2016 

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2018 

赤沢自然休養林の薫りに誘われて。

長野県木曽上松、R19より赤沢への道程15k
いつもの事であるが、思い立った様に早朝車を走らせ一路上松へ。
三時間ほどの道程だが早朝の爽やかな風に時間を忘れる。
27年前、庭石の検査を兼ね訪れた場所は木曽ヒノキの森につつまれて、渓流とのコントラストが美しい地区となっていた。訪れたこの日も当時と変わりなく、自然が維持されていた。
近年の森林セラピー効果の高まりをいち早く打ち出し、日本で最初の森林浴発祥の地として訪れる人が多くなっている。

ここで少し赤沢自然休養林の歴史と木曽の山について触れておきたい。

木曽ヒノキは平安の頃より広く知られ、安土桃山の時代では伏見城築城の材として利用される。
江戸時代には城下町の繁栄に依り多くの材が切り出されるようになる。
その結果、木曽の山は荒れ、木々が少なくなってしまった。
尾張藩は「木一本首一つ」という厳しいおふれを出して、山の木を守り始めた。
その甲斐があり、木々は蘇りました。
明治時代から木曽の山々の大部分は「御料林」と呼ばれ皇室の財産となり、太平洋戦争後は「国有林」として管理されている。
戦後の復興と経済成長により再び木々が大量に切られるようになったが、上松町の赤沢地域は「林木遺伝資源保存林」「植物郡落保護林」に指定され保護されている。
又、この地域は昭和44年に日本で最初の「自然休養林」に指定され、昭和57年には第一回全国森林浴大会が開催され「森林浴発祥の地」としても知られている。
  
                                           
                                      
赤沢自然養林散策マップより

2012 

2014.4.4

先日、仕事の合間をぬって豊田市美術館に行って来ました。

「愛・知のリアリズム」と題した宮脇晴の作品世界

地元の洋画家の一人、宮脇晴。
岸田劉生らの草土社、それに刺激を受け結成された愛美社を代表する作家たちの作品を通じて宮脇の全体像を振り返ってみようとする展示である。

もう一つは「手探りのリアリズム」と題して、村岡三郎の作品に出会う事が出来た。
鉄を用いた日本のパイオニアである。
熔断という高熱バーナーで断ち切る方法でリアリティを求め
物質とエネルギー、精神との関連性を求めた作家である。
惜しくも2013年に逝去した村岡への追悼展でもある。

それにしても、時折足が向くのにはこの美術館に魅力があるからに相違ない。


つい先頃、東山魁夷館も見る機会があり、偶然双方の美術館を訪れる事が出来た。(設計:谷口吉生)

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2019

2014.4.28

2013 

毎日蒸し暑い日が続く。
どうも仕事にも集中出来ない。
さて、今日はOFFにして・・・・・

情報誌に目をやると、清須市はるひ美術館『ブルーノ・ムナーリ アートのなかの遊び』
特別展が掲載されている。
そこでまだ訪れた事がなかった事もあり、早速車を走らせて現地へ向かう。
五条川のほとりにあり、隣には図書館、中央に芝生の広場がある。
さて美術館の入口は・・・・・
暫く歩くと大根らしきオブジェクトに出会う。
地中よりニョキッと出た姿はユーモラスな形をしている(宮重大根をモチーフとしたとのこと)

さて、目的の美術館内へ。
夏休み中とあって子供さんの姿が多く見られる。

Bruno Munari(1907-1998)イタリア生まれ。
グラフィックデザインから絵画・彫刻・プロダクトデザイン・絵本・遊具、子供のための造形教育
など多岐にわたる分野で活躍した作家である。
1960年には東京で開催された「世界デザイン会議」のため初来日。
触覚で何かを感じ伝え合う、この関心から生まれたワークショップ。
ムナーリの作品は子供の想像力を掻き立ててくれるようです。
造形作品を作ることだけが目的ではなく、発想の豊かさを育む場として大人にもわかってもらいたい。
そんな強い思いがあったのだろう。
今度訪れる時は是非、孫を連れて来ようと思う。



                           
2014/7/5~9/28  清須市はるひ美術館


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2014.12.16

旅行のための彫刻 (1958/1965)

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2015 

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日頃の運動不足を少しでも解消しようと、諸用のない限り歩くようにしている。
特に私の事務所近くには城山八幡宮というありがたい神社があり、時折利用させて頂いている。
この神域は末森城跡地という事もあって、空堀などが残り樹木もその当時のものと思われる。
常緑樹と落葉樹の混合林でアベマキなども見られる。
つい先頃も雨上がりに歩いたが、“緑の薫”が周りに芳香していて穏やかになる感覚を味わう事が出来た。
但し、全体を覆う緑のボリュームが年々減少しているように思われる事が気掛かりだ。

この地の歴史を少し書き加えると、室町の時代は尾張国愛知郡鳴海荘末森村、
1548年天文17年には織田信秀(信長の父)が築城、乱世の時代へと向かう。
まさに有為転変。明治4年四つの社を合祀し、昭和11年遷座し、昭和31年現在の城山八幡宮に改称された。


新年には多くの人々の初詣で賑わい、身近で最も日本的な風景が見られる。
はてさて、来年はどんな年になるだろうか、二拝二拍手一拝の意味合いに触れながら
良き年にしたいものです。

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2014.8.7

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