
「俺、ミノが好きだ。だから、ミノとの交際を認めて欲しい」
俺がそう口にすると、ミノが「え」と俺の顔を見て、
きつい目をしていたみちるも揃って同じ顔をした。
こうして二人並べてみると、やっぱり姉弟だけあって、よく似ている。
「本当に?」
みちるが、眉間にしわを寄せて、俺の顔を覗き込むようにし、俺は頷いた。
「本当に?」
次いで、ミノが同じ言葉を少し嬉しそうにして呟き、俺はミノに目をやって、
もう一度「ああ」と頷く。
ミノが好きだ、と口に出して言ってみて、それが間違っていないと確信する。
みちるは、俺をしばらくじっと見た後、
「ミノルを幸せにしてやってよ」
泣きそうになっているのか、瞳を潤ませた。
長いつきあいの中で、そんな顔を見たことがなかった俺は、ちょっとうろたえた。
昔から、みちるは口が達者で、強くて、姉ちゃん風を吹かせていて、
いつも俺たちを守ろうとしてて、面倒見が良くて、明るくて…
泣くなんて、イメージの中になかった。
「あ…ああ」
うろたえながらも再び頷くと、眉が八の字に歪んでますます泣きそうな顔になる。
「え」
泣くのかと思ってドギマギしていると、みちるは体をヒラリと翻して、玄関から駆け去っていった。
なんか呆然とする。
なんで泣くんだよ。
まさか、ひょっとして、娘を取られるお父さんみたいな心境なのか?
みちるの気持ちを測りかねて、そんなことを考えながら、彼女が去っていった方を見つめていたら、
「カズ」
ミノが俺の名を呼んだ。振り返ると、
「僕、信じていいの?」
むちゃくちゃ真剣な顔で、俺を見つめてくる。
俺は、少し照れくさくて、目を逸らして言った。
「ああ。まあ…そういうことなんだろうなぁ」
その言葉に、ミノが嬉しそうに笑う。
本当の本当を言うなら、俺は今もまだ自分の気持ちを、掴みかねている。
でもミノに会えない間淋しかったのは事実だし、
ただの「好き」でもいいなら、俺はミノのことが好きだ。
ものすごく好き、と思えなければ付き合っちゃいけないって決まりもないだろう。
その後、ふとみちるの言っていたことを思い出した。
「そう言えば、成績が下がったってほんとか?
俺と付き合ったからってミノの成績が下がるなら、考えないとな」
それを聞いて、ミノが慌てた。
「だ、大丈夫だよ。
最近確かに、カズとのエッチのことばっか考えて勉強がおろそかになってたけど、また頑張るから」
そんなに俺とのエッチのことばっか考えてたのか。
ミノ…変わったな。
「頑張らないとカズと離れなきゃならないなら、僕どれだけでも頑張れるよ」
なんだか健気な言葉を吐いて、目を輝かせているミノを見て、俺は玄関のドアを閉めて鍵をかけた。
そうして、ミノを抱き寄せる。
「本当か?」
耳元で聞くと、少しくすぐったそうにして、ミノが「うん」と答えて俺を見つめた。
整った顔立ちに長い睫毛。
それに、物欲しげに艶めく唇で見上げてくるその表情に魅入られて、俺は顔を寄せて唇を合わせる。
「でも、好きって言ったからって、変に優しくしないでいいから」
唇が離れると、ミノが普通ではつけないような、
この上なくミノらしいそんな注文をつけてきて、俺はニッと笑った。
「そんなこと言われたら、むちゃくちゃしたくなるけど、いい?」
ミノが嬉しそうに笑顔を返して、
「いいよ、むちゃくちゃして」
と頷く。
その言葉に煽られて、俺は、ミノの手を取った。
多分これからも、俺とミノのエッチは軽くSMの入ったエッチで、
きっとそれが二人には一番しっくり来るわけで…
ただ、ちょっとだけ、今までより気持ちがこもるかも。
うん。きっと、ちょっとだけ。
そうして、俺は、好きだと思いながらも、やっぱり苛めてしまうことを予感しつつ、
ミノと一緒に階段を上った。
了
2011.02.14