2015.7.10

2015.9.11

2015.3.4

このところの精神性のストレスを中和する為
以前訪れたことのある一宮に出向く事にした。
この日も梅雨空で気分は重い。

現地に到着。右手に博物館、左手にその目的地がある。
参道から奥へ延びた景色は凛とした禅寺の風格を漂わせている。
中程へ進むにつれ、またまたその様相は高まってくる。

妙興寺、臨済宗妙心寺派の大寺院である。
山号は長嶋山、寺号は妙興報恩禅寺と称する。

伽藍は素晴らしく、よく整えられた樹木と苔むした景色は、
ここが一宮?と思わせる程に誘ってくれる。
特に勅使門は国の重要文化財(室町時代)
総門は名古屋城からの移築とある。
又、鍾楼は愛知県指定有形文化財(江戸時代)となっている。
他、多数の文化財があり、尾張の正倉院とも呼ばれている。

新陰流開祖、上泉信綱が修行したと記。
無刀取り発祥の地とされている。


境内を歩く中、身体が解けてくるのを覚えた。

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2015.3.4

久々の長野行き…
今回の旅は兼ねてより気になっていた美術館を訪れるという計画から実現した。
一年半振りの友人Nさんとの再会に心はワクワク
Nさんには無理なお願いをしてしまった…
「しなの」で行く3時間は日頃の喧噪を忘れさせてくれる。

長野着、Nさんと合流、目的の戸隠へ
途中鏡池にて一服。静寂に包まれた中で眼の前に見える戸隠山と池に映る景はまさに1枚の絵画のようである。
戸隠山の景は周りの山とは明らかに姿が違う。
その昔、海底であった地層が隆起し現在の姿になったと云う。

戸隠の名前の由来は「天照大御神が高天ヶ原の天の岩戸に隠れた時、天手力雄命がその岩戸をここまで投げ飛ばし、世に光を取り戻したとの伝説による。」

昼近くなったところで、戸隠そばを。
さすがに美味であった。

中社で参拝
森林植物園近くを散策
季節には水芭蕉、カタクリの群落が見られると云う。

さて、目的地へと近付いてきた。
越水ヶ原の周りは雑木林とクマザサの生茂る高原である。
特にミズナラの大木が多く見られる。
北野美術館 戸隠館はこの様な自然に恵まれた中に位置している。
建物は六角形の展示棟と渡りで繋ぐ変形六角形の棟からなるシンプルな構成となっている。
国技館や京都南座などで知られる建築家、今里隆の設計との事。

この環境の中での芸術鑑賞は都会では味わえない至福の時を提供してくれる。
今年4月に開館したばかりのこの美術館が担う役割は大きく、年間100万人が訪れるこの地域の活性と大きく結びつき、益々多くの来訪者が生まれる事と思う。

この旅にあたりNさんには、芸術に携わる多くの人々との交流に接する機会を頂き、
貴重な時間を過ごさせて頂きました。感謝。





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足助町の観光といえば香嵐渓。
春はカタクリの花、秋は紅葉と、この地の代名詞となっている。
そこから奥へ一歩踏み込むと伊那街道(中馬街道とも)で有名な町並へ。
一瞬タイムスリップしたかのような風景に出会う事が出来る。

ついこの間、気分転換にと懐かしい風情に浸りたく車を走らせた。
名古屋からわずか一時間程の道程にあることが嬉しい。
この日はたまたま「中馬のおひなさん」の展示中でもあり、各家々が様々な年代の雛を飾り、
町中は大勢の観光客で賑わっていた。
町並を散策すると、江戸期・明治期に建てられた家が多く見られ、
凛とした日本の佇まいが何とも嬉しい。
平入、妻入の町家が混在する町並
間口が狭く奥行が深い敷地は妻入形式となる傾向なのか、段差を活用した家屋、商屋。
白漆喰の外壁、黒下見板貼の小路、そこから眺める足助川。
背後に迫る山の風景は“背山面水”の考え方が取り入れられたということなのか。
何れにしても、商業と人々の暮らしを巧みに生かしながら、先人は自然と共存する知恵があったことに気付かされる。

尾張、三河から信濃を結ぶ街道として重要な中継地であったこの地、
特に塩はここで詰め替えられ「足助塩」「足助直し」と呼ばれたそうだ。
各地の一俵当りの量の差を、ここで調整し北へ西へと馬で運ばれて行ったようである。

因に中馬とは、江戸時代に信州の馬稼ぎ人達が作った同業者の組合の事で「賃馬」「中継馬」が語源と言われている。この中馬と呼ばれる人達が行き来したことから、別名“中馬街道”とも呼ばれている。