お弔い

グリーフケア

グリーフとは

 グリーフとは「大切な人やものを失ったときに生まれてくるその人なりの自然な反応や、感情、プロセス」のことです。死別を経験したときには、悲しみばかりではなく、後悔、怒り、ときに安堵感さえも生まれてきます。体にも頭痛や胃痛、不眠といった症状が現れる場合もあります。そうした反応すべてをグリーフととらえています。(一般社団法人「リヴオン」より)

グリーフの手当て

 転んでひざをすりむいたときは、消毒してばんそうこうを貼る。「痛いの痛いのとんでいけ~」と誰かが言ってくれる。いつか誰もが経験する「大切なものをなくす」ことにも、その傷の手当ての方法があります。ご自身のグリーフをケアしていくこと、そのサポートをさせていただきたいと思います。

自分のグリーフを大切にする

 感じ方、反応は一人ひとり違います。自分と他人を比較するのではなく、自分のこの感情は自然なこと、と受け止めること。死が終わりではなく、なくしたものもわたしの中で生きていて、つながっていること。立ち直ろう、乗り越えようとするのではなく、いつまでも自分の中に抱えているのは自然なことと知ること。自分を許したり甘やかしたり、ほっと楽にすること。

大切なひとをなくした人のための権利条約

 「グリーフはなくすものではなく、かかえやすくしていくもの」

 一般社団法人「リヴオン」は「いつ、どこで、どのような形で大切な人をなくしても、その人が必要とするサポートを確実に得られる社会の実現」を目指した団体です。教西寺は「リヴオン」に学ばせていただき、その活動、方針に賛同しています。

亡き人は仏さまに成られる

必ず救う

 阿弥陀さま(阿弥陀如来・南無阿弥陀仏)は、生きとし生けるものを必ず救うと誓われました。そしてその願いは成就し、わたしたちは現にその護りにつつまれています。

 命終えた人は、煩悩を抱えたままで、必ず極楽浄土に往き、生まれ(往生)させていただき、さとりの境地「仏」と成らせて(成仏)いただきます。この世の命から仏のいのちへと生まれさせていただけるのです。

見守られて生きる

 仏さまと成られた方は、ご自身が安楽の境地にとどまるのみでなく、この世に還り来たって、わたしたちをお救い下さいます。

 仏さまは大いなる智慧と大いなる慈悲をお持ちになります。わたしのことを全てわかってくださって、受け入れて下さいます。

 仏さまの救いは、「いつでもどこでも見守っている」ということです。見守られて生きるわたしは、決して独りになることはありません。仏さまと成られた亡き方に、日々の報告をし、迷ったときの相談をし、生き様を問い、疲れたときに慰めていただき、うれしかったことを分かち、力づけていただき、寂しいときにそばで分かって下さる。仏さまとともに生きることが、ありがたい人生を生かされて生きることにつながるのです。

俱会一処(くえいっしょ)

 阿弥陀さまの極楽浄土は、亡くした人が往かれた世界であるとともに、わたしがいつか往かせていただくところです。

 俱会一処(ともに ひとつところで あう)とのお示しの通り、わたしは亡くした人やご先祖さまと、お浄土にて再び合わせていただきます。そのときは、お互いに仏のさとりの境地、必ず良き再会となりますから、楽しみに思います。

ご葬儀

 何でも、「こんなこと聞いていいのかな」ということこそお聞き下さい。お経本をお配りし、皆さまと一緒にお勤めいたします。大切な人をしっかりと送って差し上げましょう。

 「人が一人この世を生きた」ということは、大変なことです。その人生を振り返ると、様々なご縁に気づかされます。亡き方の尊厳を大切にし、自分とつながるいのちであると気づかせていただくのです。

 大変なときには、ご家族ご親族だけではなく、お友達やご近所さま、様々な専門家など、いろいろなサポートがあります。お寺も、そうしたあなたを支えるもののひとつです。

臨終勤行(枕経)

りんじゅうごんぎょう

臨終勤行とは

 本来は、本人が命の終わりに臨むお勤めです。実際には多くは住職が代わって親族とともに、これまでの阿弥陀さまのおはたらきに感謝しお勤めします。一般的には枕元でのお勤めですので、枕経という呼称があります。

いつでもお電話ください

 大切な人を亡くしたときは、24時間いつでもお電話下さい。出来る限り早く駆け付けます。ご自宅以外で亡くなられたときは、故人さまを一度ご自宅に連れ帰られて、お仏壇にご挨拶いたしましょう。(ご事情によってはご自宅に帰らず、教西寺や葬儀場に直接お連れすることもあります。)

亡き方のこと、お聞かせください

 亡き方の生い立ち、生きざま、ご趣味や好きなこと、大切にされたこと、思い出など、お聞かせ下さい。法名の参考にもさせていただきます。ご親族やご友人の話を聞くことで、それぞれの方の中にある亡き方の思い出を共有し、亡き方を思う時間を少しでも持っていただくきっかけとなれば、と願っております。

 

浄土真宗本願寺派(西本願寺)

教西寺(きょうさいじ)

〒466-0012 名古屋市昭和区小桜町2-4

Mobile:090 - 6507 - 1400 (緊急時)

E-Mail:kyosaiji@mediacat.ne.jp

 ◆ご葬儀の日取りは、まずは教西寺にご相談ください。

法名

ほうみょう

法名とは 

 浄土真宗では法名を名付けます。一般的には戒名とききますが、浄土真宗では戒を授かるものではないので、戒名とはいいません。煩悩が絶えず、戒律を守ることのできない私たちを、「そのままに必ず救い、浄土へ迎え仏と成らせる」という阿弥陀如来さまのはたらきを「法」と呼び、その法の中に生かされている私たちがいただく名前を「法名」といいます。

釋 ○○

 法名は誰でも共通で、「釋 ○○」になります。「釋」は釈尊(お釈迦様)の「釋(旧字体)」であり、仏弟子であるという名乗りです。

亡き方にふさわしく

 法名は、臨終勤行の際に伺ったお話をもとに、亡き方の生きざまにふさわしく、また仏さまと成られたおはたらきを受け取ることのできるお名前をおつけいたします。(生前のうちにご本山「西本願寺」より、法名をいただくこともできます。

 

院号とは 

 「○○院 釋 ○○」と、法名の前につきます。

 院号とは、もともとは寺院の名をそこに住む人におくり名したものです。又は、寺院を建立するほどの多大な貢献をされた方に敬称として授与されました。
現在は、寺院・教団の護持につくされた方や、社会のために貢献された方に、敬称として授与されます。本願寺住職(浄土真宗本願寺派門主)より授かります。

 ご本人が亡くなられてからでも、ご家族が代わって本願寺の護持に貢献(ご懇志を上げる)することで、院号を授かることができます。(教西寺はそのお取次ぎをいたします。)

通夜

つや

亡き人を偲ぶ

 ご葬儀の前夜に、お勤めします。お通夜では、亡くした人への様々なご恩に感謝申し上げます。亡き人は仏さまと成られ、これからはわたしを見守って下さいます。

ご縁を思う

 かつては「お通夜」の言葉通り、夜を通して行われたものです。亡き人の思い出を語り合ったり、親族だけではなく、ご友人やご縁のある様々な方とゆっくりとお話をしたり、写真アルバムや大切な持ち物などを愛でたりしつつ、泣いて、笑って、怒って、ぐちって、、、。体調に影響のない範囲で、そういう時間を持つのもいいかもしれません。

葬儀

そうぎ

おかみそり(剃髪式)

 生前に帰敬式を受けていない場合に行います。剃刀をあて「仏・法・僧」の三宝に帰依し、仏弟子として法名をいただきます。

出棺勤行(しゅっかんごんぎょう)

ご葬儀のはじまり 

 もともとはご自宅から葬場に出棺するときにお勤めされていました。現在は葬儀の中でお勤めします。 

 出棺勤行の後、転座(導師が後ろに下がり)、葬場勤行に続きます。

葬場勤行(そうじょうごんぎょう)

「正信偈」のお勤め 

 「正信偈」を皆でお勤めいたします。浄土真宗の真髄(エッセンス)が示された、大切なお勤めです。

阿弥陀さまの救いの中で

 「良い世界へ行ってください」というお祈りではありません。亡き人はすでに、阿弥陀さまのおはたらきによって極楽浄土に救われて仏さまと成られています。感謝の気持ちを込めてお勤めいたします。

ご葬儀の荘厳(しょうごん=お飾り)

 花は白い「紙華(しか)」をお飾りします。釈尊の入滅にあたって、沙羅双樹の花が半分白くなり、半分散ったとされていることに由来します。導師は、最高の礼装(七条袈裟)に身をつつみます。

路念仏(じねんぶつ)

お別れの念仏

 お勤めの後、お柩にお花などをお入れし、最後のご挨拶をいたします。よろしければ、亡き人のお体にふれ、お声かけ下さい。 路念仏は、本来は道中(自宅~葬場~火葬場)において勤めるものです。

浄土での再会を

 「今までありがとうございました。これからは仏さまとしてお見守り下さること、ありがとうございます。いつかわたしも命終え、あなたと同じくお浄土にまいります。そのとき、再び会わせていただきます。」と住職が申し上げ、路念仏を称えます。

火屋勤行

ひやごんぎょう

 火葬場において、火葬の直前にお勤めいたします。

 どんな感情や反応が表れるかは「その時」「人それぞれ」です。自分も周りも「そのままに」。(通夜や葬儀でも同様です。)

収骨

しゅうこつ

いのちは巡る 

 お身体は火葬されますが、消え去るわけではありません。灰となり煙となり、土となり空気となり地球となり、やがては別のいのちとなることでしょう。また、亡き人の教えや思い出は、わたしの中に生き続け、わたしの血となり肉となり心となっています。

命をかけた尊い教え

 ご遺骨は、大切な方からしか教わることができない、わたしへの教えです。誰もが必ず同じ姿になる、それを身をもってお伝え下さる尊いお姿です。

 

御収骨 

 火葬には1時間半~2時間程度かかります。ご遺骨を骨つぼに収める際は、火葬場によっては独特な習慣があるようです(二人で同時に箸でつかむなど)。しかし、浄土真宗には決まった作法はありません。大切な方のご遺骨ですから、手で取り、骨つぼに移して差し上げることもできます。(熱さにはご注意下さい。)

御分骨

 名古屋では基本的には部分収骨(ご遺骨の一部分を骨壺に収める)です。(全てのお骨を持ち帰るためには、特別に申し出る必要があります。)骨壺の大きさは、後の納骨・分骨を考えて選んでおくことができます。

還骨勤行・初七日法要

かんこつごんぎょう・しょなのかほうよう

還骨勤行

 火葬場から帰ってきて(ご遺骨を持ち還って)お勤めします。あらためて諸行無常、人のはかなさを教えていただきます。

 亡き人は仏さまと成られ、わたしを見守って下さっていることを思って、感謝申し上げます。

 

初七日法要

 本来は亡くなった日から数えて7日目の中陰のお勤めです。

 7日目に再び集まることが難しい(集まれないけどお参りしたい)こと、実際には葬儀の数日後になることなどから、還骨勤行に続けてお勤めすることがほとんどです。

 

白骨の御文章

 最後に「白骨の御文章」を拝読いたします。はかない命であるからこそ、今を大切に生きていく姿勢をいただきます。

  ※御文章~第八代蓮如上人が全国のご門徒に向けて書かれたお手紙

 

自分を休ませる

 身近な人との死別は、大変なことです。その後、ご葬儀が終わるまではすること、決めること、時間に追われてしまうかもしれません。お心もお身体もお疲れになっているかもしれません。どうぞできるだけ、ご自分を休ませてあげることを心にかけられますように。

 

中陰・四十九日・百か日

中陰法要

ちゅういんほうよう

中陰とは

 四十九日までの間を中陰といい、七日ごとにお勤めをいたします。初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(=四十九日)。

 亡くなってからまた生まれるまでの期間が四十九日であり、その間さまよう状態にあるとする考え方から、法要をお勤めするようになりました。

静かに偲ぶ時間

 しかし、浄土真宗では亡き人はすでに阿弥陀さまのおはたらきによって、お浄土で仏さまに成っておいでです。
 七日ごとに心を落ち着け、亡き方を偲び、亡き方と語らい、感謝申し上げ、自分のいのちについて見つめるご縁として、お勤めします。

満中陰法要(四十九日・忌明け)

まんちゅういんほうよう(しじゅうくにち・きあけ)

 七七日(四十九日)を満中陰といいます。俗に忌明けともいいます。家族だけでなく、親戚、友人等なるべく多くの人にお参りいただきます。それぞれでお参りすることももちろんですが、皆さまで集まってお勤めし、亡き方への思いを共有する空間、時間を持つことは、その思いをかかえやすくする手助けとなることがあります。

百か日法要

ひゃっかにちほうよう

 ご命日から数えて百日目に、近しい人が集まり故人様を偲んでお勤めします。季節が移ったことを仏前に報告しつつ、亡き方を偲び、心と身体を整えます。

 他の宗教でも、50日、100日を節目とするものがあるように、人間の心身の状態を整えるため、先人たちの経験からこれらの法要が勤められるように なっていったのではないでしょうか。

入仏法要

にゅうぶつほうよう

お仏壇~手を合わせるよすが

 お仏壇のない方は、満中陰までにお求め下さい。

 仏さまはどこにいても見守って下さいます。しかし、礼拝対象、亡き方を偲ぶよすががないと、なかなか手を合わせにくいものです。お仏壇は亡き方、仏さまと語らい、日々のよりどころとさせていただくものです。

 新しくお仏壇をご安置されたときは、ご挨拶の入仏法要をお勤めします。

納骨法要

のうこつほうよう

御納骨の時期

 四十九日が過ぎてから、納骨いたします。御納骨の時期に決まりはありません。一周忌、三回忌の機会に納骨される方が多いですが、ご自身のお心が整われてから、納骨して下さい。

 御納骨の際は、墓前にて読経いたします。

 気候の良い春秋のお彼岸、家族が集まるお盆などにお墓参りされる方が多いですが、時期に決まりはありません。お墓参りはいつでもできます。

新しくお求めの方

 新しく墓地、納骨堂をお求めの方には、お参りしやすいところ(交通の便、屋内屋外、雰囲気、安心感など)がお勧めです。お墓は自然環境やご遺骨が土に還るところ。納骨堂は天候問わず楽で、事情が変わったときにご遺骨を遷すできるところです。

 教西寺にも納骨礼拝堂がございます。

 

大谷本廟への納骨

 浄土真宗の門徒は、親鸞聖人と共にあるよう、京都東山の大谷本廟(親鸞聖人の墓所)に納骨または分骨する習わしがあります。

年忌法要

ねんきほうよう

 亡き人をご縁に、様々な世代の方が集まることで、自分のルーツ、いのちのつながりを見つめ、生かされて生きるよろこびに気づかせて頂きます。

 一周忌:亡くなってから一年後の法要
 三回忌:亡くなってから二年後の法要

     (葬儀を一回、一周忌を二回、と数えて三回目)
  以降、五十回忌までお勤めいたします。

 ご家族ご親族だけではなく、お友達などご縁のある方と一緒にお勤めするのも、大変ありがたいことです。もちろん、おひとりでお勤めすることも大切な意味があります。

月忌法要

がっきほうよう

毎月のお参り

 月参りともいいます。月命日(毎月のご命日と同じ日)に、ご自宅等でお参り致します。亡き人との思い出を深めつつ、いのちのつながり、自分の生き方について見つめる大切なお勤めです。仏事に限らず何でもご相談いただけますので、お心の安心につながります。

祥月法要

 祥月命日(しょうつきめいにち):お亡くなりになられたご命日

 普段はお参りできない方でも、一年に一度はお勤めいたしましょう。

水子供養

みずこくよう

ささやかなご葬儀 ~お子さまもあなたもともに支えたい~

 浄土真宗には水子供養という作法がありませんが、「お子さまもあなたもともに支えたい」という願いの元、ささやかなご葬儀としてお勤めさせていただきます。

かけがえのない尊いいのち

 お母さんのお腹の中に命を授かった瞬間から、いのちの誕生として捉えるのが仏教です。いのちの尊さに代わりはありません。その子はその子でたったひとり、誰にも代わることのできないかけがえのない「いのち」です。

心の痛みを和らげる

 その子を失った悲しみに加え、体の不調、世間の目、様々な痛みを感じていらっしゃるかもしれません。仏さまの前でお参りし、その子にも等しく阿弥陀さまの「必ず救う」という願いが届けられていることを聞くことで、ほんの少しでも喪失の苦しみを和らげることにつながればと思います。

あなたの「今」「そのまま」を大切に

 読経の時間はどのように過ごしていただいても大丈夫です。身体がしんどかったら横になってもいい、内容に集中できなくてもいい、何を考えてもいいし、考えなくてもいい。このことを受け入れられなくてもいい。話したくなかったら話さなくていい。話したくなったら、そのままにお聞きします。その場のみのお話として、他にお伝えすることはありません。あなたの「今」「そのまま」を大切にして下さい。

お名前を記憶します

 また、亡くなられた赤ちゃんにお名前(法名)をつけることができます。戸籍には残らなくても、お寺の過去帳にお名前を記録できます。

教西寺での法要

皆さまのお寺です

亡き方の往かれた極楽浄土  

 昔の人は、当時の最新技術をもって、極楽浄土の様子をお寺の本堂に表そうとしました。亡き方はそのお浄土に往かれて仏になられ、あまたの仏さまとともに私を見守り、救うよと誓われています。「願われている私」を感じられるのがお寺の本堂です。

お寺でのご法事をおススメします

 いす席、冷暖房完備、エレベーターあり、交通便利。楽にお参りいただけます。お食事も移動せず食べられます。少人数でも全く問題ありません。

 ※会場費2万円のご負担をお願いしております。 (仏花、光熱費等に相当します。しんどい方はご相談下さい。)
 ※年忌以外のお勤めも、お寺でできます。会場費等はご相談下さい。

お寺でお食事・茶話会

 仕出し弁当、ビュッフェ(ケータリング)等で、お寺でお食事もできます。(外へお食事に行かれる方もいらっしゃいます。)

 

 

ご法事の準備物

1. 過去帳 (又は お位牌)

2. お写真 (どちらでも)

3. お供え (①お餅 ②果物 ③お菓子) 

できるだけ3種揃えます。

おさがりのおすそ分けを各々持ち帰れるように、又は、「おてらおやつクラブ」へのおそなえとして日もちのするものなどご用意下さい。

《 ご自宅でお勤めの時は 》

4. ロウソク(三回忌までは白、七回忌からは朱)

5. 皆様のお焼香の用意

生前相談・生前訪問

せいぜんそうだん

いのちの行方を仏法に聞く

 人生を生ききる覚悟、死にゆく覚悟、ご自身の命の終わりを考えるとき、死生観が大切になってきます。生死一如(生と死は一体)、様々なご縁に生かされているこのいのち、死しても続くわたしのいのち、仏法を聞きつつ医療や金銭的なことを考えていくことが、心の安定につながります。

命のはじまりにもおわりにも、手助けがあります

 生まれるときは、様々な人の手助けを受けて誕生します。死もまた様々な人の手を借りて迎えていくものではないでしょうか。周りの人や子孫に「迷惑をかけたくない」のも親心ですが、それが相手のお気持ちに沿うものであるかはわかりません。(簡素に/葬儀なしで/散骨して/お墓立てないで/等の指示によって、お子さまが手を合わせる場を失い、結果的にご子孫を悩ませることもあります。)生まれてから命終えるまで「迷惑をかけずには生きられない」=「生かされて生きている」のが人間です。お子さまやご縁のある人たちと相談しつつ、いろいろなことを決めていくことが良い葬儀につながります。

あなたのところへまいります

 ご自宅はもちろん、病院、介護施設等どちらへでも伺います。ただ話を聞いてほしい方も、具体的な相談をしたい方も、読経してほしい方も、み教えを聞きたい方も。

お布施

お布施とは ~見返りを求めない「無償の施し」~

 お布施とは、見返りを求めない「無償の施し」のことです。施しによって他人のよろこびを自分のよろこびとするものです。また、「喜捨(きしゃ)」ということもできます。手放すことが、執着から離れ煩悩を減らし、心を清らかにするといわれています。

「お気持ちで」には理由があります

 仏さまへのお供えです。

 阿弥陀さまは「誰でも」お救い下さいます。経済状況によって救いの対象から外れることはありません。
 亡くした方への思い、ご自身の心の平安、教西寺との関係性、経済状況等を考慮して、お布施の額はお決め下さい。それが如何なる金額でも、そのままに受け取ります。

※「相場」を聞きたい方にはお知らせします
 一方、相場がわからないと失礼になるかもしれないので不安だ、という方もいらっしゃいます。不安を解消するために、聞かれた場合にはお答えいたします。
 その上で、精いっぱいの額をお布施としてお納めいただければと思います。

お布施の使い道

 教西寺でいただいたお布施(御膳料や御車料も)は全て、「宗教法人 教西寺」の法人会計に入ります。そして、寺院の護持(維持)・運営・公益活動・社会活動に使わせていただきます。一部は被災地支援や「おてらおやつクラブ」等へ、皆さまのお気持ちとしてお届けします。

 お布施とは、ご先祖さま~私たち~子どもたち~周りの人たち~これから生まれる子どもたち を生かしていく尊いご懇志です。

※お求めがあれば、領収証を発行いたします。(宗教活動には、領収証の発行義務はありません。)寺院発行の領収証は課税文書ではなく、収入印紙はありません。